シャイアさん、ご用心! その3


「ふう」
 過去の回想を終えた俺は、煙草に火を付け、煙を吐く。
「と言う訳なんだ」
「なにがですかっ」
 ああやっぱし口で言わないと駄目ですか面倒だなぁああん。
 そもそもシャイアよ、メイドたるものテレパシーの一つや二つ使えなくてはいかん。
「無茶言わないでくださいっ」
 使えてるじゃないか。
 ともかく俺は事の顛末を身振り手振りを交え訥々と音芽に語った。
「そしてその時俺の右手の銃が火を噴いた、ずばばばばばーん」
「脚色しすぎですっ」
 語り終えるころには煙草も殆どが灰と消えていた。ガラス製のアッシュトレイにフィルタを押しつけ、赤色の揺らめきを消去する。
 一筋で有ったはずの煙が溶けていくように空中へ拡散する。
「ちょうど、一ヶ月くらい前の話だな。音芽、これで納得したか」
「くかー」
 寝てるんじゃねえよ。
「おいシャイア、どうよこういう女」
「すぴゅー」
 わあんオレ様一人舞台!
 すっかりいじけて部屋の隅で丸くなり畳の目を数えた俺の肩を音芽がぽむぽむと叩く。
「ああもう冗談だってば。ちゃあんと聞いてたよ」
「はん。お前はともかくシャイアまで寝るとはまあ」
「ん? あの子は」
 音芽がちらりとシャイアの方を向く。
「恥ずかしがってるんじゃないかね」
 テーブルに突っ伏したまま、ぴくーんとシャイアの肩が震えた。
 おやおやまあまあ。
「シャイアくんシャイアくん、狸寝入りは止めたまえ、君は完全に包囲されている」
「うるさいんです、わたしは寝てるんです、寝てるんですー」
 ふふん。ま、そゆことにしといてやりましょう。
「じゃあ、まあ、愉快な話も聞けたことだし、あたしゃ帰るね」
「なんだおい、来たばっかりだろうに」
 立ち上がった音芽を俺は玄関先まで送る。いらちやなー、お前も。
「今度来るときは何かおみやげでも持ってくるからねえ」
「じゃあ鮨詰めでヨロシクお願いしたい」
「あんたあ、あたしに酔っぱらいさながらふらふら歩いてここまで来いって言う気かね」
 いやそこまでは要求しない。だって、そんなの外でやられても俺見られないじゃん。
 音芽は俺に背中を向け、玄関先にしゃがんでハイヒールを履きつつ、ぽつりと漏らす。
「ちょっと顔を見に来ただけだし。それに」
「それに?」
 俺が聞き返すと音芽は声を潜め、
「あの子との時間を邪魔しちゃ悪いしね」
 んんん。
 俺は言葉に詰まる。
 何と言ったものか、俺がちらちらと視線を動かしていると、音芽は振り向き目を丸くして、
「あらやだちょっと鎌掛けてみただけなのに楠井ちゃんたらあの子にマジ惚れ」
「ば。ばばばバカを言うなお前俺はアレでアレがアレでシャイアはアレだからアレで」
「アレアレ五月蠅い。にしても楠井、あんた」
「ななななななんだ俺は無実だ頼む刑事さん俺の話を」
「とりあえず落ち着きな」
 ぺしんぺしーん。平手っすか姉さん。二発もやるのは少々服務規程違反。
 音芽は、俺の顔を覗き込むようにすると、
「あんた、あの子といっつもあんな漫才みたいな暮らしをしてんのかい」
「いいやアレは漫才そのものだと俺は思う」
「あ、そ。ふうん。ま、そゆこともあるんだろーね」
 なんすかその思わせぶりな言葉は。
「乙女は胸に108つの秘密を持っているんだよ」
「おぜうさんあなたもう乙女って歳」
 音芽さんファイティングポーズ。
「スミマセンスミマセン心はいつもガラスの十代」
「物わかりが良くて宜しいこと。んじゃま、またね」
 がらがらがら、ぱたん。
 閉じられた玄関の戸を眺めながら、俺はため息を吐いた。
 全く嵐のような女だ。玄関にはまだほんのりと香水の匂いが残っている。
