伝統ある双月堂家の年越し 2008


「今年も終わりですわねえ……」
 何処からか聞こえてくる除夜の鐘の音を聞きながら、イバラは物憂げに顔を伏せながらしみじみと呟いた。
「あ、あのうイバラ様」
「そ、そのうイバラ様」
「何か?」
 大晦日の夜。
 仕事を終えてくつろいでいる侍従の私室に断り無く入ってきて、おもむろにこたつの中に足を入れてきたイバラが、二人に何を言うでもなくそんなことを呟くものだから、同じようにこたつに入っていた則恵と清子は唖然とするしかなかった。
 最近とみに大人びてきたイバラの横顔。美少女から美女へと移り変わりつつある、気品のある顔立ち。真冬の寒い夜に、そんな彼女がアンニュイな顔で佇んでいるのは誰であろうとも心惹かれる光景であったが――
 何処で手に入れたのか、ふわふわのどてらを着込んでいては台無しである。
 こたつの中を占有するかのように、腰を深くに入れ、両腕も布団の中に入れてしまうイバラ。
 今彼女を双月堂イバラたらしめているのはその憂いた表情と、ヘアバンドで後ろに流されたふわりとしたロングヘアのみであり、それ以外の部分はこたつに食われた自堕落少女でしかない。
 敬愛すべき主人を茫として見つめていた二人のメイドは、ようやく声を掛けたが、しかしイバラは顔を少しだけ持ち上げて、きょとんとしているばかり。
 年の瀬、年末の挨拶回りや、新年会の準備などを終えた後、疲れた身体を癒しに二人の部屋にやって来ることは、彼女の中でもう決定したスケジュールの一つであるらしい。
「お蜜柑、いただきますわね」
 手を伸ばし、籠の上に山と積まれた蜜柑を掴み、しかし自分の目の前に置くとそのまま手を引っ込めてしまった。
「手が寒ーいですわ」
 せっかく暖まりかけた手を外気に出したことで、寒気の方が食欲よりも勝ってしまったらしい。イバラは恨めしそうに口元をむずむずとさせている。
「剥いてくださいまし。食べさせてくださいまし」
「あふー」
「ふあー」
 私室に乱入してきた上、子供のような我が儘を言うイバラの態度に、メイド二人は怒るどころか顔をほころばせて喜んだ。
 元々世話好きの二人である、最近成長著しく大人びてきた主人が、ふと力を抜いて甘えてきてくれるのは彼女たちにとって望むところであった。望むところでありすぎた故に、二人は少々行きすぎてしまうのだが。
「じゃ私剥きますねっ! 剥き剥きしちゃいますっ、硬く閉じこもった皮を、優しく、そして強引に、べりべりってぇ!」
「それじゃ私食べさせます! 酸っぱい房を無理矢理イバラ様の高貴なお口にむぎゅって詰め込んでぇ!」
「……自分で剥きますわ。食べますわ」
 喜びの余り興奮して鼻息まで漏らし始め、何やら不穏な言い方をするメイドたちにいい知れない不安を感じ、イバラは冷たい目線を送った後不精不精手を出した。
「残念です」
「無念です」
「わたくしもですわ」
 それぞれがそれぞれの思惑で肩を落としてため息を吐く。
 もそもそと蜜柑の皮を剥きながら、イバラはふと目の前のテレビ番組に目を向ける。
 年末らしく、新年を迎えようとする神社仏閣や企業店舗などが特集され、イバラはくたびれた目でそれを見つめ、気がついたことを口に出そうとする。
「ああ、そう言えば来年は――」
「わあいイバラ様の足つめたあい♪」
「ああん温めちゃいます♪ おみ足握っちゃいます♪」
「私なんて足を絡ませちゃうよおっ♪」
「ああっ則恵ちゃん、それ無礼だよ、失礼だよ?」
「違うもん温めて差し上げるだけだもんっ」
「あなた達聞きなさいっ!」
 こたつの中を占有中の自分の足を、それぞれきゃいきゃいと弄くりまわして盛り上がっている二人を一喝する。
 二人は神妙な顔をして姿勢を正し、ぴたっと張り詰めてイバラの顔を見た。
「あ、いえその、そこまで大事な話でもないのですけれども……」
 ちょっとした世間話をしようとしただけのイバラは、二人の恐縮した態度に少し狼狽した、が。
「そりゃー♪ この隙にイバラ様の両足は私の太股の上に乗せちゃいますよー♪」
「あっあっずるういずるうい! そ、そ、それじゃあ私、こたつに潜り込んで足の付け根のぉ」
「それだめそれだめえっ。そ、そっちは二人でやろう? ね、ね、二人で」
「こたつで暖まったイバラ様の大事なところを、二人で両側からぱっくん……い、い、いいねそれ!」
「……」
 イバラは右手で則恵の頭を掴む。
「ほへ?」
