カーネーション(前編)

注意あゆ、名雪、真琴のネタバレを含みます。


秋子さん視点のお話です。


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「へい奥さん!今日も綺麗だね!」

「あらあら、お上手ですね。では、このほうれん草も貰いましょうか。」

「へい、毎度!」


 私は今、買い物に来ています。

 八百屋さんの元気な声に見送られ、
 肉屋さんのまえで御主人と挨拶を交わし、
 金物屋さんの御主人は店の奥でお鍋とにらめっこ。
 時計屋さんの前ではいつもと変わらない規則正しい針の音が響き、
 花屋さんの店先には、季節はずれのカーネーションがぽつんとお客の訪れを待っています。

 いつもいつも、この商店街は本当に気持ちのいいことばかりで、

 ただコツコツと足音をたてて歩いているだけでも、嬉しい気分になります。


 でも、実はちょっと気がかりなことがあって、あまり浮かない気分です。
 私の心を不安で満たしているのは、二人の、かわいいかわいい女の子のこと。


 一人は、月宮、あゆちゃん。

 あの子と初めてあったときから、なんだか不思議な感覚をおぼえました。

 いつも元気で、明るくて…
 そんな印象とは裏腹に、
 まるでこの世の人ではないような…いつのまにか消えていきそうな、危うくて儚げな雰囲気がありました。

 それに、その名前に私は聞き覚えがあるのです。


 そう、それは、七年前のあの事故の…女の子の…


 いえ。そんなはずはありません。
 ……人違いだといいんですが。



 そして、沢渡真琴。

 私の家に迷い込んできた、記憶喪失の女の子。
 記憶喪失だというのに、そんな悲壮さを微塵も感じさせない、賑やかな女の子です。

 この子とは、しばらくの間一緒に暮らしていて、まるで本当の家族のように思っていたのに、

 ある日突然いなくなってしまって…

 家出してきたらしいのですが、この近辺でそのような届け出はなく、

 帰る場所があったのか、とても心配です。


 それに、あの子とは、ずいぶん前に一度会っているような…そんな気がするんです。




 最近は、そのことばかりを考えていて、少し疲れ気味です。

 ふう…
 私は思わずため息混じりに苦笑します。

 だめね、わたしも。もっとしっかりしなくちゃ…


 名雪と、祐一さんの為にも…


 そう、暗い話題ばかりではないのです。

 うふふ、あのふたりったら、端から見ていてもなんだか最近いい雰囲気のようです。

 孫の顔が見られるのも、そろそろかしら…と考えるのは、ちょっと性急すぎですね。


 そういえば、名雪に苺のケーキを買うって約束してたわね…

 私はケーキ屋さんの方に足を向けました。






 さて、苺のケーキも買ったし…
 そろそろ帰りましょうか。

 その時です。
 ふと、歩道に目をやると、一人の少女がひょこひょこ歩いているのが目に付きました。


 あら?あの、金色に近い鮮やかな髪の色は…
 真琴?
 真琴じゃないかしら?


「まことーっ、まことなのー?」

 しかし真琴は、私の言葉など聞こえてもないように、ふらふらと歩いていきます。
 その様子になんだか悪い予感がして、私は懸命に、人混みに紛れて見えなくなってゆく真琴を追いかけました。

 常に視界には真琴の姿が映っているのですが、なかなか追いつくことが出来ません。
 真琴は、何も見えてないように、ぼぅっとして歩いていきます。
 そう、まるで熱に冒されているように…

「真琴!私よ!」

 私の言葉は届かず、そして真琴は、そのままふらふらと車道の方へ…

 前からは乗用車がすごいスピードで走ってきます。


 危ない!


