シャイアさん、ご用心! その4


 いやはやコートの裾をきゅっと閉じても隙間から冷気が俺の身体を蝕みにやってくる。
 こんな寒空の下買い物をせねばならんとは難儀だなあ。
 まあでもこれも仕方ないと言えば仕方ない。
 何せシャイアにあんなことを言われてはなあ。
 あんなこととはこんなこと。つい30分ほど前のお話だよ。
 俺は腹が減ったなあと居間に向かったのです。
「シャイアくんそろそろ買い物に行ったらどうかね」
「いやですよぉ寒いですから」
 すっかりこたつむしになったシャイアっち。すぽーっとコタツに入ったまま面倒くさそうに俺に返事する。
「だってお前じゃあ今日の晩飯はどうなるんだよ」
「ご主人様、好きな物を買ってきて良いですよお」
 よっしゃあ。何にしよう。ハンバーグかな。カレーかな。そうじゃない。
「お前体よく俺に買い物に行かせようとしてるだろう」
「その通りです」
 そうか、なら仕方ない。きっぱりとしてるなシャイア君は。そうじゃない。
「あのね主人である俺が買い物でメイドなお前がこたつってなんだそりゃあ」
「うー」
 うーじゃないです。
「あっそうだごしゅじんさま、例えば新婚さんとかだとやさしーい旦那様が買い物に行ってくれたりしますよねー」
「俺達は新婚さ」
 んじゃないと言いかけて成る程それは良い! ようし素敵なご主人として俺ちゃん大ハッスルしちゃうですよ!
 と、にこにこ気分で出かけた俺だ。
 しかしこの寒さに俺の気持ちは段々と暗澹たるものになってゆく。
 大体よく考えたらアレだ、新婚さんだったら二人で買い物に行くじゃあねえかこらシャイアめ適当なこと言いやがって。
 それに気が付いたのはすっかり買い物を終えて重い荷物を抱えながら我が門前に戻ってきたときだった。
 おや。
 よく見たら何だか玄関前に不審人物発見。
 こそこそと家の様子を伺っている。
 誰だ?
 不審人物。ううむ。俺か。いや違う、俺は今ここにいる。
 とすると俺以外の誰かだ。
 後ろ姿から察するに、身長は高いがどうやら女の子のようだ。
 髪質が硬いのか、ショートスタイルの髪の毛が後方に向けて拡がっている。ヤマアラシみたい。
 しかし見たところセールスマンでも無いようだし何だ何だ。
 はっ、さては俺の隠れファン。
 ようし後ろから近づいて脅かしてやろうではないか。





「もしもしお嬢さん何をしていらっしゃいますか」
 すると娘さんは、俺に背を向けて家の様子をじっと見つめつつ、
「あっ、いえあのそのええと、この家に友達を酷い目に遭わせた人物が潜んでいると聞きまして」
 なんと! 俺が居ない間にそんな奴が侵入していたとは!
「それであなたは一体何を?」
「は、はい。それを聞いて何て酷い人だろうと頭に血が上ってここまで来たの、です、けれども」
 女の子は玄関をじっと睨んで動かない。
「けれども?」
「怖く、なっちゃったんです」
 恥じ入っているのか語尾は消え入るように小さい。
 あはは可愛らしい。ようしお任せあれこの俺が俺の家に潜む悪鬼外道を退治してくれよう。
 しかしシャイアは無事だろうか。もしやその輩にら、ら、ら、乱暴を。うぬ、許せん。
 シャイアに乱暴をされるのは俺の特権だ。いや、違う。何を言ってるんだ俺は。
「ところでそいつの名前は何と言うんですか」
「あ、はい」
 その女の子はようやく俺の方を振り返る。
 アーモンド型に切れ上がった瞳は意志が強そうでなかなかの美形だ。
 しかし眉毛は情けなく垂れ下がり、それがなんともアンバランスな魅力を放っている。
 さすがに前髪は柔らかく額に被さり、ボーイッシュな雰囲気溢れる中女の子らしさを強調している。
 さて薄めの唇が開き、その悪漢の名を告げた。
「楠井摘人と言うんです」
「それ、俺です」
 一瞬の間。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」
 金切り声をあげて地面にへたり込む少女。いよっパンチラチャーンスと思ったらデニム地のズボンでいやがった残念。
 そうじゃないんだ待って待ってえっえっ俺何もしませんよまだ! まだ!
 この声を聞いてご近所の方々が集まってきたらどうするんだ俺!
「お巡りさん、あの人が私を!」
「見損ないましたごしゅじんさま!」
「違う俺は無実だ!」
 がしゃーん。無情にも冷たく閉ざされる鉄格子。
 そんなのやだー!
 俺は買い物袋を抱えたまま右往左往する。
「なななななんですか今の声はっ!?」
 あっ、これはシャイアの声!
「しゃ、シャイア! 助けてー!」
「はいっ、今、警察に通報しますからご主人様神妙になさってて下さい!」
「するなよバカー!」
「バカとはなんですかバカとは分かりました消防車も呼びますっ」
「おっそれは名案俺の心の火事も見事鎮火だねっさすがシャイア君日本一! だから助けてー!」
「まったくもー」
 がらららんと玄関を開けてシャイアくん登場。やった早くこの場を何とかしてくれ!
「さむーい」
 がらららんと玄関を閉めてシャイアくん退場。こら待てよおおおおい!