 なるほど今日の香水は音芽スペシャルNo.557かなんてあからさまなでたらめを頭に並べつつ俺は首を捻る。
 シャイアが来てから全然顔を見せる気配もなかったのに、何だって言うんだ今日は。
 まあいいか。
 俺が居間に戻ると、さすがにシャイアは顔を上げていた。
 こたつに腕まで入って、ぬふーととろけ顔だ。少しくらい緊張したまい。
「おかえりなさいご主人様。あのー、今の女性は、その、お名前は何という」
 おっ。今までまるきりクリーム入りの砂糖菓子みたいな顔をしてたシャイアの顔が突如きりと引き締まり口はぐっと結ばれ目がギラリと光った。
 嫉妬か。さては嫉妬だなシャイア君。ふはははは困った子だ。
「今のは有葉音芽。俺の元彼女だよ」
「ははあ、あるは、ねめさん。とするとあの方がご主人様の、ふうん」
 ふうんだって。ひひひシャイアさん、そんなそっぽ向いて口尖らせて、拗ねちゃったのかな?
「あの人と協力すればこのエロバカを叩きのめすことも或いは」
 あんた何考えてるんだ!





 寒ーい寒い屋外から帰ってきた俺は、一刻も早くこたつに入るべく、玄関の戸を勢いよく開け、ばたばたと居間に向かった。
「すぴゃー」
 なんだねシャイアくんこの頃はこたつで寝てばかりではないか。
 肩から下をすっぽりチェック柄のこたつぶとんに潜らせちゃって、全くまあ。
 まあ肌寒い季節、こたつの誘惑に抗いがたいのも分かるけどほらほら少しくらい自制したらどうだおいおい右手に持ってるのは女性週刊誌かよ。
 ちなみに見出しはこの通り。
『某大女優は電気執事の夢を見るか?』
 SFカヨ。おまいさんそんなの読むの止めなさい。
 っつか、ここに来たときはもっと少しは遠慮ってものも有ったろうに、こんな無防備な寝顔さらしちゃって。
 俺も、信頼されてるのかな。
 いやいやいやただ単にシャイアが間抜けなだけかもあああそう考えたらどんどんそうとしか思えなく、ゥゥゥ。
 どう考えても後者だけど虚しいので前者と思うことにします。わあい。
 あっそうだ俺が舐められていると言う選択肢も有ったぞこれは新発見だあ科学に革命をもたらして人類の文明も飛躍的に発展皆はっぴーはっぴーになっても俺の気分がふさぐばかりなので永劫の闇に葬ります。
 さて俺もこたつに入らせてもらうべえね。
 と、こたつ布団をめくると、にょっきりと伸びている二本の白い足。どっきりでもくっきりでもズッキーニでもなくにょっきり。
 シャイアさん、足が邪魔ですよ邪魔。つんつんしても反応皆無。
 さてどうしてくれよう。
 やはりスタンダードなのはぐっと掴んでこしょこしょくすぐることだが実のところそれはこの間やった。
 結果? 痛かったです。
 じゃあ、アレだ、今日はこうしよう。
 このまま俺は頭を突っ込んで、シャイアの生足をふん掴み、そしてもふーとスカートの中に直行。
 しかしんなことやって顎蹴られたらさすがに命に関わるんで、違う道を模索するんです。
 ううんううん。シャイアの足。足首。足首を掴んで、ん。あ。
 おおこれは電気あんまのチャンスではないか。
 シャイアの足首を掴み、その間に自分の足を滑り込ませる。
 そのままぐっと伸ばし、パンツ越しの股間に足の裏をあてがう。
 そして、一気に、ずどどどどど。
「へにゃあう゛にゃひやあ!」
 たまらず素っ頓狂な声をあげて目を覚ますシャイア。
 びっくりしてばたばた暴れるが、しっかりと足首を捕まえているのでどうってことはない。
「は、ふぅっ、ふぁ、ぁぁぁ。ひ、やめ、て下さぁい」
 段々と漏れる声も甘いものに変化してゆく。俺は手を離すと、シャイアのそばに行き、後ろから抱きかかえる。
