再殺部隊 六章


僕と倉田さんは、ゆっくり、しかししっかりと死の荒野を歩き続けている。

「……」
「……」
言葉が交わされることは、滅多にない。

昼。
まだ見ぬその人を求め、さまよい歩く。

夜。
貴女の寝顔を見守り、瓦礫の森の奥で、仮初めの宿を取る。

その胸に宿るは、希望。

そして幾つかの太陽と月を迎え。

姫は、僕に話しかけてきた。

「久瀬さん…」
「倉田さん、まだ起きていたのですか? そろそろ寝ないと、お体に触りますよ?」
「あははーっ…久瀬さんはまるで、佐祐理のお目付係のようですねーっ」
「あ、すいません、そんなつもりでは…」
「いいえ、悪い意味で言ったのではないですよ。気にしないで下さい」
「あ…はい。所で倉田さん、何か御用ですか?」
「はい。ええと…どうして久瀬さんは、佐祐理の我が儘に付き合ってくれたのですかーっ?」
「それは…」

言えるわけはない。
騎士は姫に恋心を抱いてはいけないのだ。

「それよりも倉田さん、貴女は…どうして、川澄さんを探しているのですか? 川澄さんは、確か、もう…」
「はい? 舞がどうかしましたか?」
「…いえ、何でもありません。すみません」
「あははーっ…久瀬さん、さっきから佐祐理に謝ってばかりですねーっ。
佐祐理のことなんか気にしなくていいんですよ?」
「そう言うわけには行きません」
「そうですかー…久瀬さん。では、少し、聞いてくれますかー?」
「はい」
「知っての通り、舞は、佐祐理の親友です…それも、一番の。
久瀬さんは少し誤解してたようですけど、ああ見えて舞は、すごく優しい子なんですよーっ」

その昔、世界が平和だった頃。
僕は、自分の権力を笠に着て、倉田さんや川澄さんを必要以上に弾圧していた。
それは、今にして思えば、倉田さんと、その一番近くにいるものに対する、歪んだ嫉妬の表れだったのかもしれない。

「そうなんですか…そうなんでしょうね…」
「はい。舞は、とってもいい娘なんです。ちょっと不器用で無愛想なところもありますけどねー」
いい娘なんです、か。過去形ではないんだな。
倉田さんの中では川澄さんはまだ生きているのだ。

しかし…ならば、倉田さんは、変わり果てた川澄さんを見たら、どうなるのだろうか。
泣くだろうか。
それとも、怒るだろうか。
この理不尽な世界を、彼女はたった一人で受け入れなければならないのだ。

否。ちがう。今、彼女のそばには、僕がいる。
彼女は、ひとりではないのだ。
姫の側には、つねに騎士がいるのだ。
しかしそこに…何故か、一抹の不安がよぎる。

「久瀬さん……? どうしました、突然黙っちゃって…」
「倉田さん…貴女は、川澄さんに会えたら、その後どうするのですか…?」
「ふぇ……?」
倉田さんは、ちょっと考えると、
「あははーっ、そんなこと考えてませんでしたーっ」
と、明るく笑った。
「でも、多分、佐祐理は、舞との再会を、素直に喜ぶと思いますよーっ。もちろん、舞の方もです。」
やはりだ。彼女は川澄さんを殺していない。
現実を認識していないのだ。
つまりそれは、その心が半分「ココデハナイドコカ」に行っているということだった。

しかしそれでも僕は、貴女のことを愛している。

もし…倉田さんが、現実を受け止めなければならなくなったとき…
彼女のことを、僕が支えきれるだろうか。

彼女が、完全に向こうの世界に行かないように。

いや、必ず、護ってみせる。
愛する、美しき優しき姫よ。

「倉田さん…」
「はい?」
「川澄さん、…早く見つかるといいですね」
「はい、そうですねーっ」
せめて今だけは姫に夢を見ていて貰いたかった。

「それで、久瀬さん。どうして佐祐理の我が儘に付き合ってくれたんですかーっ?」
「貴女が、好きだからです」
「ふぇ…」
しまったっ。つい、本音が…
「はぇー…そうだったんですかー…」
「あ、あのですね、それは、ええと、ですから…」
「あははーっ、佐祐理も久瀬さんのことが、好きですよー」

「はい?」
「正直に言って、昔の久瀬さんは、好きではありませんでしたけど…
今の久瀬さんは、優しいし、佐祐理は好きですよーっ」
「倉田さん…」

分かっている。倉田さんの「好き」は、僕の「好き」とは違うことを…
たとえるならば、それは女神が万物に示す慈愛の心だ。
しかし、それでも…
それでも、幾ばくかの期待をしてしまう僕は、騎士として失格だろうか…?