 それでですねー。
 結局出てきてくれたシャイアさん、俺達のやりとりを呆気にとられて眺めている少女に肩を貸し、家の中に連れて行きます。
 俺もそれに続きまして、買い物袋を台所に置いて居間に戻ると、さきほどの少女が落ち着かない様子で目の前に出されたお茶をじっと眺めていました。
「はい、大丈夫ですよー、何も、怖いことありませんからねー」
 包み込むような笑顔で少女を安心させようとするシャイア。
「あ、はい、その、すみません取り乱しちゃって」
「この人は今から私がけちょんけちょんにしてあげますから、どうか心を鎮めてくださいねー」
 けちょんけちょんって。
「さてご主人様ぁ」
「は、はい」
 笑顔をこちらに向けるシャイア。
 思わず直立不動の俺なのです。
「何やったんだアンタ」
 怖いよシャイアさん目玉ギラリと光ってるし!
「あ、あの、違うんです、違うんですよー」
 先ほどの娘さん、慌てて腰を浮かせて、シャイアを制止する。
「ふぇ? なんでしょう?」
 シャイアさん人によってころころ態度変えるのは止めないか。新手の芸人か何かか。
「わ、私はその、何もされてません、はい」
「え、そうなんですかー? それじゃえっと、さっきの叫び声は、どうしたんですー?」
「えと、それは、私の友達が酷いことされたって言うこの人が目の前に居たから、その」
「結局なんかやってんじゃないかアンタ」
 ああああっシャイアさんが怖い! 怖いよ! あなた実は別人でしょう!
「俺は身に覚えがねえです! だ、大体っ、その友達ってのは誰なんだようっ!」
 ゆらりとこちらに迫ってくるシャイアから後じさりしつつ、俺は必死に解決の糸口を求める。
「あ、ええっと」
 女の子は少しシャイアに怯えつつ、俺の方を見る。
 俺がそんな記憶喪失とはいえ女の子を虐待なんてしたかもしれないけれどいや自分を信じろ!
 その女はさあ何者だ!
「あの、有葉音芽って言うんですけど」
 よく分かったこれにて万事解決。
「ごしゅじんさまったら音芽さんにそんな酷いことを!」
 信じるなシャイアくん。
 てゆか具体的に何だか分かってない癖に言うな。
 するとシャイアはそれもそうですねえと人差し指を唇に当て、上を向く。
 んー、と唸った後、何を考えたのか、にたりとしたやーらしい微笑みを女の子に向ける。
「それで一体音芽さんはどんな酷いことをされたんですか」
 シャイアくんってば自分以外のえっちネタは好きねえ。さすが女性週刊誌マスター。
「や、いやー! わ、私の口からは言えませんー!」
 顔を真っ赤にして取り乱す女の子。あはー可愛いなあっつうか何を吹き込んだんだあの女狐。
 そんなタイミングでじりりーんと電話。
「はいもしもし楠井です」
「あたしだけどさ。女狐は酷いだろうよ」
 何者だあんた!
「いやま大体あんたが考えることはそゆ段階かなーって。んでいやはやごめーんねぇ騒動持ち込んじゃって」
 電話口の向こうでけらけらと笑う音芽。
 反省してないだろう、絶対。
「んで今そこに那美居るっしょ? 電話代わってー」
「那美ってのかこの子。あいあい」
 と、俺が二人の方を振り返ると、シャイアがうっとりした顔で那美さんの耳元に口を寄せていた。
 それを赤面しながら弱々しく押しのけようとする那美さん。
「ねえね、ちょーっとだけでよいですから教えてくださいよーぅ」
「えっ、でも、そのー、そんなこと、私、ダメです」
 何をしてるんだね君らは。
「あー、こほんこほん」
 わざとらしく咳払いをすると那美さんに半ば覆い被さっていたシャイアがぴょこんと離れる。
「ちっ」
 おい、ちって何だよお前。
「ええと那美さん那美さん。電話っす。音芽から」
「え、音芽ちゃんから電話なんですか」
 音芽。ちゃん。
 あの音芽が。ちゃん。
「ぶうわっはっはっはっはっは」
「楠井ぃ。月のない晩は精々背中に気を付けて歩くことだね」
「ごめんなさい」
 音芽の方にまで聞こえていたかチクショウ。
 まあ良い今後音芽ちゃんって呼んでやる。
「ようし音芽ちゃん今那美さんと代わるからなー!」
「きー! くくくく楠井! よしそっちがそうならおっけい那美にもっと酷いこと吹き込んでやる」
「あっすみませんそれは勘弁してくださいお嬢さん」
「違う違う」
「ん? 何が?」
「お嬢さん、の前に、若くて綺麗な、が抜けてる」
「はい那美さんばとんたーっち」
 シカトして恐る恐る手を伸ばす那美さんに受話器を渡しました。





