伝統ある双月堂家の年越し 2009


 年の瀬。とっぷりと夜も更け、街中は新年を迎えるためのどこか浮き足だったようなムードにあふれかえり、響き渡る除夜の鐘の音がそれを打ち消して鎮めている。
 しかし煩悩を打ち払うというその音色も、双月堂家のかしましい従者達の部屋にまでは届かないようであった。
「来年は寅年で〜す。わ〜♪」
「わ〜♪」
 体中が煩悩と欲望に満ちあふれている寅野清子と市松則恵は、こたつに入りながら諸手を挙げて万歳をしている。台所からくすねてきた新年用のお屠蘇を引っかけたのか、テーブルの上には白いとっくりと猪口が転がり、満面の笑みを浮かべる二人の頬も紅い。
「私の年なので誰を襲っても自由なので〜す。わ〜♪」
「一番に襲われちゃうのは私かなっ、私なのかなっ。きゃあ困っちゃうー♪」
「え、イバラ様を襲うよ?」
「えっ」
「えっ」
 二人はぽかんと口を開けて互いの顔を見合わせた。
 その赤く染まった二人の頬に向けて、側方からぴん、ぴんと弾いた指を当てられる。
「あいたぁい」
「あいたぁい」
「あなた方主人を目の前にして何ですのその態度は!」
 ぷん、と頬を膨らませたこの屋敷の主、双月堂イバラである。主人同席にもかかわらず不遜な物言いをする二人に対し、呆れ半分に叱責する。
 頬を弾くため伸ばした両手を寒そうにそそくさとこたつの中に戻し、どてらの前をきゅっと締める。そんなイバラをにへらっと緩んだ顔で見つめて、二人は悪びれず答える。
「酔っぱらってますからぁ」
「からぁ」
「酔ってなくても同じようなことを言う癖に。逆に言えばあなた方はいつでも酔っぱらっているようなものでしてよ?」
「えへへ」
「照れますねえ」
「褒めてませんわ!」
 まるで懲りない二人のメイドに、イバラは口をとがらせる。
 尤も、彼女自身、今年もこの部屋に来てしまったのは、そんな二人の雰囲気を味わいたかった、と言う要素も否めないのだが。
「大体、ですわね。寅年だから清子が好き放題……と言うお話は、去年既に水女に咎められていたのではなくって?」
 片目をつぶり、口の横でイバラは人差し指を立てた手を前後に振る。そこを指摘された二人ははっとした顔になって、またも顔を突き合わせる。
「どうしよう則恵ちゃん、私の野望がぁ」
「どうしようねえ、困ったねえ」
「ばれないかなあ、きっとばれないよね」
「そうだよばれないよ! やっちゃえ清子ちゃん!」
「はっ!」
「せやっ!」
 そこまで言い合うと、二人は俊敏な動作でこたつから抜けだし、入り口のドアをがっちりと押さえた。
「ぎゅっ」
 ドアの向こうから、がた、がたと言う物音と共に、奇妙な叫びが上がる。
 何事が起こったのか分からないイバラは、いかにもぽかんとした様子で一連の流れを見ていた。
「あの……え、何ですの……?」
「ふぅー良い仕事したぁー」
「ご安心下さいイバラ様、悪は封じました!」
 二人はドアから手を離し、何かをやり遂げた爽やかな顔で仁王立ちしている。汗などかいていないのに、袖で額を拭ったりと、小芝居を挟むのも忘れない。
「双月堂家の平穏のためであれば、悪にでもなりましょう」
「へぎゅっ」
「ひぎゃっ」
 そしてドアを押さえるのを止めれば、当然物音の主――タイミングを見計らって入ってこようとしていた、メイド長竹串水女が堂々と姿を現す。開け放たれたドアに激突した二人のメイドはめいめい叫び声を上げるが、水女がそれを気に掛ける様子はない。
「イバラ様、失礼いたします」
 彼女はドアを閉めると先ほどまで清子が座っていた席に腰を下ろし、何の感情も読み取れない顔でメガネの蔓を弄る。
「新年を迎えるための準備は完了いたしました――しかるにイバラ様、そのご様子は如何なものですか」
「だって落ち着くんですもの……」
 水女の眼光から逃れるようにイバラはついっと視線を逸らし、口をとがらせる。
 普段よりもずっと次期当主としての威厳は無く、この部屋に蔓延するムードにすっかり毒されてしまっている様子だ。
「仕方がありません。今ぐらいは肩の力を抜いていただき、新年の儀に備えていただきましょう」
「毎年同じようなことを言われている気がしますわ……とはいえ、感謝いたしますわ」
 水女の寛容な言葉にイバラは不精不精ながら頷く。
「竹串様ぁー、私達の心配もしてくださいよおー」
「あううぅー、私の席ぃ」
 そして、ようやく痛みから脱した二人は、自分の肩の前で両手を握り拳にして、分かりやすい不機嫌アピールをする。水女はそれを一瞥だにしない。
「主人に無礼を働き、不埒な欲望を語り、私を部屋に入れまいとするようなメイドに何の気遣いが必要でしょう」