 とろんとした目で、無抵抗なシャイア。俺は上から覗き込むようにしながらスカートの裾をめくり上げ、
「こんなに下着を濡らして、シャイア、君はいけない子だね。どれ、俺が脱がしてあげよう」
 おー。
 なるほどこれはすんばらしい。
 とはいえシャイアがそんなに従順とも思えないのでやはり却下です。
「へぷしっ」
 んむ、シャイアくんちっちゃなくしゃみ。おお、悪い、こたつ布団上げっぱなしじゃ寒くもなるわな。
 俺はシャイアの足をそっと横にどけ、用意した座椅子に背を預けてこたつの中に入る。はあ暖かい暖かい極楽極楽。
 蜜柑に混じって籠の中に入っている読みかけの小説を手にとって、ページを無作為にめくりながら栞を探すと、シャイアの足がぱたんと俺の膝に載る。
 足癖悪いなお前ー。
 やれやれ。
 でもせっかくなのでそのままにしつつ、俺は文字を目で追うのです。





 秋の夜長とはよく言ったもので、俺はぼーっとテレビなんて見つつ、シャイアは小説なんて読みつつ、居間の時計が11時を告げるまでこたつでのんびりしていた。
 おおこんな時間かと俺は顔を上げ、さて寝ようかなあとテレビを消して、何となくシャイアの顔をのぞき見る。
 するとちょうど、小説を閉じたシャイアと目があった。
「ごしゅじんさま」
 ふいにシャイアが声を掛けてくる。何となく、内に何か含むものがあるかのような響きだ。
「何だ」
「いえなんでもないんですけどー」
 と、シャイアはもじもじしたまま次の言葉を俺に届けない。何だよ、変な奴だなあと俺が唇を尖らせるとはっと頭に閃く素敵で無敵な発想。
 なるほど二人っきりの夜、静寂が包む居間が持つ日常と非日常の狭間、しんみりしたムードに合わせて、これはいよいよ、あ、愛の告白!
「ふふふ気にせず何でも言うが良いよ」
「うううううー。でもその、ううん、恥づかしいし」
 そう言ってシャイアはほんのり頬を染め、俯いた。
 むむむこの雰囲気これはまさしく!
「ははは奥ゆかしいなシャイアくんはさあどうしたかね君、んんんんん〜?」
「ごしゅじんさまどうしてそんなねっとりした視線を送ってくるんですか」
 おっとしまった、よしここは海よりも広い心を持った父性のイメージで、さあ来いシャイアくん、君の激情を俺が優しく受け止めてあげよう。
「実はその」
「おうさっ!」
「何ですかその妙に気合入りまくりの相槌は」
「気にするなさあ何でもカモンカモン!」
 俺は両手の甲を前に向け指をうねうねさせる。うねうね。これでシャイアも躊躇わず俺に秘めたる思いを告白できるであろう。うねうね。
 おやシャイアなんだその呆れたような視線は。
「そのですねー。この小説が怖くてー、ちょっと話しかけたのですけれど」
 ありゃまあ。何だつまらん。オレ様ちゃんがっくりこーんでもし立ち上がっていたら足下にバナナの皮が有るかの如くすっ転んでいたよ。
「でもご主人様ったらいつもどーりだったので安心しました」
 どういう意味だろう。
 やはりうねうねが悪かったか。うねうね。じっと手を見る。
 まあだがっ、何とも愉快なことを聞いたなあ。そうかシャイアくんは恐がりか。ふふふうふふふふ。
「何笑ってるんですか明かり消しますよほらこたつから出て出て」
 ふふうふふふふふふー。邪険にされてもキニシナイキニシナイー。足蹴にされてもキニシナイキニシナイー。てゆか大概酷い扱いのご主人だな俺も。
 さてそしてその夜、俺はベッドの中で目を閉じつつ、しかし眠らないように、じっと聞き耳を立てていた。
 もうそろそろシャイアがトイレに立つはず、と、暗闇の中、耳に神経を集中させる。
 むっ。シャイアの部屋のドアが開く音を確認しました隊長! イエッサ!
