再殺部隊 五章
空は薄闇に染まり、憂鬱そうに雲が渦巻いている。
皆と別れてから、俺は、美坂を探して四方八方を駆けめぐった。
途中、屍者と出くわすことも数回あったが、運良く逃げ切ることが出来た。
行く先で、暗い雰囲気の女が、狂ったように屍者を壊しまくっていると言う話を聞き、
何となく美坂のことではないかと思い、その女の事を方々に訪ねて回った。
そして、3日後。
「ああ、あの暗い目をした女なら、向こうの方で戦闘に参加してたなぁ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
中年の兵士から聞いた話をもとに、その場所へ向かう。
どうやら戦闘は終わったらしく、辺りには凄惨な光景が広がっている。
そんなことはどうでもいい。
俺は、辺りの光景を出来るだけ無視して、美坂の面影を求めてその付近を徘徊した。
緩いウェーブのかかった髪が、地面に広がっている。
何もない地面に、美坂香里がだらしなく仰向けで寝そべっていた。
その呆けた顔に、上から、す、と影が差した。
「美坂…ようやく見つけたぞ。無事で何よりだ。」
「北川君…?」
久しぶりの再開は、お互いが無言で見つめ合うだけの味気ないものだった。
「……美坂、お前、ひとりで行くとかいって、結局他の奴らといっしょに戦ってるじゃないか」
「……そうね……あなた達を巻き込みたくなかったから…」
「なんのことだ……?」
「なんでもないわ……」
「……そうか」
俺はゆっくりと美坂の脇に腰を下ろす。
「他のみんなは、どうしたの…」
「俺だけが無理を言ってお前を捜しに来た。」
「どうして…そんなことを…」
「お前が…心配だったから」
美坂は、クス、と少しだけ笑ったようだった。
「ばかね…」
「…うるさい」
再び、沈黙が訪れる。
「美坂、そんなところに寝てたら、せっかくの髪の毛が台無しだぞ」
「べつにいいのよ」
「そうか…」
三度訪れる沈黙。
「なあ…美坂。お前、何か隠してないか…?」
「いいえ…」
「…あの…さ、なんだか分からないけど…何か困ってるんなら、俺が力になるぜ…?
俺なんかじゃ、少し頼りないかもしれないけど」
俺としては、精一杯の告白のつもりだった。
少しの間をおいて。
何を思ったか、美坂は、
「ぷーっ……ふふふふふ」
と、吹き出しやがった。
「…なにがおかしいんだよ」
「ふふ…ははは…ごめんなさい…だって…」
見ると、美坂は目に涙をためていた。
そんなにおかしかったのか…いや…この涙は…
「ごめんなさい…北川君の顔を見たら、なんだか安心しちゃって…」
「な、何言ってるんだよ」
自分でもどうしようもないくらい鼓動が高鳴っているのが分かる。
きっと俺の顔は今頃真っ赤になっているのだろう。
「ねぇ…北川君」
美坂は、突然顔を引き締めると、急にしっとりとした視線を俺の顔に送ってきた。
「貴方に…甘えるみたいで…いやなんだけど…」
「あ、ああ」
我ながら情けない返事だ。
「私のお願い…聞いてくれる?」
「もちろん、いいぜ。今の美坂を見てる方が辛いからな」
陳腐なセリフだと思う。やれやれ。
しかし、その後に美坂が…言った…言葉は…
「じゃあ、私を殺して」
俺の理解を超えていた。
空はうすあおくだんだんと歪み始めた。そこはかとなく陰鬱とした空気が場を支配する。
「美坂…? 今…なんて…」
「私を殺してって、言ったのよ」
何だって? 私を殺して? それが、美坂の望み?
わからない。
何が起こってるんだ?