 イバラは左手で清子の頭を掴む。
「はへ?」
 そのまま両手を中央に寄せ、二人の頭をごっつんこさせた。
「いたあい!」
「いたあい!」
「落ち着きなさいっ!」
 どんどん不穏になってくる二人の態度に、イバラは声を荒げた。
「こほん。来年は――丑年ですわね」
「じんじんするよう。あ、そ、そうですね」
「ひりひりするよう。え、あ、それが何か」
 二人に付き合っていては神経が持たない――イバラは強引に話を進めた。
 しかし、二人に見つめられて、イバラは口ごもる。ほんの他愛ない話のつもりだったのだ。
「……いえその、それだけなのですけれど……」
「ええー」
「そんなあー」
「それだけのことを言わせてくれないあなた達こそなんですのっ!?」
 ぶうぶうと文句を言う二人に、イバラは怒って誤魔化した。
「あ、でも、丑年と言えばあ」
 しかしすぐに、何か思いついたのか則恵が快活な顔で人差し指を立てる。
 ようやく普通に話が出来る――と落ち着いたイバラは、むき終えた蜜柑の房を一つ、口に運ぶ。
「はいはい、何ですの?」
「来年は牛さんのコスプレとかしちゃいましょーか。メイド全員で」
「ぶっ」
 危うく蜜柑を噴きそうになってしまった。
 どうにもこのメイド達には清楚とかほのぼのとか、そう言った当たり障りのない話題は出来ないようであった。否、和やかであると言えばそうとも言えるが――
 こたつで身体が温まったせいか、今の話にもぽやんとその光景が頭に思い浮かんでしまった。
 イバラはやや諦めがちに、思考を淫猥な方面に切り替える。
「でも、ふふ、それはそれで楽しそうですわね……そうしたら則恵? 貴女はイヤらしい雌牛ですわね?」
 人差し指を唇にあてながら、則恵の豊満な乳房を見つめるイバラ。
「や、やだあイバラ様……♪ 私、おっぱい出ませんよお?」
 言いつつも満更ではない表情で、則恵は照れたような笑顔を見せる。
「あら、それはどうか分かりませんわ。何せ雌牛メイドですもの……新年からぎゅうぎゅうと搾ってしまいますわよ?」
「いやあん♪ ホルスタインおっぱい、イバラ様に揉みこねられておかしくなっちゃ……う……」
 猥談に盛り上がり、身をくねらせて喜ぶ則恵であったが、ふとその表情が凍り付き、正面を見たまま動きを止める。
「どうなさったの?」
 それを見たイバラは不思議そうに首を傾げ、その視線の先を追う。そして則恵同様、ひっと唸って二の句が継げなくなった。
「……いいいいよねえ則恵ちゃんは……おっぱい大きいからああああ……」
 控えめな乳房を持つ清子が、薄笑いを浮かべながら、世にも恨めしげな声を出してこちらを上目遣いに睨み付けていた。
 いつも仲良しいつでも一緒なメイドコンビの片割れとしては、相方のみが大いにフィーチャーされるその発案がよほど腹に据えかねたらしい。清子は今までに見せたことのない般若のような形相で、首をギギギと捻りながら則恵に恨み言を繰り出す。
「良かったねええ則恵ちゃあああん? 新年からイバラ様にきゃっきゃうふふしてもらってええええ?」
「そ、そんなことないよ清子ちゃんっ!?」
「私のことなんて気にしなくていいいいんだよおお? 私は隅っこでお掃除でもしてるからあああ、その牛ぱいたっぷり愛して貰ってねええええ?」
「あ、あのそのっ、その、清子っ」
「なあああんでしょうかイバラさまああああ」
 主人に対しても、同じような面相で対応する清子。その恐ろしさにイバラはあたふたとして、何とかご機嫌をとる考えを巡らす。
「そ、そうですわっ、再来年は寅年でしてよ、清子っ」
「そ、そうだよ寅野清子ちゃん、やったねっ!?」
 清子の本名にかこつけて、二人は何とか清子の怒りを静めようとする。
「ふうん……? でもそれ、何が楽しいんですか? 虎ですよガオー……って」
 二人の言葉に、清子は少しだけ表情筋を緩ませる。しかし、口元は不満げに尖ったままだ。
「えっとね、えっとね……虎さんは、みんなを襲ってもイイってことどうかなっ」
「そ……そうですわね、則恵とかをがおーって好きなように出来るんですのよ!」
 それを聞いて清子は、しばらく口を突き出させたまま黙っていたが――ふと、今までの不機嫌はどこへやら、ぱああっと顔を輝かせた。
「いいっ! それいいです、素敵ですようっ! 私私、襲っちゃっていいんですね、みんなをっ!」
「え、み、みんな……?」
 清子の機嫌は直せたものの、その変貌ぶりに今度はイバラが顔を曇らせる。