がさり。

姫との語らいの中で、自分の職務を忘れてしまった僕は、すぐそこまで迫った気配に気づけないでいた。

がさり。

分かっている。全て分かっているのだ。
一時の休息の後にこそ、真の絶望は訪れる。
この気配の正体を、僕は知っている。
それは、これで在らなければならない。

「川澄 舞っ!出てこい!」
「ふぇ…舞?」

瓦礫の影から、さらに暗い影をまとったものがその姿を現した。
その瞬間、示し合わせたように雲の切れ間から月光がさす。

月の光を受けてその姿を見せつけるそれは、まがまがしい醜さと美しさを携えていた。
折れた腕。
削れた足。
虚ろな目。

しかしそれは、その壮絶な外見に反して、全てを破壊するもののような凛々しさで、毅然と立っていた。

「舞…?舞なの…?」
「倉田さん!ご覧の通りだ!川澄さんはすでにもう死んでいる。川澄さんはもういない!」

そう言ったところで彼女がこちら側に戻ってくるとは思えない。
やはり目の前で完全消滅させなければ。
僕はマシンガンを構えた。

覚悟しろ、屍者め。お前が消えなければ、姫は永遠にこちらの世界に戻ってこない。
壊す!
僕はなんのためらいもなく引き金を引いた。
ダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!
轟音とともに鋼鉄の銃弾が奴の体へ向かう。

しかし、その瞬間にはすでに奴は恐ろしい速度で上空へと浮かび上がっていた。
しまった!
月を背に上空から襲いかかる奴の姿。
ザザッ!
僕はかろうじて攻撃をかわすと、そのまま地面に転がって奴に再び照準を合わせた。

お前さえ消えれば!
ダダダダダダダダダダダダダダダダッ!
ひゅっ

ざっ
ざっ

屍者は、地面に着くその瞬間に僕の攻撃を察知し、強く地面を蹴り、後方へと退避した。

おのれっ!
亡霊ごときが、倉田さんを闇に連れて行くなっ!

ダダダダダダダダダダダダダダダダッ!

ざっざっ ばす

一発命中!

だが、脇腹への一発など、奴らにとっては蚊の一刺しに過ぎない。

じり…

僕も奴も、お互いの間合いを取りつつ、にらみ合っている。
だが、今でこそ互角の戦いが出来るが、もし奴がバラバラになっていっせいに襲ってきたら、勝ち目はない。
五体満足な今の状態こそ、奴らの弱点。
だから、今から一つずつ使用不能にしていけばいい…しかし、そんなことが果たして可能だろうか?
だが!
「まずは右腕!」
ダダダダダダダダダダダダダダダダッ!

奴はそれをヒョイ、と難なくかわす。

やはり…奴は、強い。
川澄舞。我々生徒会が常々目の敵にしていた問題児。
学校の中で大剣を振り回すなど、その意味不明な暴力行為は全校生徒を恐怖におとした。
それほどの女が、屍者となったら……!

じり…

奴が間合いを詰めてくる。

マシンガンの冷たい銃身をグッと押さえる。
汗でグリップが滑りそうだ。

くっ…勝てるのか!?
勝てるのか!? 僕は、奴に!

だが、勝たなければ!
倉田さんの心を解放するために、勝たなければ!
勝てば……
勝てば……?
勝てば、どうなる…?

僕が奴に勝てば、本当に倉田さんはこちらに戻ってくるのか?
もしかしら、最悪の事態が待っているのではないか?

僕はここが戦場であるということを忘れていた。
一瞬の隙をついて奴が僕の元に走り出す!

「うわっ!」
ダダダダダダダダダダダダダッ!
               
不幸中の幸い。
無心で撃った僕の銃弾は、
奴の左腕の大部分を吹き飛ばした!
                
倉田さんはただポカンとして、事の成り行きを見守っている。

バランスを失い、地面に倒れ込む屍者。
                 
ぴちゃりと頬に何かがあたる。それは、親友の飛び散った体の一部。

今だ! 僕は奴に銃口を向ける。
            
 ハッと何かに気づくと、たたたと僕と奴との間に走り出した。





そして


やはり


「久瀬さん! 舞を虐めちゃ、駄目ですよーっ!」
倉田さんが両手を広げて、僕と奴の間をさえぎった。
「大丈夫? 舞、怪我してない?」

ああ!
何もかも僕の予想通り…
姫は、自ら破滅への道をたどり始めた。
その慈愛の心は、僕だけでなく、世界で最も邪悪な者にさえ手をさしのべる。

マシンガンを持つ手ががたがたと震える。

そうだ。本当は、分かっていたんだ。

川澄舞を消したところで、倉田さんはこちらの世界には戻って来れない。

それどころか、もっとも闇に近い理の世界の住人になる。

そもそも、川澄舞には勝てない。勝てるはずがない。

姫と騎士は、強大な魔王の前に吹き飛ばされ、それで悲劇はジエンドだ。

僕はそうなることを分かっていたはずなのに。
どこへ行こうが待っているのはカタストロフィでしかない。
全て、分かっていたのに!
それでも、僕は、倉田さんの側にいたかった。
たとえ破滅に向かうにしても、最後まで、最後の時まで貴女の側にいたかった。
たとえ僕らの未来が闇に閉ざされていようとも、
僕は一時の安らぎを求め、貴女との茶番劇を求めた。
希望を求め、さすらう旅。