 抜き足差し足忍び足でトイレへ。うむ明かりが点いている。すかさずこんこんとノック。
 中のシャイアさんがたがたがたんと狼狽。
「は、はひー!?」
 素っ頓狂な声だ! げはははははは。
 しかし必死で笑いを堪えて終始無言。無言ー。
「ご、ごごごごご。ごしゅじんさまですよねー?」
 無言。
「ななななななんとか言ってくださいよぉぉ〜」
 仕方ないなあシャイアさんは。
 と言うわけで返事の代わりに電気のスイッチを消しました。ぷつん。
「ひにゃああああああああああああああああああああ!!」
 ううううわうるせえー。
「あひっ、ひあっ、ああああああああああああああ!?」
 あああもうご近所迷惑だろがっ。照明を点けなおして俺そそくさと退散。
 つわけでベッドに戻っておお寒い寒いと震えているとしばらくしてごががーんとドアが開きました。
 やあそろそろ来る頃だと思っていたよシャイアちゃあん。でもごががーんって何だ。俺はわくわくしつつ一割恐怖混じりで布団をがばっとはねのける。
「ごしゅじんさああまああああ」
 泣くか怒るか怖がるかどれかにしなさいシャイアさんとっても変な顔。
「やあシャイア君怖かったかねそうかねそうかね」
「やっぱりあなただったんですねー」
 しまったバラしてしまったまあイイヤ。
 するとシャイアは、肩の呼吸をぴたりと止め、興奮冷めやらぬ姿から一転、急に表情を曇らせると、とたたと俺のベッドに近づいてきた。
「怖かったんです、からぁ」
 俺の肩にシャイアの軽い頭の感触。ふわっとした髪の毛が俺の鼻先を掠める。
 白く細いうなじと、くまさん柄の黄色いパジャマが目に映る。その頼りない小さな肩は何だか震えていた。
 お、お、お、意外な展開。シャイア、そうかそうか、悪かったな、ごめん、と、言おうとしたんだけどさ。
「なんて言うと思いましたかアアン?」
 シャイアさんの手がジャキンジャキンと開いて、バーンと俺の首を挟んで締めあげる。
 いや擬音語だらけだけどマジそんな風に見えたんだってってゆか助けて苦しい死ぬ。
「死ね死ね死んでしまえこの外道ッ!」
 涙ながらに首締められるって何だか痴情のもつれみたいで憧れだけど動機が「トイレの電気消されたから」ってのは間抜け極まりないなあううう酸素がー。血液がー。
「ぱんつ下げてなかったら漏らしちゃうところだったんですからねっ」
「その方が面白かったのに」
 シャイアさんの動きが一瞬止まる。激昂していた顔はまるで水と洗剤でごしごし念入りに洗われたかのようにまっさらでなんの感情も見あたらない。
 やあ許してくれたのかなとか淡い期待を抱いたら首を絞められたままがっこんがっこん揺らされる俺の頭蓋。
 無言かつ虚ろな目で俺を殺そうとするのは本気で怖いので止めてシャイアちゃん。
「このど変態ー。ど変態ー」
 いやそんな棒読みで罵倒されても怖いだけだからあのシャイアさん勘弁してー。
「このっ、このこのこのおっ」
 あっシャイアさんの声に感情が戻ってきました良かった良かった俺嬉しいでも死ぬ死ぬって。
「そんなに漏らして欲しいんならいっそここでしちゃいますよっ」
「それは是非!」
 断固たる決意を携えた瞳の煌めきも鋭く俺は答える!