「則恵ちゃんのおっぱいを、虎の爪でもぎもぎしたりぃ……イバラ様のを、ぱあっくり♪ 独り占めしてかぶりついたりぃ……再来年が楽しみですよー♪」
「あ、わ、わたくしもですのっ!?」
「イヤなんですか……?」
 賛同した手前、強くは断れない。まだ先のこととはいえ、再来年には清子に自分の身体を欲望のままに弄ばれるのか――と、イバラが困ったため息を吐いた、その瞬間。
「そんな狼藉をはたらく虎は、私が捕まえましょう」
「きゃあっ!?」
「ひゃあっ!?」
「み、水女っ!?」
 何処にいたのか、何処まで聞いていたのか。
 双月堂家メイド長竹串水女がドアを開け放って仁王立ちしていた。
「……寒いですね」
 呆然とする三人を余所に、水女は後ろ手にドアを閉め、のしのしとこたつに近づいてゆく。
 そして清子の背後に座り込むと、その両腕を羽交い締めにした。
「我が儘を言ってイバラ様を困らせる悪い虎ですか。許しませんよ」
「や、やーっ。まだ何もしてませんっ、ごめんなさいイバラ様ぁっ、許して竹串様っ」
 無表情のまま清子を捕まえる水女に、イバラはもう何を言ったものか――ただ呆れて、疲れたような笑みをこぼす。
「水女もここに来たのですわね? やっぱり」
「イバラ様はおそらくこちらだろうと思いまして。新年を迎える準備は滞りなく完了させて参りました」
「ご苦労様ですわ」
「私を捕まえたまま会話しないでくーだーさーいー! 竹串様の身体冷たいですようっ」
 泣き笑いの顔で、わたわたと暴れる清子。そんな清子を、則恵は指をくわえて見つめていた。
「良いなあ清子ちゃん、竹串様に抱っこして貰って」
「抱っこじゃないよっ!? 抱っこじゃないもん!?」
「メガネがずれます。暴れないように」
 水女の謎の懲罰であるが、確かに抱っこしてもらっているようにも見える。
 水女の冷たい身体を押し当てられ、こたつから半分引きずり出された清子には確かに罰であるとも言えるが――
「なんだか楽しそうですわねえ……則恵も抱っこされたいんですの?」
 そんな二人を見ながら、イバラは少しだけ羨望が滲んだ言葉を漏らす。すると今度は、則恵の瞳がきゅんと輝いた。
「あ、いえっ、そんな、イバラ様に抱っこしていただけるなんてっ!? 夢のようですようっ!」
「そんなこと言っておりませんわっ!?」
「あ、い、いいえむしろ抱っこしてさしあげます、いいい、イバラ様、どうぞどうぞ、いらしてくださいっ」
 興奮気味にまくし立て、身体を少しこたつからずらして、イバラを乗せる体勢になる則恵。
 一人で突っ走る則恵に、イバラは肩をすくめたが、則恵の豊満な肉体は確かに柔らかそうで、心惹かれるものがあった。
「仕方がありませんわねえ……それじゃ、少しお願いいたしますわ」
 立ち上がり、イバラは則恵の太股の上に尻を乗せる。と、途端に腰に腕を回されて、柔らかな乳房の感触を背中に押し当てられた。
「んふっふ〜ふ〜♪ イバラ様を抱っこ〜♪」
「ああああいいなあ則恵ちゃん、いいなああっ!」
「そうですね。イバラ様に暖を取っていただくなら、三人中則恵が最も適任でしょう」
 興奮して顔を擦りつけてくる則恵と、泣きそうな声を上げる清子、そして冷静に分析する水女。
「やれやれですわ、もう……」
 イバラは則恵の肉体にのし掛かりながら、喧噪を余所に穏やかな気分に浸る。その気分のまま、イバラは慈愛に満ちた笑みを浮かべて手を開き、目の前の二人に話しかける。
「水女、そろそろ許して差し上げて? 清子いらっしゃい、抱っこしてさしあげますわ♪」
「きゃわー♪」
 奇声をあげる清子であったが、しかし彼女を捕まえている水女の手は緩まない。
「いけませんイバラ様。双月堂家次期当主たるイバラ様が使用人を抱っこするなど」
「良いではありませんの、今更、別に」
「それに、そういたしますと私の行くあてがなくなります」
 イバラは、水女の言葉にぽかんと口を開ける。
 確かに、三人で抱き合ってしまっては残る一人がそこに混ざるのは困難になってくるだろう。
 と言うことはつまり。
「水女。あなたも抱っこしたりされたりしたいのですわね?」
「あややそうなのでしたかー」
「はややなんとそうですかー」
「……そう言う意味では、ございません」
 三人に見つめられて、冷静に否定する水女。
 しかし彼女の目線が、やや後ろめたそうに逸らされたのを、三人とも見逃すことは無かった。


(終わり)