俺が何も言えず立ちすくんでいると、
美坂はゆっくりと上体を起こし、髪の毛についた砂も払わずに立ち上がり、じっと俺の目を見つめた。
終わり行く大地に立つ、その少女の姿。
素直に、美しい、と思った。
その口は神への懺悔を紡ぐ。
「私ね…ひとりの女の子を殺したの。
小さくて…純粋で…可愛い女の子だったわ。
でもね。その娘は、哀しい運命を背負っていたのよ。
それでも明るく振る舞おうとするあの娘を見ているのが、つらくて…つらくて……
ある日私は、その娘を殺したのよ。」
「その娘のあの時の顔…今でも思い出せるわ。
信じていたものに裏切られた…怯えた、捨てられた小ウサギのような顔。
私は、何度も心の中でごめんね、ごめんねと謝っていたけど…
結局、一番大事なのは、自分だから。
その娘のせいで、自分が悲しむのが、もう嫌になったから。
ひと思いにその娘を殺したの。
その娘は、そのまま死んでいったわ。」
どうやら美坂は、内容はどうあれ、俺に自らの罪(?)を打ち明けるつもりらしい。
いや、俺に、などというのは自惚れだろう。きっと、誰でもいいからこの悩みを打ち明ける相手が欲しかったんだ。
どうしてもっと早く気づいてやれなかったのか。
今更ながら、自分の愚かさが悔やまれる。
「美坂…」
「…」
「俺、お前の悩みに気づけなくて…ごめんな」
「ふふ…優しいのね。北川君は。そんなこと、べつにいいのよ」
そう言って微笑む美坂は、俺の知っている美坂だった。
明るくて…意地っ張りで…ちょっと気むずかしくて。
「美坂…お前が何のことを言ってるのか、正直言って俺はよく分からない。
でも…お前がそんなに悲しんでいるのなら、その娘だって、分かってくれるんじゃないのか?」
「だめなのよ…それが。あの娘は、甦っちゃったのよ」
「え……それって…」
……屍者として。と、言うことなのか…?
空はよりいっそう暗く闇をたたえている。今にもその闇が落ちてきそうだ。
美坂は、俺の思惑をよそに、訥々と再び語りかけ始めた。
「きっと、私のことを恨んでいたのよね…私の所へ、その娘はゆっくり、ゆっくり近づいてきたわ。
お姉ちゃん、痛いよ…
お姉ちゃん、苦しいよ…って。」
美坂の目の色が、暗い輝きを帯び始めている。
それは、俺の知ってる美坂ではなくなっていくような気がした。
俺は、美坂を止めるべきか、それとも黙って聞くべきか悩んだが、
美坂はますます饒舌になっていった。
「でも、私は、一度その娘のことを殺しているのだから、今更、その娘に優しくなんて出来ない。
殺人者を、演じ切らなきゃ…と思って、マシンガンの引き金を引いたの。
ダダダダダダダダダダダッて、すごく大きな音がして、その娘は、吹っ飛んだわ。
体中に穴があいた。腕が宙をふわっと飛んで、髪の毛が辺りに飛び散ったわ。」
まずい。
今の美坂は、自らを破滅に誘おうとしている。
止めなければ。
「美坂、よせ…」
美坂は、止まらなかった。それどころか、前よりもっと饒舌に、声は大きくなっていった。
「あの娘の目玉は、地面に転がりながら、ずっと私をみていた。
痛いよ…苦しいよ…どうしてこんな事するのって…。
骨がむき出しになって、お腹からは何かどろっとしたものがそこら中に散らばったわ。
とてもそれは、元々はあの娘の一部だったなんて思えないほど、黒く、腐って、汚れていたのよ。
辺りにあの娘が散らばったわ。地面に染み込んじゃったから、可哀想に、天国じゃなくて地獄へ行っちゃうわね。
そうやって、あの娘が壊れていく様子を、マシンガンを撃ちながら、私はまるで他人事のように見ていたわ。
なんて楽しい…なんて面白い…
そして、なんて綺麗なの…と思ったの。」
「美坂っ! やめろ!」
「いいえ、やめられないわ。私たちは再殺部隊。あの娘を、それこそ塵に返してあげないといけないの。
だから、私はあの娘を撃ったの。いつまでも、いつまでも、あの娘がこの世に生きていた証拠を、
残さず全て消し去るために。
でもね、その娘はね。
この世から消えても、また別の世界へ行っちゃったの。
私が打ち続ける銃弾をたどって、銃身を這い、腕に絡まり、
私の心の中に住みついちゃったのよ。
そうして、今もこうやって私を責め続けるの。
痛いよ…苦しいよ…どうして…どうして…私がこんな目にあわなきゃいけないの…って。
その声がずぅっと私の中に響いてるのよ。
痛い…痛い…いやだよって。
いや…いやなのよ…いやだって言ってるでしょ…こんなの、いやよぉぉぉぉっっ!!!」
美坂は、突然怒鳴り声になると、頭を抱え、激しく首を上下に振り始めた。
「やめろ! 美坂! しっかりしろ!」
美坂は俺を振り払い、血走った目で頭をかきむしり始めた。
「どうしてぇぇぇっっ!!! 何で私ばっかり、こんな目にあわなきゃいけないのよ!!
