再殺部隊 四章


俺と名雪は、いつまでそこに座っていただろう。

いつしか日が沈み、星が瞬き、月が弧を描き、夜が白み始めた。

不思議と、腹が空くことは、無かった。

眠くなることも、無かった。

精神状態は、身体にも影響を与えるらしい。

名雪も、同じ様だった。







本当に、どれだけ時間が過ぎたのか。

始まりは、いつだったか。

がたり
と、静寂を破る空気の振動。

嫌な音だ。

こんな音を立てるのは、

風か、

小動物か、

……屍者か。

「…ちっ!」

俺は舌打ちを返すと、素早く立ち上がってマシンガンを構えた。

こんな事になっても、まだ生にしがみついている自分に苦笑しながら、
慎重に、射撃準備状態に移行する。

辺りに気を配るが、まだ何の気配も現れなかった。

ふと気づくと、名雪は、まだ何もせずうつむいていた。

「名雪…」

俺は名雪の方を向き、

「…死ぬぞ」

とだけ言って、再び索敵体勢に入った。

汗が、たらり、と流れる。

名雪は、うつむいている。

永遠にも思われる静寂……

そして

がたん、がたがた、がた……

「!」

慌てて音のした方に銃を向ける。

遠目からでよく見えないが、人影のようだ。

しかし、そのぎくしゃくとした奇妙な動きは、

明らかに、

俺達が見慣れた、

屍者の姿だった。

「…いよいよか…」

名雪は、まだうつむいている。







屍者は、ぺたり、ぺたりと足音をたて、ゆっくりとこちらに向かってくる。

不幸中の幸いか、奴は単体のようだった。

俺は、奴が射程範囲にはいるまで、銃を構え、ただただ、待つ。

しかし……

名雪が戦闘要員として数に入らないと考えると、奴と戦うのは、俺ひとり。

勝つことは、とても無理だった。

俺のマシンガンが奴の体を撃っても、残った腕や足がはね回り、信じられないほどの怪力でもって、俺達の息の根を止めるだろう。

奴らは、筋肉と関節さえあれば、あらゆる方法でもって俺達に襲いかかってくるのだ。

状況は、いよいよ絶望的だった。

しかし、名雪をおいて逃げることは、さすがに出来ない。

心の奥底で、何かがそう告げていた。

俺の心にも多少はヒロイズムが残っているらしい。

名雪は、まだうつむいている。

屍者は、だらりと両腕を下げた格好で、じりじりと距離を詰めてくる。

背格好や雰囲気からして、今までの屍者とは少し違う。

どうやら、早速例の「大人の」屍者の登場らしい。

ぺたり…ぺたり……

だが、今は、

ぺたり…ぺたり……

とりあえず、目の前の現実を、

ぺたり…ぺたり……

もう少し…もう少しこっちへ…

ぺたり……

「今だ」

俺は、奴の姿を確認すると、引き金にかけた右親指を、思い切り…

引……

けなかった。

なぜだ。
どういうことだ。
こんなことがあっていいのか。

もう俺は、これ以上この状況を形容する言葉が、見つからなかった。

ただ、こう呟くしかなかった。

その屍者の、名を。

その人の、名を。

良く見慣れた、その人の、名を。




「秋…子…さん」

その言葉に反応したのか、傍らにいた名雪が、初めて顔を上げた。

そして、現実と直面した。

「おかあさん…?」

美しく編まれた髪は、ぼさぼさの糸くずに。

優しげな母の顔は、生を忘れた仮面の表情に。

それでも、その人は、

それでも、

それでも、

水瀬 秋子 さん そのひとだった…いや…ちがう! あれは、ちがう! 秋子さんじゃあない!

あれが、秋子さんであるはずがない!

秋子さん「だったもの」だ!

あれは屍者だ!

俺達の敵だ! それだけのものだ!

しかし

「おかあさん!」

俺の恐れていたことが起こった。

母を失ったことで、自分を見失っていたのだろう、

銃を撃つだけの毎日で、心を忘れてしまったのだろう、

哀しい、哀しい

少女のタガがはずれた。

少女は、かつて母「だったもの」のもとに、無防備に駆け出していった。

「名雪、やめろ! それは秋子さんじゃない! ちがうものだ!」 

俺の声は名雪の元へは届かなかった。

「おかあさん! わたしっ、名雪だよ! 名雪! 祐一もいっしょだよ!」

「やめろ! 名雪!」

一心に母の元へ駆け寄る名雪。

それは、幸せそうな泣き笑いを浮かべて。

俺は、銃の引き金に手をかけ直した。

しかし、もうすでに手遅れだった。

照準が、奴と名雪、両方に重なってしまうのだ。

屍者は、何の反応も見せず、だらりと両腕を下げた姿勢のまま、虚ろな目を向けている。

もう…だめだ!

名雪は、何も臆せず、母の胸に飛び込み、力一杯に抱きしめた。

「おかあさん…おかあさん…わたし、わたし…会いたかったよ…」

次の瞬間、名雪の首は滑稽に宙を舞うことだろう。

腹は破かれ、内蔵が飛び散ることだろう。

そう思って、目を背けようとした、その時

「……」

秋子さん「だったもの」は、ゆっくりと両手をあげると、

それを優しく名雪の背中に当てて、上下に動かした。

それは、いわゆる「撫でる」と形容できる行為だった。

「おかあさん…」

ばかな…

屍者に意識など無いはず…

その上、他人をいたわることなど…

「おかあさん…わたし…うれしいよ」

名雪はさらに力を込めて母を抱く。

母も、さらに力を込めて娘を抱く。

「おかあさん…こんなに冷たい…つらかったよね…苦しかったよね…ごめんね」

名雪は母の胸でむせび泣いた。

今までの乏しい感情を取り戻すかのように、激しく、強く。

母の顔は、相変わらずの無表情だが、どこかに人間らしい優しさが見えるようだった。

これが、母というもの……これが、奇跡?

俺は、夢でも見ているのか。

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

少女は、至福の表情を浮かべている。

永遠に続くかのような、幸せな時間。

空からは登り始めた朝日が、二人の姿を照らし、祝福しているかのようだった。







しかしその奇跡は、やはりまがい物だった。

抱き合う母と子。

それは、美しい光景。

しかし。

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

「おかあ…さん? ちょっと…くるしいよ…」

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

「おかあ…さん?」

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

「おか……あっ…」

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

母は、さらに力を込めて娘を抱く。

そして

バキ、ボキベキバキと、辺りに嫌な音が響いた。









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