 とっさに私は、車道に飛び出していました。
















 キキーッ

 私の目の前に鋼鉄の塊が接近してきました。















 どん




 なんの音でしょう。

 鈍い音がしました。

 なんだか自分が宙に浮いているような、不思議な感覚がします。


 灰色。一瞬の煌めき。暗転。


 意識が薄れていきます。

 私はくるくると回る視界の中で、真琴の姿を探しましたが、いつのまにかどこへ行ったのか、
 ついに真琴の姿は私の瞳に映ることはありませんでした。









 気がつくと、私は不思議な場所に立っていました。
 いつのまにやら、おかずを入れた買い物袋と苺のケーキは無くなっていました。

 ここは、どこかしら……
 私は辺りを見回します。

 そこは、落ち着いた黄金色の空間…
 幻想的な風景。


 優しく足を撫でる感触に、私はその正体を知ります。

 黄金色の正体は、夕焼けに染まる草原でした。

 気持ちいい風が吹いて、草がたなびいています。

 まるで映画のワンシーンのようです。


 よく見ると、そこはものみの丘と呼ばれる、私の住む町の丘の風景によく似ていることがわかりました。

「ううっ、ぁあー…ああー…ん」

 …誰かの、泣き声が聞こえます。

 それは小さな子供の泣き声。

 黄金色に染まった草原の真ん中に、ぽつりと黒い影。

 その黒い影は、うずくまって泣いている子供。


 真琴?

「うああ…ああーっ…」

 まちがいありません。

「真琴…真琴なの?真琴なのね?」

 真琴が泣いている…そう思うと、私の足は自然と真琴の方へと向いていきました。
 その影に近づいて確かめると、案の定それは真琴でした。

「どうしたの、真琴…なにかあったの?」

「あぅー…秋子さん…あぅっ…」

 私は、泣きじゃくる真琴の横に座って、優しく頭を撫でました。

「あぅっ…秋子さーん…」

「…いいこね…」

 私に頭を撫でられて、ホッとしたのか、泣きじゃくっていた真琴は少しずつ落ち着いていきました。
 その様子をうかがって、私は真琴に話しかけます。

「真琴…どう? もう、大丈夫かしら?」

「あぅ…秋子さん…ごめんなさーいぃ…」

「どうしたの、真琴…私は、何も謝られるようなことはされてないわよ…」

「あぅっ…秋子さん…真琴が、真琴がいけないの…秋子さんが声をかけてくれているのに、
 無視して歩いていっちゃったから…秋子さんが…」

「私が?」

「車に、はねられて…」

 私は、穏やかに微笑むと、

「あらあら、そんなこと…あれは、真琴のせいなんかじゃないの。私の、不注意。」

「秋子さん…でも」

「いいのよ、真琴が気にする事なんてないわ。でも、私の言葉が聞こえていたのなら、どうして振り向いてくれなかったのかしら?」

「それは…」



「そこから先は、ボクが説明するよ」

 凛とした声が響きます。
 気がつくと、私と真琴の前に、小さな影が立っていました。
 夕日を背に浴びて、真っ赤に染まった羽がパタパタと風にたなびいています。
 その羽の持ち主である少女。