痛い、痛い、いや、いやよ、苦しい、苦しいよ、苦しい苦しい痛い痛い痛い…
私だって、苦しいのに、痛いのに、いやなのに!
私ばかり悪いの!? 私が悪いの!? そんなに私が憎いなら、どうしてバラバラに飛び散る前に、
貴女のその手で!
貴女のその指で!
私を殺してくれなかったのよぉぉぉぉぉ!!!!!
そうよ! 私が悪いの! 私が全て悪いの! 私が悪かったのよぉぉっ!」
「美坂っ!」
俺は美坂の腕を捕まえ、美坂の顔をキッと凝視した。
美坂の顔は厳しく世界を睨み、だがその顔は涙に濡れていた。
涙の雫がぽたりと地面に落ちる。
「離してよっ、北川君!」
「いいや、離さない! お前が自分を責めるなんて無意味なことをやめるまで、
絶対に離さない! 離すもんか!」
「だって、あの娘は私を許してくれないのよ! 私に死ねっていうの!
自分を絶望させて、それから死ねっていうの!
自分みたいに醜く、臓物をぶちまけて、死ねっていうのよ!
死ねって!
だから北川君、私を殺して!
それが駄目なら、自分から死ぬわ!
死ぬの、死ぬのよ! 死ななければいけないのよっ、私みたいな女は!」
「美坂ぁっ!」
俺は美坂の頭をひしと押さえ込むと、
もう美坂が喋れないように、
もう自分で勝手に破滅に向かわないように、
そのまま俺の胸に強く押さえつけた。
はじめは抵抗していたが、やがて、美坂の体からは徐々に力が抜けていき、
完全に俺に体を委ねる形になっていた。
「死ねって…死ねっていうのよ…死ねって…」
「あのな、美坂。誰もそんなことは言ってない。
お前は、もう充分頑張ったよ。
もう充分罪を償ったよ。
死ぬことなんか、無いんだ。
美坂が死んだりしたら、俺が困るからな。
大丈夫だ、美坂。
誰もお前を責めたりしない。
誰もお前を殺したりしない。
その娘もお前を許してくれているさ。
だいじょうぶ。
だいじょうぶだ。
だいじょうぶだ!」
「うっ…北川…くん…うぇっ…」
すすり泣くような声が聞こえる。
「ううっ…栞ぃ…ごめん…ごめんね…ごめんなさい……
私は…うう…お姉ちゃんは……
ごめんね……ごめんね……」
俺はゆっくりと美坂の頭をさすってやった。
もういいんだ。
もういいんだよ、美坂。
美坂はいつまでも泣き続けた。
*
罪を表す無限の暗黒の空から、
天の御使いが降りてくる。
雪。
雪が降ってきた。
全ての罪を、
覆い隠すような、
真っ白な、
雪が。
(続く)
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