再殺部隊 終章


「うぐぅ」

気がつくと、世界は光に包まれていた。
朝らしい。

何もない荒れた廃ビルの一室で、俺はひとりの少女にじゃれつかれ、睡眠を中断させられた。
が、それは決して不快ではない。

「うぐぅ♪」
「おはよう、あゆ。朝から元気だな」

少女の名は、月宮あゆ、と言う。俺の初恋の相手であり、幼なじみの少女だ。
朝日と同じくらい眩しい笑顔が俺に微笑みかけている。

少女が常に身につけているものは、
その笑顔と、
ぼろぼろの羽のついたリュックと、
薄汚れたダッフルコートと、

……首輪と。

「うぐぅ、うぐぅ」
「わかったわかった、そうじゃれつくなよ」

屍者の中には、まれに、体が甦っても、凶暴な行為をとらず人間になつくものがいる。
恐らく、何らかの要因によりウィルスの発動が不完全だったのだろう。

屍者を振り切り、
雪の降る荒野で、俺が絶望に打ちひしがれていたとき。
それは、起こった。
またしても、神の気まぐれの、
偽りの奇跡。

全世界の屍者が、その行動を停止したのだ。

それが何のせいか、良くは分からない。
低温のせいか、水分のせいか。
そんなことには誰も興味を示さなかった。
雪が降り積むその中で、屍者たちは一体、また一体と地面に倒れ、そして動かなくなっていった。
俺達は泣くでもなく、喜ぶでもなく、ただその光景を眺めていた。
そして世界は再生し始めた。

しかし再生し始めた世界でも、例外はまた例外だった。
不完全な屍者は、決して無くなることなく、世界にとどまり続けた。
人々はそれを恐れたが、それらが自分たちに何ら害のあるものではないと知ると、皆興味を無くし、ほおっておいた。
そんなことに気を配れるほど、人の心は豊かには戻っていないのだ。
一部の好事家達は、その少女達を好んで飼い始めた。
それは、荒れた心を慰めるためか。大切なものを失ったことからの逃避か。
少女達は、一度死んでいるため、理性や知能はほとんどなかったが、
自分の主人に良くなつき、人の言うことにはきちんと従い、
ちょっと甘え気味なことをのぞけばそれは理想的なペットだった。

「うぐぅ〜」
「こらこら、噛むな。朝の散歩だろう?」
「うぐぅ! うぐぅ、うぐぅ〜♪」

その少女達は、声帯が半分腐っているので、まともな言葉は発せない。
しかし、それで充分。
充分だった。少なくとも、俺には。

俺達は特に目的地を決めず、行き当たりばったりに散歩する。
今日はどこへ行けるだろう。
「はっ、はっ…こら! そんなに急ぐな!」
「うぐ、うぐ」







俺は…夢を見ているのか?
目の前で、屍者達がばたばたと倒れていく。
それは滑稽な光景だった。
俺はずっとそれを見ていた。

雪の中で倒れている、少女達の姿。
それは、遠く昔に見た光景によく似ていた。

北川は、どうしたろう。
香里はどうしたろう。
久瀬は、佐祐理さんは。

綺麗だ。
とても綺麗だ。
雪がこんなに美しいなんて、知らなかったよ。

ああ、腹が減った。
インスタントラーメンでもなんでもいいから、腹の中に入れたい。

重い。このマシンガン、重い。
捨ててしまおう。

疲れた。
寒い。

瞼が重い。

疲れた。

つかれた。

眠ろう。

ああ前にひょこりひょこりと歩く小さな影あれは屍者かそうかまだいたんだなおれをころしにきたんだな
もういいおれはつかれたおれはねむるそのあいだにとっとところしてくれもういいもういいからなにもかももういいから

俺は、膝を抱えて眠った
救われぬ世界は、終わり
そして俺も、終わるんだ
それは甘美なことだった
ゆっくり意識は闇に沈む







俺は、目が覚めた。

目の前に広がるのは、雪が降った後の銀世界。

真っ白な雪が、太陽の光を反射してきらきらと光り輝いて、

血も、肉も、銃も、土も、腕も、人も、家も、屑も、

全ての汚いものを覆い尽くしていた。

死んでない?