 月宮、あゆちゃん。


「あゆちゃん…あゆちゃん、どうしたの」

 厳しく、しかし弱く、脆く。
 その固い表情には、いつもの明るさはなく、悲しい決意が宿っているような気がしました。

「秋子さん…あのね、実はボク達…ボクと、真琴ちゃんは…」

 その小さな唇が薄く開きかけます。

 しかし私は、薄々ながら、雰囲気からもうすでに気づいていました。
 あゆちゃんが言おうとしていることがなんなのか。

 紡がれる言葉は、悲しみの言葉。
 …そんな言葉を、あゆちゃんに言わせることは出来ません。

「待って。いいわ、何も言わないで。……何となくだけど、わかっていたわ。」
 あゆちゃんの言葉を遮ります。

「秋子さん…?」
「あぅー…」

 私は、まず、真琴を見つめると、
 当時のことを思い出すように、目を細めました。

 そうです…この子は。

「真琴。あなたは、昔、祐一さんが連れてきた、狐の子なのね?」

「あぅー…そう」

「やっぱり…そうだったのね。あの時のあの子が、こんなに大きくなって…」

 私はもう一度真琴の頭を撫でました。

「あぅー…」

 真琴は、くすぐったそうに、でも、気持ちよさそうに、私に身を寄せてきます。


 今度はあゆちゃんの方を向きます。

「あゆちゃん、あなたは……7年前のあの事故の……」
「そう、だよ…さすが秋子さん、なんでもお見通しなんだね」

 あゆちゃんの顔が、少し笑顔になります。
 しかし、その笑顔が心からのものではないと、誰が見ても気づくでしょう。

 恐らく、悲しい雰囲気にするのを防ぐためなんでしょう…
 でも、あゆちゃんは知らないのね…
 その方が、よほど悲しいんだって事を。

 そんな……そんな、嘘の笑顔…私は絶対に見たくありません。

「ほら、あゆちゃんも、いつまでもそんなところに立ってないで、いらっしゃい」

 私はあゆちゃんを、自分の懐に招き入れました。

「え?で、でも、ボクは…」

「ふふ、それとも、私に撫でられるのはいや?」

 私のちょっと意地悪な問いに、あゆちゃんはぶんぶんと首を振ります。
「そ、そんなことないよ! ボクは…秋子さんに頭撫でられるの…すごく、好きだよ…」

「それじゃ…」

「うん…」

 あゆちゃんはちょっとためらいがちに、私の方にとてとてと寄りそって来ました。
 私の手があゆちゃんの頭にかぶさると、あゆちゃんは安心したように目を閉じます。

 私は、二人の顔を胸に抱き、頭をなで続けました。
 二人の髪の毛から漂う、清潔な石鹸の香りが鼻腔をくすぐります。

「あぅー…いい気持ち」

「うぐぅ…秋子さん、いい匂い…お母さんみたい…」


 お母さん…

 そうね……

 私は……


「そうよ、私は、あなた達のお母さんなのよ」

「え…」

「で、でも…秋子さんには、名雪さんが…」

「ええ、そう。名雪は私の娘。もちろん、あなた達も、祐一さんも、私の大事な子供達なの」


 そう…

 あなた達は……

 大事な、大事な……


「あぅー…」

「うぐぅ…」

 二人とも、とても安らかな顔で私に抱かれています。

 そんな顔を見ていると、自然と私もとても優しい気持ちになっていくのがわかりました。


 小一時間ほどもそうしていたでしょうか。


 あゆちゃんが、ふと、何かを決意したような顔ですっと立ち上がりました。
 そして、毅然とした表情で、私も知らなかった悲しい事実を話し始めました。

「秋子さん…実は、私達…お別れを言いに来たんだ。」

「お別れ?」

「うん、そうなの…」

 と、真琴。

「どうして?そんな、突然…」

「突然じゃないんだ、これはもう、決まっていることだったんだよ…」

「決まって…いること?」

「そうなんだ…ボクは…秋子さんはもう知っていると思うけど、あの時の…事故で…」

「ええ…でも…」

「ボクは、病院のベッドの上で眠りながら、ずっと思っていたんだ。
 祐一くんに会いたい!
 祐一くんともう一度遊びたい!
 そして、祐一くんにあの時の「かせ」をはずしてあげたい…てね」

「かせ?」

 そういえば、あの時の事故の時、木から落ちた女の子…あゆちゃんの側に、
 小さな男の子がいたって話…それは、祐一さんの事だったのでしょうか。
 では、あゆちゃんはずっとそのことを気にして…

「どうしてこうやって秋子さんや祐一くんと会うことが出来たのかはわからないけど、
 とにかく、こうしてボクはみんなとお喋りできて、楽しく遊ぶことが出来た。
 でもね、それはボクが捜し物を見つけるまでの間だけだったんだ」

