シャイアさん、ご用心! その1
今日のターゲットは楠井摘人21歳。
住まいは普通の大きさで、せせこましい庭が少し有る程度だ。
もう実を付けることもない半ば枯れた柿の木が深夜の月光に照らされて幽玄な趣を感じさせる。
俺は玄関に面した道路から、上を見上げる。
二階には明かりの点いている窓が一つ。
この家の主人楠井は若い癖になかなかの資産家。
俺の調べに依れば、小間使いの少女と二人暮らし。
楠井は留守であることは調べが付いてるから、あの明かりはその少女のものか。
まだ起きているとは予想外だったが、小娘の一人や二人、どうって事はない。
これはちょろい仕事だと、俺は玄関の鍵をちゃちゃっと開け、中に忍び込んだ。
物音を立てないように靴を脱ぎ、玄関マットの上に足を乗せる。
と。
ぱぱぱっと玄関の照明が灯った。
「こぉらーっ」
どん、と箒の柄を床に叩きつける音。
ぎゃあシャイア! お前気づくの早すぎるよ!
「なーにしてるんですかご主人様っ、遅くなるなら遅くなるで連絡してくださいっていっつも言ってるのに」
だんだんだんと箒の柄が床を鳴らす。シャイアさん相当おかんむりの模様。
「いや、その、だな。まあ。飲んでいたら。連絡。忘れちゃって」
「今何時だと思ってるんですっ。もう午前二時ですよ二時っ。もーう私眠くて眠くて眠くって」
「待ってて、くれたんだ」
呟くように問いかける。
シャイアは、目を見開いて、く、と言葉に詰まり、トレードマークのエプロンを揺らしながら、くるりと後ろを向く。
照れている。
「そ、そもそも、黙って入ってくるなんて何事ですか。わわわわわたし泥棒かと思って怖くて怖くって」
「いやあ」
泥棒ごっこしてたんだよーなんて言おうものなら、今のシャイアの様子からして箒が飛んで来かねない。
と言うわけで俺は懐柔策に出た。
「ごめん」
後ろから、さっと抱きつく。
小柄なシャイアの身体は、すっぽりと俺の身体に包まれてしまった。
「や!? はやややや、な、何をするですか、へ、変態っ、痴漢っ」
持っていた箒がぱたんと床に落ちる。そしてシャイアの足がわたわたする。ちょっとスネが痛いです。
興奮状態のシャイアは次々と訳の分からないことを口にする。
「ちょちょちょ離してくださいっ、やあだっ、この女性の敵っ、連続猟奇殺人者っ」
俺は何者だよ。
「怖がらせちゃったね、シャイア」
「ご、ご主人様、お酒臭い」
「そりゃ、飲んできたからな」
「酔っぱらって、るんですね?」
「それなりに」
俺はシャイアを抱く力を強める。
パニック状態に陥ったシャイアはかたかた小刻みに震えだす。
茶色混じりの金髪から漂う石けんの香りが心地よい。
何とか誤魔化し切れただろうか?
俺はそれをより完璧にすべく、シャイアの顎に手を掛け、上を向かせようとする。
だが、少し力を入れた、その瞬間。
「ややややややあですーっ!」
シャイアちゃんジャーンプ。げふう。眼鏡を床に転がしてぶっ倒れる俺。
分かりやすいように、正面からスローで見てみましょう。
おおこれはこれは。シャイアさんはちっこいから、頭部が丁度楠井さんの顎の下に来てたんですねー。
これでジャンプってことは顎を思いっきり揺さぶられたわけですね楠井さん。てゆか俺。
ああ世界よさらば。
俺はゆっくりと倒れ伏す。
最後に視界に写ったのは、慌てふためくシャイアの顔。
お前実は、わざとやってねえかと思いつつ俺はあははーと気絶した。
*
まあ、昨夜は俺も悪かった。
で、俺をあの後ベッドまで運ぶのも疲れたろう。
そうだなシャイア眠い眠い言ってたもんな。な。
だからって午後二時になっても起きないってのはどういう訳だメイドさん。
「すぴゅー」
すぴゅーじゃねえよ。
俺は二階にあるシャイアの私室に侵入し、ベッドの前で仁王立ちにシャイアを見る。