俺は、生きている?

屍者は?

俺を殺しにきた屍者は、どこへ行ったのだ?

意識が覚醒して来るに連れ、肩に違和感を覚えた。

人が乗っているような感覚。

「うぐぅぅ…」

慌てて身を立てると、それはどさりと地面に落下した。

「うぐぅ! うぐぅ!」

俺を非難しているようだった。

俺は、そのちょっとすねた顔を見て、笑った。

「はは、悪かったな、あゆ」

七年前に死んだ少女は、

にっこり笑って、

俺に抱きつき、

「うぐぅ!」

と言った。

そしてあゆは、俺のペットに、なったんだ。

俺のペットに、なったんだ。







「ここは…」

「うぐぅ! うぐうぐ、うぐ〜」

「海か…」

「うぐぅ、うぐぅぅ」

それは朝日をうけてきらきらと光り輝いていた。

「綺麗だな……あゆ」

「うぐぅ!」

あゆは砂浜を駆け回ったり、波とじゃれついたりと、大忙しだ。

首輪の金属部分が日光のせいで眩しい。

首輪。

それは、あゆが俺のペットである証だ。
(アユガアユデナイアカシダ)

「うぐぅ…うぐぅ…」

「おーい、間違っても海の中には…って、あちゃあ」

「うぐぅ! うぐぅぅ!」

あゆは服を着たまま水に浸かり、ばしゃばしゃと水と戯れている。

背中の羽が、水に濡れてすっかりしょげ返っている。

羽。

それは、あゆが俺の天使である証だ。
(アユガアユデアルアカシダ)

「こらっ! こっちにこい!」

「う? うぐぅ…」

「全くこんなにびしょびしょにして…」

俺は手慣れた手つきであゆの服を脱がしていく。

程なくあゆは全裸となった。

真っ白で綺麗な肌だが、いかんせん体型が体型のため、とても艶めかしさを感じさせるものではなかったが。

「うぐ、うぐ」

「こら、暴れるな…ここのテトラの上で乾かすか…」

「うぐぅ〜…」

「大丈夫だ、怒ってない。そんなにしょげるなよ、あゆ」

「うぐぅ! うぐうぐ、うぐぅ!」

「だからってはしゃぐな!」

ふぅ。

俺はごろんと砂浜の上に身を転がした。

朝早くからあゆに起こされ、実は眠くてしょうがないのだ。

「あゆ、海で遊んでいてもいいけど、沖の方まで行くんじゃあ無いぞ」

「うぐぅ!」

あゆは、大丈夫だよ、祐一くんとでもいった風にこちらに手を振った。

ざぶざぶと海に入り、白い肌を上気させて水と戯れる。

水しぶきが宙を舞う。

ぱしゃん。ぱしゃん。

「うぐぅぅ…♪」

あゆは元気だ。とても元気だ。
(シンデイルノニ!)

しかし、寒くはないのだろうか。

…愚問だった。今のあゆには、感覚はない。

あったとしても、それは、麻酔された部位を触ったような、微妙な感覚だ。

ましてや熱さ寒さなど…
(イキテイルノニ!)

ぱしゃん。ぱしゃん。

俺は、いつまでこうやっていられるのだろうか…?

屍者がいなくなったことは、人々に希望をもたらした。

しかしそれはなんてことない、希望という名の「檻」だった。

働けど、働けど、食糧は不足し、放射能は漏れ、…そして愛するものは戻ってこない。

ふぁぁぁぁぁ…

さて、俺も寝るか。

俺が寝てしまったら、あのおっちょこちょいのあゆは、やっぱり沖の方へ行って、

波に飲まれ、流され、海の藻屑になってしまうかもしれない。

でも、それでもいい、と思った。

まどろみが俺の全身を包む。

俺の意識は、どこか遠いところへ飛んでいった。

刹那。

大きな波が来た。

ざばぁと音がした後、俺の耳は壊れた。

そのまま、俺は転がされる。

視神経もいかれ始めた。

全身に絡みつく砂が痛い。

ああ、死ぬんだな、

と、

思った。





(終)













再殺部隊はこれで終わり…あとは単なる蛇足に過ぎません


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