「それが……」

「見つかったんだよ……」

 そういうと、あゆちゃんは、リュックの中から泥に汚れた、でも優しい顔をした
 天使の人形を取り出しました。

「これは、どんなことでも、3つだけかなえてくれる天使の人形なんだ…
 もう2つ使っちゃったから、残りはあと1つだけだけどね」

「あぅー…」

「真琴ちゃんもね、人間の姿でいられるのは、限界があって、だんだん、だんだんと
 道具が使えなくなったり、言葉が喋れなくなったりしてくるんだって…」

「…だから…だから、もう迷惑はかけたくない、こんな姿見せたくないと思って、あの日…」

「家から出ていったのね…」

「あぅー…」

「じゃぁ…あの時、商店街で、あなたを見かけたときには…」

「うん…何も…考えられなかったの…ただ、ぼぅっとして、歩いてるだけで……」

 そうだったの……

「もう…困った子…私達は、家族でしょう…?
 迷惑だなんて、そんなことないわ。
 家族は、助け合うものよ。

 名雪も、

 祐一さんも、

 真琴も、

 そしてあゆちゃんも」

「え…ボクも?」
 あゆちゃんはちょっとびっくりした顔になります。
 私はそれに微笑みながら答えます。
「そうよ。あゆちゃんだって、私の大事な家族。…そんなの、いや、かしら?」

「うぐぅ、そんなこと、ないよ…ありがとう、秋子さん」

「お礼なんて、いいのよ…」
 家族なんだから。

「でもね、ほら、真琴ちゃんも、いつまでも秋子さんに甘えてばかりいられないんだ…」

「あゆちゃん?」

「ボクは、この姿で祐一くんと、いっぱい遊んだ。
 一緒に、とっても楽しい時間を過ごしたんだ。

 一緒にたいやきも食べたし、
 一緒に道に迷ったり、
 一緒に探し物したり、
 一緒に、一緒に…」

 だんだんとあゆちゃんの声は涙声になっていきました。

 そして、真琴も、気が付くといつのまにかあゆちゃんの傍らに立ち上がっていました。

「真琴も、真琴も…
 祐一といっぱい遊んだ…
 いろいろいたずらもしたけど、
 一緒にマンガ読んだり、肉まんを食べたり…
 とっても、とっても、楽しかったよ…」

「だから、もう充分…
 もう、自分の本当にいるべき所、遠いお空の上に行こうと思ったんだ。」

 遠い、お空の上?

「あぅー…でも、」

「でもそれじゃあ、本当に祐一くんのためにならないんだ。
 僕たちが急にいなくなったら、祐一くんは悲しむだろうし、心配するだろうし…」

「だから、消えて無くなる前に、お願いしたの」


「この天使の人形に」


「この丘に住んでいる、真琴の仲間達に…」












「ボク達のこと、忘れて下さいって…」

「そして、どうかしあわせになってねっ…って、」















 ……………そんな……!


 こんなに悲しいことがあるでしょうか。

 この子達は、自分の身がどうなろうと、祐一さんを幸せにするために………


「だめよ、そんなこと!」

 私はつい声を荒げました。

「あ、秋子さん?」

「あぅっ」

「そんな、そんなこと…そんなことしたって、誰も喜ばないわ…
 いえ、みんな悲しむだけよ…
 だって、そうでしょう?
 あなた達も、突然祐一さんの事を忘れたりしたら、いやでしょう?
 祐一さんだって、あなた達のことを、忘れたりしたら、それはすごく悲しいことだと思うの…」

 私の口から、堰を切ったように言葉があふれ出ていきます。
 しかしそれは、偽り無い私の本心。

「でも、でもね……」

「だったら、みんなが幸せになるように、
 真琴も、あゆちゃんも、みんながこのまま幸せに暮らせるようにってお願いしたら、どうかしら」


「だめだよ…ボク達がいなくなるのは、仕方ないこと…」

「そう…お願いは、真琴達がいなくなることで、叶うの…」

「それに、ボク達がいたって、邪魔になるだけなんだよ…」

「あぅー…そうなの。祐一は、名雪さんのことが…」


「邪魔だなんて、そんなことないわ。
 それに、そんな、あなた達がいなくなって、そのことを忘れてしまえばいいというの?
 だめよ、そんなの…間違ってるわ」

 それは、この子たちを犠牲にして、幸せになると言うこと。
 でも、そんなもの、幸せとは言えません。

「でも!でも…!
 じゃあ、祐一くんが、ボク達のことを覚えていれば、幸せになれるの?
 ずっと、ボク達がいなくなったことを、ずっと覚えていて、ずっとそれを引きずっていて、
 それで、心から幸せになれるの? それで、今まで通りに幸せに暮らせるの?」