全く布団を派手に蹴っ飛ばして、いい気なもんだ。
見ろパジャマの隙間からお腹がちらり。
寝込み襲っちゃうぞー。なんて考える。
「それはだめですー」
ちぇっ。て。あれ。え。
え、お前今、何。
「すぴー」
いやすぴーじゃなくて。
「起きたまえシャイア君」
ほっぺたをぺしぺし叩く。
「何だね楠井君事件かね」
「そうだ事件だ、警察当局としては君の協力を要請したい」
「うにー」
シャイアは目をぎゅうっとつむると、大きく腕を伸ばした。
「おはよーございますー」
体を起こして目を擦る。
ぼさっとした頭の寝癖が可愛らしい。
つうか今の名探偵じみた奴は誰だ。
ともかくシャイアは、まだ意識が半分微睡んでいるようで、口をむにゃむにゃさせて、ぼおっと俺の顔を見ている。
そしておもむろに指を開いた手を俺の前に突き出す。
「後五分」
「却下」
シャイアはふへーと笑う。
「認可」
「おいっ、お前何様だよっ」
「夢の中ではスーパーアイドル裁判官だったのです」
どんな夢だそれ。
「寝てたら襲うぞシャイアくん」
「じゃあごしゅじんさまをしばきたおしてそのあとゆっくりねますー」
にこおと天使の笑顔を浮かべるシャイア。
お前寝起きだと本当に素敵な性格。
「まあ俺としてはずっとシャイアの寝顔を見つめていても良かったんだけど」
「ふにゃ」
シャイアは俺の言葉に間の抜けた返事をしたあと、まず、髪の毛を触り、自分の服装を確認し、周りを見回す。
そしてあーと口を開ける。俺は、ああ来るぞ来るぞおと身構えた。
「でででででで出てってくださあああいっ」
さあシャイアが重くて硬い目覚まし時計を掴む前に部屋からでなくてはとか何とか思考してる間に俺はドアの外に出ていました。
ばさーんと何かがドアにぶつかる。
どうやら今日の犠牲者は毛布君だった模様。合掌。
ああそうじゃなくてだな。俺がシャイアを起こしに来たわけは。
「シャイアー」
頃合いを見計らって俺はドアを開ける。
シャイアは肩で息をしながら、パジャマを脱いでいた。
丁度、顔を通過させているので、俺が見えていないらしい。つうかボタン外せよ。
「むぐー」
もぞもぞとパジャマを脱ごうとする。
おー、もう少しで小学生が付けているようならぶりぃな下着が見えるぞー。
もう少しもう少し。
「よい、しょっ」
おお、見えたー。白くて飾り気も何も無い。ぶははは。
同時にシャイアからも俺が見えた。
おおどうしたねシャイア、そんな、メイドさんが着替えを覗かれたような顔をして。
シャイアは数秒固まった後、にへえと癒し系な笑みを浮かべて、
「ええとこの辺に手榴弾が」
無いよそんなもん、無いよ。無いっ。
何だかベッドの下をごそごそし始めたシャイアを見て、俺は、そんなモノはないと分かっていても、思わず階下に駆けだしていた。
*
「おはよおございます」
少し硬めの挨拶をして、シャイアがとんとんと階段を降りてくる。
今日の服装は白いセーターにオリエンタル調のロングスカート。って。
「お前制服はどうした」
制服というのは当然エプロンドレスのことで有りますよ。
するとシャイアはこともなげに、
「やですよアレめんどくさいですもん」
お、おい。面倒くさいって、お前、メイド、俺、雇用主。
とはいえ先ほどの一件が有るから俺は強気には出られないのだった。
「そういえばごしゅじんさまさっきじけんがどおとかって」
漢字を使え漢字を。
「わたしがいじーん」
さっきまで流暢に使いこなしてたろう。おい。まいいや。
「お前が起きてこないから、俺、自分で朝飯作ろうと思って」
シャイアの顔が一瞬で青ざめる。
「でー、油引いてハムでも焼こうとか思ったんだけどさ、火が」
きゃあああと叫んでシャイアはキッチンに駆けだした。
俺はほてほてとその後を追う。
「火が、点かないんだよ」
キッチンの無事な様子を確認して、シャイアはほーっと肩をなで下ろす。