しかし希望の後には、絶望がやってくる。
そんなこと、はじめから分かっていたじゃないか。

マシンガンがふっと軽くなった気がした。
周りの風景も、白く溶けるようになくなっていった。
そこには余計な音は一切聞こえなかった。
僕はもう、全てを捨て去ったのだ。

やってくるのは甘く優しい破滅。

もう、貴女との騎士ごっこも終わり。
もう、僕はあなたの騎士ではないのです。
僕はただこうやってじっと立って、
自らの愛するものが無惨に消えていくのを見守ります。
騎士であるときは終わったから。
どうせ滅ぶなら、貴女とともに悲劇の幕を下ろしたかったのです。

ほら、奴がゆっくりと貴女へ近づいて。
女神を犯そうとしている。

ぷしゅぅぅ

何とも、マヌケで場違いな音が辺りに響いた。
赤い液体が倉田さんの腕から噴き出している。
そこで血を、肉を、貪っているのは、
川澄 舞。
倉田さんの親友だったもの。
自らの腕を食いちぎられて、その想像もつかないような痛みの中で。
さあ、僕の女神は、どうするのですか?

「あははーっ、舞は、お腹がすいてたんだよねーっ」
「ほら、まだまだあるから…」
「よかったら、佐祐理を食べてあげて。」

倉田さんは、飢えた野犬に餌を与えるかのように、
その体を奴に差し出した。
微笑みには、なんの悲壮感も見られない。
血にまみれてにっこりと微笑むその姿に、僕は何を見たのか?

恐怖…?
知らずのうちに、恐怖を覚えている…?

血塗れで虚ろなそれは、女神じゃないのか?
女神…?
これが僕の女神なのか…?
ちがう…これは、そうじゃない……?

オソロシイモノ……クルッタモノ…

僕は自分の中の女神像にひびが入るのが分かった。

闇に取り込まれた女神は、邪悪なものに変容する。

今の倉田さんにはそんな雰囲気を感じる。
この虚ろな目を持ったもの…
それは………!

だんだんと倉田さんの体は、青白くなっていった。
まるで生きているものではないような色に。
しかしそれでも倉田さんは、微笑むのをやめなかった。
「あははー…一弥…もっと食べたいのなら、お姉ちゃんを遠慮なく食べていいんだよ」
川澄舞は親友の体をむさぼり食っている。
腕を。
足を。
胸を。
腹を。
頭を。
顔を。
ひゅーひゅーと、壊れたおもちゃのように体中の至る所から体液が吹き出ている。

倉田さんのそのぼろ雑巾のような体からは、すでに女神の威光はなくなっていた。
美しさの、かけらもない。それは、姫ではない。

ちがう。ちがう、ちがう、ちがうちがうちがうちがうちがうちがう!
この人はちがう!
ちがう、ちがうのだ! これはちがう
ちがう     ちがう ちがうちがう
ちがう!


これは…これは、僕が探し求めていた倉田さんではない!
こんなに醜い者が、こんなに恐ろしいものが、倉田さんであるわけがない。

簡単に向こうの世界にいってしまうほど弱き者が、
快活で明るく、優しく、美しく、成績優秀、スポーツ万能、完全無欠の僕の女神、
倉田佐祐理さんであるわけが無いじゃないか!

完全に、我々とは別の世界でいきるもの。
もうすでに死んでいるもの。
それは、屍者。


「あ…は…は…佐祐理は…あなたの役に立てるなら……なんだって……
それが……わたしの……
ごめんね……まい…ごめんね…かずや…ごめんなさい…くぜさ…」

僕は、泣いた。

理由は分からないが、ただとにかく、声を上げて、親に捨てられた子供のように泣いた。

(それはいわば自己防衛反応…)
(現実に耐えきれなくなったときに、)
(生物の中で唯一理性を持つ人間が、)
(何者にも縛られない、自分にとって最も都合の良い、)
(我々の一切の常識が通用しない、)
(新たな理性を作り出す、)
(新たな世界を作り出す、)
(作用。)
(その名は…)

倉田さんが、女神でなくなったのは、いつからだったのだろう。

川澄さんの死と直面してから?

世界中から屍者が現れたときから?

それとも…僕が初めてあなたを見た、その日には、すでに?

そんなことを思ったのは、

川澄舞「だったもの」と倉田佐祐理「だったもの」に鉄の塊で消滅を告げた後だった。

(続く)


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