「……!……それは…」

 私は絶句しました。この子達がこんなに思い詰めていたなんて…
 自己犠牲なんて、自己満足にしか過ぎません。
 でも、果たして、それで自己犠牲というものを完全に否定できるでしょうか?

 でも、そんな悲しいこと…そんな、そんなこと…
 いやよ…

 私がどう抗おうと、あゆちゃんはさらに話を続けます。

「だから、お別れなんだ…
 最後にこうして秋子さんに会いに来ちゃったのは、心の中で、秋子さんに甘えたかったからだと思うんだ…」

「あぅー…ここは、真琴の生まれた場所…
 だから、ここに来たのかも…秋子さんを呼んでしまって、ごめんなさい」

「あゆちゃん、真琴…そんなことないわ…私は、あなた達に会えて嬉しいもの……
 絶対に、二人のことを忘れたりしないわ…
 だから、二人だけ悲しい思いして、他の人が幸せならそれでいいって考え方はやめて。
 そんな悲しいこと、いわないで……
 皆が幸せでないと、そんなこと、意味がないのよ…」

 それをきいて、あゆちゃんはにっこりと微笑みました。
 でも、それはとても痛々しい微笑み。
 私が見たくない、でも、見なくてはいけない、微笑み。

「ぐすっ…大丈夫だよ、秋子さん、だってボク達、そんなにいい子じゃないもん。
 自己犠牲なんて、嫌だよ……
 今は、今は駄目だけど…
 今は、どうしても行かなくちゃならないけど…
 ボクだって、真琴ちゃんだって幸せになりたい…
 わがまま、かな、こんな事…」