 ちん、と受話器を置く那美さん。
 音芽との会話が終わったようだ。
 どうやら音芽はきちんと真実を説明してくれたらしく、那美さん、とてーも申し訳なさそうに俺達の方を見てます。
「あ、あ、あ、あの、ごめんなさいっ、私勘違いしちゃって」
「いやいや悪いのは那美さんじゃないし」
「そうですよー、悪いのはごしゅじんさまなんですからー」
 俺でもねえよ。
「な、なんてお詫びしたら良いか私、ええと、その」
「よしそれじゃあ身体で払っていただくと」
 シャイアさんの目がみるみるうちに見開かれていきます。
「言う選択肢もあったりなかったりいや冗談聞き逃してくださいはい」
「え? あ、はあ」
 不思議そうに俺の方を見る那美さん。
 うん、落ち着いた今見てもなかなか可愛いなあ。
 特にこのおどおどした様子が嗜虐心をそそるじゃないかねキミ。
「そ、それじゃああの、私ご迷惑をお掛けしちゃって本当に申し訳有りませんでした! ではええと、帰りますので」
 頭を深く下げて、立ち上がろうとする那美さんを、俺とシャイアの二人でまあまあと押し留める。
「せっかく来ていただいたんだし少しお話でも」
「そうですよー、音芽さんが何をされたかのお話とかー」
 まだこだわってるのかお前は。ゴシップ記事みたいのが本当に好きだね全く。
「ええと、でも、お話って言っても何を」
「お名前とかー。あ、俺はご存じだと思いますけれど楠井さんちの摘人さんです」
「わたしはシャイアメイデンって言うんですよー」
「あ、はい、春日部、那美、です」
「なるほどー。ではスリーサイズは」
 ずどむ! シャイアさんの肘鉄大炸裂。
「うおぐ、げが、は」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
 おろおろする那美さん。ああ何てよい子なんだあー。
「大丈夫です大丈夫です、恥ずかしければ言わなくても結構、黙って座ればぴたりと当たるこの楠井流スリーサイズ占いで」
 ずどむ! ずどむ! シャイアさん肘鉄二連続。
 キミ、肘にパイルバンカーでも仕込んでないか痛い痛すぎるぞそれー。
「すみませんしつけがなってなくてー」
 えへへと苦笑いをこぼすシャイア。俺は一体あなたの何ですか。
 さてふうむ。
「なるほど上から大体81、57、79」
 何の脈絡もなくぬっと伸びてきたシャイアさんの腕によって俺は後ろに勢いよく倒される。
 あいたー! 頭ぶつけた!
 俺が悶えていると、シャイアさんってば立ち上がってなんですかはしたないパンツ見えますよってお前までズボンかよそう言えば。
「初対面の人にまでセクハラしてるんじゃないですよごしゅじんさま。あ? あ?」
 バシッ!
 って痛い! 蹴るな! 蹴るな!
「どうせ那美さんはわたしよりも良いスタイルしてますよへへんだ。へへんだ」
 バシッ! バシッ!
 痛い! そこまで俺言ってません! あっ! あっ! 助けて那美さん!
 俺は助けを求めるように那美さんを見る。
 すると那美さんきょとんとして、
「お二人とも仲が良いんですね」
 出来るなら俺はもっと普通に仲良くなりたい。





 色々と会話を交わした後、那美さんは帰っていった。
 良い子だったなあと俺はまだ痛む脇腹をさすりつつ考える。
 あんな純真な娘さんがまさか音芽の友達とはなあ羨ましい。
「あっそうだ! これはどうだろう!」
「さ、今日の晩ご飯はなににしましょおねー?」
「うん刺身なんてどうだろう。ってシャイアよ、もう少し俺の提案に耳を傾ける振りくらいしてくれよ」
「えー」
 あからさまにイヤそうな顔をしないでください。
「何で嫌がるかくらい分かりますよね?」
 すみません俺が毎度バカなことばっかり考えてるからです。
「と言うわけでご期待通り今回もバカなことだ!」
「はいはい」
 やれやれと言った感じでため息を吐くと、シャイアはティーセットの片づけを中止してこたつに潜り込む。
「さあさ存分に聞いてあげますから気の済むまでバカなことを語ってください」
 そこまで言われるとさすがにアレだなあ。
 だが俺は負けないっ! コートの中ではだってだってだってなんだもん!
 俺はがーんと拳を振り上げる。
「是非アレだシャイアと那美さんをトレードしたい」
「そうですかじゃあ荷物まとめてきますんで」
 ちょっと待ってよシャイアさあん!
「ごしゅじんさまがそんなことを言うからにはわたしもうここに居られませんからっ」
「ごめんごめん冗談だよう俺がシャイアを手放すわけがないでしょってばさあ」
「良いです出ていきますっ。そうしてわたしは那美さんと音芽さんと三人で仲良く暮らすんですー」
 俺は一人かよ!


(つづく)



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