「わたしてっきり、火が燃え移って火事になったかと」
もしそうなら、俺、随分冷静だな。自分でも惚れ惚れする。
シャイアはガス台のコックを確認すると、訝しげな顔をしてくんくんと鼻をひくつかせる。そして、ひっと息を呑んだ。
「が、ガス臭いっ」
俺はその光景をのんびり眺めながらごそごそとポケットをまさぐる。
「さて煙草でも吸うか」
シャイアさん加速装置オン。俺の手からライターを引ったくった。
「殺す気ですかっ」
「はいすみません」
むしろ俺の方が殺されそうな勢いに思わず萎縮する。
「ガスが漏れてますっ! さ、さ、窓、窓を開けてっ」
ひゃあそれは大変。
シャイアはてきぱきとガスの元栓を締めると、そこら中の窓を開け放った。
「ひー」
冷や汗を拭うシャイア。
「ふー」
俺も一仕事終えたように満足げに息を漏らす。
「やれやれ、大変なことになるところだったなあ、ははは」
「ごしゅじんさま」
ああシャイア君の視線が痛い。
「だーれーのーせいですか」
「寝坊したシャイアちゃんが悪いと思いま」
間。
「すみません俺が悪かったです」
ああ怖い怖ぁい。俺は思わず後ろを向く。まだ心臓がバクバク言ってる。
さっきのシャイアの顔は一生忘れることはないだろう。
「ご主人様は今後一切キッチンに出入りしないでくださいっ」
俺はがばっとシャイアに向き直る。
「何ぃそれでは夢の裸エ」
シャイアさんの表情が豹変する気配を見せたのですぐに口をつぐむんです。
まったくもーとか言いながら、シャイアは料理をするべく冷蔵庫を開ける。
ふむ。一件落着か。
俺はシャイアの後ろ姿を眺めながら、マッチを取り出して、煙草に、
「まだ危ないですっ」
がしっばしっがしゃーん。
はいごめんなさい。
*
まあ何とか食事も終わり。
俺はシャイアにちゅーしたくなった。
理由はない。
ともかくちゅーしたくなった。
あのほそっこい身体をふんづかまえて強引にちっちゃな唇を奪いたい。
よし早速行動だ。ノーリーズン、ノーウェイト。
皿を片づけるシャイアの後を追う。
そろりそろりと忍び足。
よし皿を置いたところで後ろから抱きすくめてうりゃあだ。
そろりそろり。俺はキッチンに足を踏み入れる。
「キッチンに入らないっ!」
シャイアの怒号が轟く。俺はあまりの迫力に吹っ飛んだ。
お前後ろに目でもついてるのかいやすみませんすみません。
すっかり気勢をそがれた俺はしょぼんと居間の座布団に座ってシャイアを待つ。
するとキッチンから聞こえる声。
「ご主人様ー、食後のお紅茶でもどうですかー」
紅茶。お盆。両手ふさがり。抵抗出来ない。ちゅー。
「おお良いね紅茶! 素晴らしいよそれは!」
「止めます」
何を察知したんだシャイア。
「い、いや、普通に飲みたいから、是非頼むよシャイア」
むー、とかうなり声が聞こえたが、次いで、こぽこぽとお湯を準備する音が聞こえる。
よし来た。さあまだか。まだか。
まだか。まだか。
まだか。まだか。
「おおいシャイアくん」
「お紅茶は蒸らさないと駄目なんです」
俺は焦らされると駄目なんです。
貧乏揺すりをすること147回。ようやくシャイアが姿を現した。よし来たどかーん。
「お待たせしまきゃああっ」
さっと近づこうとする俺をさっと避けるシャイア。
だが所詮はシャイアもか弱い女の子最後は俺の腕の中に収まる算段そこに紅茶という要素が介在していなければ。
じゃばー。こぼれる紅茶。
じゃばー。降り注ぐ紅茶。
じゃばー。俺の肩に紅茶。
「ぶわっちゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ああああ!? あああ、ああっ! だだだだ大丈夫ですかっ」
ああああ熱いよ熱い熱いよシャイアさんっ、助けて!
「良かったティーカップは無事」
古典的だなオイ!