 私は黙って首を横にふりました。

「よかった…ボクの…ボクの願いは…」

「真琴も…おんなじ…」







「「みんな一緒に、「またいつか」、幸せに暮らせますようにって…」」








「だから……
 いつか、絶対に…
 絶対に…
 みんなが、ボク達のこと忘れても、
 秋子さんの、祐一くんの、名雪さんの、みんなの所に、帰って、ぅっ、来るから…」

 あゆちゃんも真琴も、涙目になりながら、

 笑って、

 いました。

 でも、その目には何かが光っていて。
 あゆちゃんの声は、段々と途切れがちになっていって。

「だから……だから、ね。い、まは、ちょっとだけの、おわ、かれ…」

 私は強く頷いて、
「もちろんよ…絶対に、また、帰って来てね…」

「あぅー…その時は、真琴も一緒でいい?」

「ぅっ、ええ、もちろんよ…あなた達は、私の大事な家族…大事な、大事な娘達ですもの…」

 知らずのうちに私も涙声になっていました…

「うぐっ、だめ、だね…泣いちゃうと、また、秋子さんに、っ、甘えちゃうから、
 泣かないように、って、思、って、き、たのに…」

「あぅっ、あき、秋子さん、」

「二人とも、約束よ、…絶対、絶対に、私達の所に帰って来るって、約束して…
 あなた達は、家族…家族がバラバラになるなんて、絶対、あってはいけないことよ…」

 そうです……
 そんな悲しいこと、
 他の誰が許そうと、
 母として。
 人として。
 この私が。
 水瀬秋子が。
 絶対に、許しません。

「うん、約束するよ…」

「約束…」

「二人とも、いいこね…」


 思わず私は、もう一度二人の小さな体を抱きしめていました。


「うぐ、ううぅ、」

「あぅー…」

「二人とも、絶対に、この、お母さんの所へ、祐一さんの、名雪の、家族の所へ、かえってらっしゃい…」

「うぐ、あきこさ、お母さん…」

「お母さん、お母さん、あぅーっ…」

「帰ってくるよ…帰ってくるよ…」

「絶対に、かえってやるんだからーっ…」

「本当は、ボクだって、秋子さんと、祐一くんと、名雪さんと、離れたくないよーっ…」

「真琴も、真琴も…もっと、もっと、祐一と遊びたいよ…
 名雪さんとも、もっとお話ししたいよ…」

「そう、そうよね…いつでも、帰ってらっしゃい…あなた達の場所は、ちゃんと用意しておくから…
 あなた達のいるべき場所は、遠い空の上なんかじゃないのよ。
 みんながいて、一緒に笑って、お話しして、お食事したり出来る場所…
 それは、家族の……私達の所よ」

「うぐーっ…」

「あぅーっ…」

 二人はそうやって、いつまでも私に抱かれて泣いていました。




「あ…もう、そろそろかな…」

「もう…時間、なの?」

「そうなの…」

「そうだ、忘れるところだった…」

「なに?」

「ほら、真琴ちゃん…あれだよ…」

「あ…あのね、秋子さん、これ、私達からのプレゼント…」

「あらあら、私に何かくれるの? …うれしいわ…」

 そして真琴があゆちゃんのリュックから取り出したものは、

 包装も何もされてないけど、とても優しい赤をたたえた、綺麗な一輪の花……

 カーネーション。

「これって…」

「うん。本当は、母の日に渡すべきなんだろうけど…」

「いいえ、とっても嬉しいわ…でも、どうしてこれを私に…?」

「これって、お母さんに日ごろの感謝をこめて送るもの…なんだよね」

「真琴達、いっぱい、いーっぱい、秋子さんにお世話になったから…」

「その、感謝の気持ち…だよ」

 その言葉を聞いて、私の胸に熱い何かがこみ上げてきました…

 嬉しいというのは、確かに私の本心です。
 でも、それならどうして、こんなに心が締め付けられるのでしょうか。

 その花を受け取ってしまえば、この二人とのお別れを認めてしまう事になるからなのでしょうか。
 出来ることなら、受け取らずに、ずっとこうしていたい……
 でも、受け取らなければ、そのまま二人が居なくなったときに、悲しい思いをすることでしょう。

 でも、これは、最後のお別れじゃない…

 また、会える……




 私は二人の言葉を信じて、ゆっくりと、しっかり、カーネーションをこの手に受け取りました。




 その瞬間……
 また…
 私の声が、かすれていって…


「うっ…ありがとう、すごく、うれしい…駄目ね私、本当は、普通にあなた達を見送ろうと思っていたのに…」
 
「うん、あれだけ泣いたのに…祐一くんとは笑ってさよならしたのに…
 やっぱり、秋子さんには甘えちゃうのかな…ボクも…うぐっ…うっ」

「あぅー…祐一の、読んで、くれた本に書、いてあったよ…
 さよならの時は、泣きたければ、泣いた方がいい、って…あぅー、う ああ、ぁぁ、」

「二人とも…さよならなんかじゃないわ…これは、ぅっ、少しだけの…
 お出かけ…なのよ…」

「ぐすっ…そうだよね…そう、だよね…」

「帰って…来るんだもんね…だ、から…」

 それは、二人とも、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらの、




「「行って来ます、お母さん」」




 お出かけの、挨拶。




 そして、私の目の前に真っ白な光…

 −−−まるで天使の羽のような−−−

 …が広がると、

 いつのまにか、二人の姿は消えていました。



「約束よ…」

 一人、取り残された私はぽつりと呟きました。

 風が吹いています。

 優しい風です。

 そう、とても……優しい風でした。



「うっ…ううっ……」

 私はその場に崩れました…

「約束、したわよ…絶対に、帰ってきてね…ふたりとも

 そうでないと、私、悲しい…あなた達のことは忘れないから、忘れられないから、

 こんない悲しい思いをしたんだから、

 絶対、絶対帰ってきてね…

 それが、

 私の願い……」








(後編へ)

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