 さすがのシャイアも反応に困ったらしく、きゅうっと目を泳がせたあと、俺を掴む手を離した。
 ああ助かった助かった。楠井摘人一世一代の大芝居成功。本当に芝居であったかどうかは諸君の想像にお任せしよう。
「はあ、あなたにはほとほと呆れました」
 がっくりと肩を落とすシャイア。ふらついた足取りで出口へと向かう。
「ちょおっとだけ、怖いから一緒の部屋で寝て良いですかなんて言おうとしたわたしがバカでしたよーだ」
 えっ。
 やっ、ちょっ、シャイアさん。あのそれなら遠慮無くあああ。
 ばたーん。立ち上がりかけた俺の目の前でドアが勢いよく閉まった。
 取り残される俺。
 ああんっ、俺のばかー! ばかー!





 夕食待ちの一時です。キッチンからは大変に良い匂いが流れてくるのですが、台所立ち入り禁止令を喰らっている身としては居間でこうしてこたつにあたりながら鼻をひくつかせるくらいしかすることはなく。
 はあ味噌の匂いだ。味噌汁にしてはちょっと濃いめだなあ、ああ腹が減る。座布団の上で貧乏揺すりをしているのにも飽きた。
 目の前には箸と空っぽの小皿。おもむろに俺は箸を両手に一本ずつ構える。
「ごっはんーはまっだかー、まっだかー」
 ちきちゃんちきちゃかちゃかちんちんちゃっちゃっちゃかちゃかちゃかちんちん。
 すると即座にキッチンから怒声が飛んでくる。
「お行儀悪い真似をしないでくださいっ」
 だって腹減ったんだもん。
 ちきちきちちちちゃかちゃっちゃちゃんちゃん。
「どうしてそんなお皿でストンプなんて無駄に器用な真似をするんですかっ」
 もうちょっと素直に褒めてよシャイアさん。
「まあったくもー」
 台所への通路に目をやると、頬を膨らませたシャイアが、お盆に湯気が沸き上がるどんぶりを載せて現れた。
 おっこれは、今日はけんちん汁かー。美味そうだなあ。
 目の前にどんぶりが置かれると同時に、いっただっきまーすと食事開始。おお眼鏡の曇りも気にならないこの旨さ。空っぽだった胃の腑が満たされてゆくー。
「今日はですねー、豚肉が安くて、って、ああもうっ。ご主人様ったら子供じゃないんですから」
 たしなめられるものの、その声音は先ほどと違って険はなく、何だか苦笑しているような雰囲気だ。
 バカにされているような気もするけど、いいんだ別に。シャイアの料理は薄味だけどそこそこ美味いし。
「おいしいですかごしゅじんさま」
「うん、美味いな」
「あやー」
 どんぶりに集中していても、シャイアがにへらとしているのが分かる。全く単純だねシャイアくんってば。
「コレは実に舌先でとろけるような云々かんぬん」
「そんな無理して褒めてくれなくてもいーですよう」
 すまぬシャイア、今度はちゃんと料理漫画を読んで勉強してくるよう。
 む? だがこれは。アレ? 何だか物足りないような。
 俺はどんぶりをテーブルに置き、箸で少しかき混ぜてみる。
「ん〜? んんん?」
「え、ど、どうしました、何か変なのでも混じってましたか」
「いや逆だ。これさあ」
 俺は顔を上げてシャイアの顔を覗き込む。
「ゴボウが入って無いっス」
「アレは嫌いですからー」
 にへへと笑うシャイアくん。そうかー、それならしょうがないなー。
「ってダメに決まっとるがなー!」
 頭に血が上った俺は、テーブルに手を掛け、一気にひっくり返す。
 と、勿体ないし怒られるから、その振りだけするです。空をカッ切るように持ち上がる俺の両手。
 するとシャイアさんよよよとその場にへたり込む。くねくねした仕草で手の甲を目元に当てちゃったりして、芸達者になったねおまいさんも。
 そじゃないんだよ。
「ゴボウ入れようよシャイアさあん」
「嫌いなんですよおー」