「ティーカップは割れたら大変ですけどご主人様は火傷したらおとなしくなって良いです」
お前実は俺のこと嫌いだろう。
シャイアは、ティーカップを拾って、キッチンから雑巾を持ってくると、畳を拭きながら、
「お洋服、染みになる前にさっさと脱いで水につけてきてください。そしたらお薬塗ったげます」
おー。そりゃなんとも嬉しいね。
ぬりぬりぺたーうひひくすぐったいああんご主人様動かないでくださいなんてな。
俺はうきうきと脱衣所に向かい、鏡に映った浮かれた男の顔を見て、少し、人生を考えた。
*
さてとりあえず俺はこう見えても天涯孤独。
風の向くまま気の向くまま、当てのない旅の風来坊でござんす、じゃないけど、資産とかはそれなりに有るらしい。
らしいってのは、俺が記憶喪失だからだ。
俺が初めて自分を自覚したのは欧州の病院の一室。
目を覚ました俺が記憶を失っているのを見て、恋人と称する女が、愕然としていたのを思い出す。
どうもその恋人とかの言う事に依ると、俺は旅行中に事故に遭い、数日間意識不明だったそうだ。
その間、彼女はずっと俺を看病していたらしい。
恋人だったと言うことをさしおいても、その女には、今でも感謝している。
帰国してから、自分の家の住所とか、資産運用の方法とか、あの女が居なかったら、今頃どうなっていたか分からない。
さっぱりとした気性の女だった。さすがに、俺の恋人だったのだから当然と言えば当然だが、俺とはそりが合い、その後もしばらく親交は続いたが、やはり、心の奥底に、どこか、たった一つだけ噛み合わないギアが有ったのだろう、自然にその女は、俺から離れていった。
それとも二人で過ごした日々をもう一度初めから繰り返そうと言うのは、さすがにあの女には、荷が重すぎたのかも知れない。
そんなことはおくびにも出さない奴だったけれど、俺にはそれも含めて、彼女の思いを満たしてやれない自分が、歯がゆかった。
一度だけ、彼女に、そのことを言ってみたことがある。彼女は、それは違うよという風に首を振ると、少し、申し訳なさそうな顔で俺を見つめた。
「違うんだよ、違う、けどさ、やっぱり」
「何だよ」
「あんたは結局、誰も愛していないんじゃないかね」
その夜彼女を抱いたのが恋の終わり、最後の思い出だった。
とはいえ今も友人として、時々は一緒に飲んだり、遊びに行ったりはしている。
だけど、シャイアが来てからは、その回数もめっきり少なくなった。
そうだシャイアだシャイア。
シャイアは今頃煎餅ぼりぼり囓りながらドラマの再放送を見て頬をぽーっとさせてるはずだから、ちょっくらからかいに行こう。
俺は目を通していた書類をとんとんとまとめて机の引き出しにしまい、鍵を掛ける。
階段を降りて、一階の居間の前まで来た。
「さてはてシャイアくん元気かなー」
と、襖を開け放って元気な声を掛けようとして、前に、「うるさい今いいとこなんですから」と煎餅を投げつけられたのを思い出す。
あの時は何とも情けない気分になったものだ。
よって小声で囁きながら居間の戸を開ける。ああ慎み深い俺様。さてシャイアくんどうかね。
「くかー」
寝ていた。
テーブルに突っ伏してるシャイア。テレビでは椎茸が血液に良いらしいと言うことを司会者が主張していた。
手には食いかけの煎餅。昼寝にもお前もうちょっと自律をだな、持って。持って。あ。
ボブカットの隙間から覗くシャイアのうなじ。
視線がそこに向かい、ごくりとつばを飲む。
後れ毛がなんとも可愛らしい。
んんん。
俺はテーブルに横顔を付け、シャイアの顔をのぞき見る。
ちっちゃい鼻が開いたり閉じたりしながらすぴーと寝息を漏らしている。
俺はふむうと唸りながらシャイアの手から煎餅を取り上げる。
わあい関節キスだやったあドキドキなんて馬鹿なことを言うつもりは毛頭無いがぽりぽりと美味しく戴きました。
そうだなあ、まず後ろから抱きしめて、首筋に唇を当てて、寝惚けたシャイアがこっち向いたところで唇奪って、セーターの隙間から手を差し込んでブラをずらしてそのまま後ろに倒れて座布団の上でふふふふふー。
ようしと俺は背後に回って一歩踏み出し、手と顔をゆっくりと近づける。
もう少し、もう少し。
「ふかー」
シャイアさんの容赦ないバックナックル大炸裂。
ワタクシ綺麗にノックダウン。
お前の存在は対人トラップか何かか。
(つづく)
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