伝統ある双月堂家の年越し


「はあぁ」
 しきたりに乗っ取った教育を受け始めて半年余り。慌ただしいこの一年は、イバラのため息と共に過ぎてゆこうとしていた。
 遠く耳を澄ませば煩悩を打ち払うという除夜の鐘の音が聞こえてくるが、しかしてぼんやりとテレビを見ているイバラには無縁のものであった。
「今年は、本当に疲れましたわ……来年も、こんな調子なのかしら」
 そう呟いてイバラは、少々はしたないかと思いつつもテーブルに顎を載せ、ぐったりと力を抜く。
「あのう、イバラ様」
「そのう、イバラ様」
「どうかなさって?」
 おずおずと、二人のメイド――則恵と清子がイバラに声を掛ける。
「お部屋でお休みになった方がよろしいのでは」
「イバラ様ともあろう方が、そんな、私たちの部屋のおこたに入ってるなんて」
 そう。イバラは今、二人の私室にふらっと現れて、こたつに入ってミカンをもそもそと食べるという――実に庶民的な振る舞いをしているのだ。
「あら。迷惑だったかしら?」
「とんでもありません!」
「けどおー」
「ねぇー」
「いいじゃありませんの、たまには。年が明けたらまた新年会やらなにやらと忙しくなるのですわ、少しはこういう地味なところでのんびりとさせなさいな」
 主人と一緒にこたつに足を入れるなど初めての経験であり、二人は少し緊張しているように見えた。
 肩を並べてそわそわしている二人を尻目に、イバラはとろりと眠そうな瞳でテーブルに頬を付ける。その無防備な表情は、則恵と清子ならずとも胸をときめかせてしまうような魅力があった。
「それじゃ、その。お風邪を召したら大変ですから、もう少ししたら寝室にお連れしますけども」
「それまではどうぞ、ごゆっくりなさってくださいねー♪」
「感謝いたしますわ」
 安息に満ちた顔をして目を閉じるイバラ。そして、まるで眠りについた子猫を見守るかのように、二人のメイドは口元をゆるませてそんな彼女を見つめているのであった。
「イバラ様かわいいねー」
「ねー」
「ほっぺつついてもいいかな?」
「バレないかな?」
「聞こえてますわよ……?」
「ひえ」
「ひえ」
 大仰に怯える二人に苦笑しつつ、しかしそのくらいの悪戯は許してやっても良いだろうと、いつになく平穏な気分のイバラは思う。
 テレビから聞こえてくる流行歌をBGMに、いつしかイバラはうとうとと意識を沈め始めた。常に厳格に、規律正しい生活を送っているイバラにとって、うたた寝などと言う自堕落な行為は少々罪悪感をともなったが、しかし同時に得も言われぬ幸福感がイバラを包んでおり、まさしくのんびりとした一時であった。
 しかし残念ながら、そんな穏やかな時間はそう長くは続かなかった。
「則恵。清子。休んでいるところに悪いのだけれど、あなたたち、イバラ様をお見かけ、あら」
 イバラが寝室に戻っていないと聞いて不穏に思ったのだろう、緊迫した顔つきのメイド長が部屋に飛び込んできた。
 そして、だらしない格好でくずおれているイバラを見て、眉をひそめてメガネを押し上げる。
「イバラ様、何をなさっているのですか」
「あ、あのあのあのこれはですね」
「えっとえっと、イバラ様はですね」
「あなた達には聞いていません」
 叱責を受けるかと慌て、二人はしどろもどろに言い訳をしようとするが、メイド長にそれをはね除けられる。ようやく目を開けたイバラは、やれやれという雰囲気で口を開いた。
「いいじゃありませんの水女。もうしばらくしたら戻りますから、放っておいてくださらない?」
「いいえ、そう言うわけには参りません」
「相変わらず頑固ですわねえ。この、こたつというものは、一度入ったら抜け出せない魔力を持っていますわ……どうしてもと言うなら、このこたつごと持ってお行きなさいな」
「ひええ」
「そ、それは困ります」
 メイド長ならそれもやりかねない、と二人のメイドは慌ててこたつにしがみついた。
 そんな三人を見たメイド長はやれやれと肩をすくめ、すると何を思ったか、さも当然のようにこたつに入り込み、おもむろにミカンの皮を剥き始めた。
「そう言えばイバラ様はこたつに入ったことが無かったのでしたか。でしたら、今日くらいは許して差し上げます」
 慣れた手つきでミカンをむき終わり、白い筋を丁寧にとって、メイド長は一房を口に放り込む。
 勝手に入り込んで勝手にミカンを食べる。イバラ以上の結構な傍若無人ぶりを見せるメイド長だが、寛容な言葉が出たことにホッと胸をなで下ろしている則恵と清子には、それは気にも留められなかったようだ。
「助かりますわ」
 再び力を抜いて、くてりと目を閉じるイバラ。
「イバラ様。テレビはどういたしましょう? 消しましょうか?」
 と聞くのは部屋の主でもなんでもないメイド長だ。
「いいですわそのままで」
「それは助かります」
 言うなりメイド長はきゅと首を曲げ、大晦日恒例の歌番組に見入り始める。
 なんだかんだとこれが見たかったのかと気づき、二人のメイドはそんな意外なメイド長の一面に含み笑いを漏らした。
「ねえ、則恵ちゃん」
「なあに、清子ちゃん」
「大変なことになったね」
 左手には無邪気な顔でうとうとしているイバラ。右手には正確にミカンを剥きながら歌番組を見ているメイド長。
 双月堂家に勤めてそれなりに経つが、こんな妙な年の瀬は二人にも初の経験であった。
「でもなんだか楽しいよねー」
「そうだねー」
 二人は笑って、肩をぶつけ合った。
 除夜の鐘は、もうすぐ鳴り終わる。


(終わり)