「俺は好きなんだっ。好きだっ」
「わたしはきーらーいーっ」
「シャイアっ! お前は俺の何が嫌いなんだっ!」
「だってあなたってばいっつもセクハラばかしって違うでしょうちょっとごしゅじんさま」
 すみませんそうでした。論点はゴボウだったね。
 とりあえず右手を挙げる。
「じゃあ仕切り直し。良いかな」
 シャイアさんもほよんとした顔をして、
「はあ、けんちん汁が冷めない程度でお願いしますね」
 何とも言えないのほほんとした間が今ここを支配する。
 では、さてと。
「何でゴボウが嫌いなんだッ!」
「だって土臭いし固いしっ!」
 再び大激論。
「あのなあゴボウは食物繊維が多くてオリゴ糖も含んでるし健康に良いんだぞう」
「あんな木の根っこをわたしに食べさせる気ですか虐待っ、これは人権問題ですよっ」
 凄いところまで飛んだなあ。
「そこまで言うならええいもう良い、俺がこれからゴボウ買ってきて刻んで入れてやるっ」
「ちょっ、ちょっとお、ごしゅじんさま」
 俺の袖を掴むシャイア。
 ええい止めてくれるなお嬢さん。いやいや、これは。
「じゃあここから寛一お宮ごっこ」
「いえもうけんちん汁冷めますから席に戻って」
 ああそれは大変ださっさと食わねば。
「次からはゴボウも入れますからー、今日は我慢してくださいー」
 しょうがないなあ。
 うう、そんでもシャイアのけんちん汁は美味いなあ、ちくしょうー。
 がつがつがつと箸を進める俺。
「ひへー」
 何を勝ったような微笑みを浮かべてるんだお前はっ、ああもうっ、ジャガイモも味が染みてるー。





「さてごしゅじんさまー、今日のご飯はなににしましょおー?」
「コシヒカリ」
「いえご飯そのものじゃなくてですね」
 分かってます。おかずだね。
「けんちん汁はこの間食ったばかりだしなあ」
「冬ですから暖まるものが良いですねー。お鍋とか汁系統」
 汁。そうだ汁だ。
「シャイア汁!」
 するとシャイアたんは人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて、
「ごしゅじんさまあ、しばらく私のお風呂の残り湯でも飲んで暮らしますかあ」
「むっ。す、少し考えさせろ」
「断ってくださいよっ」
 見事やりこめました。
 ふふふまだまだ俺の方が上手だな。
「もっとだ、もっと強くなれシャイア」
「何の話ですか」
 違うなあ今晩のおかずの話だったか。
「水炊きー、すき焼きー、おでんー、んー」
「う〜〜〜ん」
「悩みますねえー」
「そうだなあ、とりあえずサンプルとしてその残り湯を一杯くれまいか」
「そっちかよ!」
 良いツッコミだ。
 それにしてもシャイアも随分考え方が日本人じみて来たなあ。前からこうだったか。
「シャイアさあん」
「嫌です」
 いや、ただ祖国の料理とか覚えてないか聞こうとしただけなのに!
 日頃の行いっすかー、そうっすかー。
「そう言えばシャイア。お前、ずっとここにいるけど、記憶を取り戻したいとか、考えないのか」
「ごしゅじんさまはどーなんです?」
「えー。と」
 俺は、そうだなあ。
「別に、いいや」
 シャイアがそばにいれば。
 と、俺の心を見透かしたように、シャイアがくしゃっと微笑む。
 な、何だよお。がらにもなく俺は、どぎまぎしてしまった。
「わたしも、あなたと考えてることは一緒ですよ」
 そー、か。そうなのか、シャイア。
 何処まで思考が一致したかは疑問だけど、今は、それだけで十分だな。
「今日はこの辺で勘弁しといてやるっ」
「どこにすっ飛びましたかっ!」


(つづく)



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