「ああ。あのぎゅって言う声は貴女でしたの。意外とかわい」
「こほん」
 全ての事態を察したイバラが、素直な感想を言いかけると、水女は何故か急ぎ咳払いをして主の発言を遮った。
「はっ! 分かったよ清子ちゃん!」
「何々則恵ちゃん!」
「竹串様が清子ちゃんの席に座っているってこーとーはー」
「こーとーはー?」
「寅年を祝って抱っこしてくれるっていうことなんだよ!」
「そうだったんだー!?」
「イバラ様。大変失礼なことをお聞きいたしますが、このお屠蘇は」
「知りませんわよ。わたくしは当然飲んでおりませんわ。二人が勝手に持ってきたものじゃなくって?」
「なるほど、分かりました。お仕置きが必要なようですね」
「やったね清子ちゃん〜! 竹串様抱っこなんて超レアだよー」
「やあん竹串様もついにデレ期なんだぁ〜」
 メイド長が粛々とテーブル上の酒について把握する間にも、二人はてんでに盛り上がっている。
「清子。来なさい」
「ひゃああああ! 畏まりましたぁ♪」
 と言うわけで、水女に呼びつけられたときも清子は全くの勘違いをして、喜び勇んで水女の太股の上に尻を乗せた。
「……」
「……♪」
 無表情な水女と、何かを期待してわくわくしている清子は、互いに見つめ合う。
 水女は一瞬思案するように瞳を横にずらしたが、すぐに元に戻し、そして何の兆候もなく清子の脇腹をぐっと掴んだ。
「ひぎゃ! ひや! ひにゃ! 竹串様ダメそこ弱いいいい!」
 途端に清子は敏感に反応して、背筋を伸ばしたりべたっとテーブルに突っ伏したり忙しく跳ね回る。
「貴女にしては面白いお仕置きですわね」
「恐縮です」
「イバラ様見てないで助けて! くしゅぐったいいっ! 涙出ちゃう! 鼻水も出ちゃう! 涎もぉ! やあん女の子として大事なもの無くしちゃうううぅっ! ふにゃっはははははー!」
「貴女が今更何を無くしますの?」
「え。恥じらい、とか……? ひにゃひにゃひにゃひにゃごめんなしゃごめんなしゃいいぃぃ!」
 いつも通りの軽口も、水女の手によって簡単に封じられてしまう。
 元々の自分の席に戻った則恵は、人差し指を咥えてそんな親友の様子をじいと見ている。
「いいなあ清子ちゃん。竹串様ぁ、次私ですよー」
「何で楽しもうとしてるの則恵ちゃん!? これすっごいつらいよ!? ひぃぃにゃひいぃっ! 死ぬ死ぬううぅうぅ」
「殺しはしません」
「瀕死と言うことですわね、水女」
「御意に」
「いやあああ二人とも何だかなまなましいっ! こわいっ! あひゃっ、ひいいぃ、たしゅけてえ」
「竹串様ぁ。交代ー」
「則恵ちゃん結果的に助けてくれてるけれど私複雑だよっ!」
 清子が喚き散らしている間にも水女は全く動ぜず脇腹へのくすぐりを続けていたが、則恵に袖を引かれるとようやく手の動きを止めた。
 しかしその口からは、二人を落胆させる言葉が飛び出す。
「則恵にはしません。よって、交代はしません」
「えええっ!? 何でですかー!?」
「ひいいい!? 何でですかー!?」
「はあん。それが則恵への罰というわけなのですわね」
「お察しの通りです」
 何となく好奇心から欲している則恵は無視し、もうイヤと逃げ腰の清子だけを執拗に苛む。これでは互いに苦しいばかり。水女の意図を理解して、イバラは、ほほほ良い見せ物ですわと清子が悶える様を視姦しはじめた。
 さて面白くない則恵は、握り拳を振り上げながら眉を寄せ、子供のような顔で不満を訴える。
「うーうーうー! ずーるーいー! あっ! じゃあイバラ様っ! こ、こちょぐってくれませんか?」
「ごめんこうむりますわ〜♪」
「なんでイバラ様ごきげんなんですかぁー! 私達を苛めて楽しいですか−!」
「とっても愉快ですわ〜♪」
「ううっ! 私達の主人はとっても冷酷なサディストだったんだよ清子ちゃん!」
 則恵は大仰に仰け反り、いつもの調子で清子に軽口を振る、が。
「うひゃ、ふひゃっ、えひゃひひひひひぃ、いひいいぃぃ!」
 悶絶し続けている清子には、それに答える余裕など一欠片もなかった。
「清子ちゃんが相手してくれないなんてええっ! あああん! 誰か構って下さいよ〜!」
「おおおっ、おほっ、ほほっ、ふひゃひゃひゃにゃひいいぃぃっ! も、だめ、おちっこもれちゃう、うっ、ひゃひ!」
「漏らしたらさらにお仕置きが必要ですね」
「ほら則恵、丑年はもうおしまいですわよ? もうだ〜れも貴女の相手はしませんの♪」
「んもぉ〜!」
 牛によく似た鳴き声を発して、則恵は掌でテーブルをぱんぱんと叩いた。


(終わり)