たまには
「え…? 真琴、今、なんて…?」
思わず私は受話器の向こうの真琴に聞き返していました。
「だからぁ、カラオケに行こーって。ね、美汐」
「カラオケ…ですか」
日曜日の午後。
確かに少し暇を持て余してはいましたが、
賑やかな友人から突然こんな誘いを受けるとは思ってもいませんでした。
正直、あまり気が進みません。
元来、ああいった賑やかな物は好まない性質ですし…
「真琴、私は…」
「あのねあのね、祐一も行くって言うからさ、美汐もどうかなーって」
友人は、私の言葉など聞かずに、自分勝手にまくし立てていきます。
しょうがないな、と苦笑いを浮かべつつ、彼女の言葉の中に現れた人物の名前がふと気になります。
「え…? 相沢さんも…行くんですか?」
「うん。だって、元々アイツの発案だもん」
無邪気な真琴の答え。
でもそれが、どれほど私の心を苦しめることでしょう。
最近では、あの人…――相沢 祐一さん――の事を考えるだけで、胸が締め付けられるような思いに襲われます。
ひょっとして…これが…
恋。
と、言う物なのでしょうか?
よく、分かりません…
でも、相沢さんと一緒に…勿論、真琴も一緒だけれど…
カラオケ…ですか。
…どうしましょう。
困りました…
行きたい…
でも、恥ずかしい…
歌なんて、ほとんど知りませんし…
「みっしお〜? 聞いてる? 行くの? 行かないの?」
ぼおっとしてしまった私に、ちょっと苛立ったような親友の声。
慌てて私は、
つい。
「え、あ、はい。行きます」
口をついて、そう言ってしまいました。
…こう言うのを、運命の悪戯とでも言うのでしょうか…?
私の承諾に、はしゃぐ真琴の声が思考を停止した頭に聞こえます。
「やったね♪ 祐一ー、美汐も行くってー」
私の頭脳は再び活動を始めます。
え…い、いま…電話口の向こうに、相沢さんがいるのでしょうか
どきどきどき
高鳴る心臓
相沢さんが…
少し、お話したく思います…
「真琴、相沢さんと代わっ…」
「じゃ、一時間後に駅前ねっ! それじゃ!」
すっかり浮き足立ってしまった親友は、私の言葉も聞かずに受話器を切ってしまいました。
つー、つー、と無遠慮な発信音が耳に痛いです。
ふぅ…
真琴ったら…
でも、不思議と恨む気にはなれず、そこには、こんな時に自然と笑みをこぼせる様になっていた自分がいました。
*
一時間後。
私は、ちょっとだけおめかしをして、駅前に立っていました。
そして、私の予想通り遅刻してきた二人を迎え、カラオケボックスと言う所に行きました。
途中、私がカラーリップを付けているのに気づいた祐一さんが、
「へぇ、天野もそういうのするんだな」
なんて笑ってましたが…
誰のためにしてきたと思ってるんですか?
でも、そうやって気づいてくれることが、ちょっと嬉しくて。
ついつい俯いてしまった私を、怒ったと勘違いしてか一生懸命になだめる真琴と貴方が、妙におかしかったのだけれど、
笑うわけにもいかず困ってしまいました。
さて…
無愛想な店員さんに案内されてやってくると、エビ茶色の照明も薄暗い一室。
妙にいかがわしい雰囲気ですね…
私は入り口で立ち止まってしまいました。
それともカラオケボックスという物は、こういう物なのでしょうか。
私より一歩先に入った相沢さんは、手慣れた手つきで機械をいじっています。
恐らく、ヴォリュームなどを調整しているのでしょうか。
でも、私はちょっと気後れして中になかなか入れません。
相沢さんもさすがに暗いのでしょうか、つまみを探すのに苦労しているようです。
「うーん、ここ、照明暗いな…ん? お、スイッチがあるじゃないか」
と、相沢さんが私の横にあるスイッチを指さします。
これでしょうか?
パチン。
ぱっ、と明かりがつき、一気に部屋は明るいムードへと一変しました。
私は、ほっ…と胸をなで下ろします。
だって…
暗い中、相沢さんと二人っきりだなんて…
その…
イヤじゃないですか。
「ちょっと美汐ー! 早く入ってよーっ!」
…あ。
ごめんなさい、真琴の事を忘れていたようです。
そのまま、真琴に押されるように部屋に入り、中央付近のテーブルを挟んで置いてある固そうなソファに座ります。
目の前には、リモコンと二冊の分厚い本。
…なんでしょう?
真琴と相沢さんがそれを取り上げ、パラパラとめくりつつリモコンから数字を入力しているのを見て、
私はようやくそれが曲のリストと入力装置だと言うことに気づいたのです。
「ほら、美汐も」
と、ニッコリ笑って真琴が本とリモコンを手渡します。
えっと…
困りました。
知ってる曲と言ったら…
そうですね、あの曲でも…
*
「ち〜いさな〜精た〜ち〜、ま〜いおり〜る〜♪ ………ジャン!」
ぱちぱちぱち…
真琴が歌い終えました。
元気溢れる、とても真琴らしい歌でした。
カラオケも、なかなか楽しい物ですね。
「あぅ〜、疲れたよぉ」
「真琴、上手でしたね」
「えっへへへ、そうでしょ〜」
「天野、無理にお世辞を言うことは無いぞ」
「祐一ーっ! それ、どういう意味よっ!」
いつも通りのやり取り。
ここで、二人をたしなめる、私の役目。
本当に、いつも通りの…嬉しい時間です。
…と。
ちゃら〜 ちゃらららら〜ら〜
「おや? 誰だ?」
「あ、私です」
私の歌う順番の様ですね。
私は立ち上がり、マイクをぎゅっと握りしめます。
なかなか緊張する物ですね。
ちゃんと、声は出るでしょうか。
「〜♪」
喉の調子は良いようですね。
あら? 私が歌い始めた途端、二人とも狐に顔を摘まれたような…
狐…
不適切ですね。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になります。
どうしたのでしょう?
私が歌ったのは、普通の…有名な、歌です。
ひょっとして、気づいてませんでしたが…
私は、音痴なのでしょうか。
でも、せっかくですから、最後まで歌わせて戴きましょう。
「あぁあぁぁぁ〜 つがるかぁいきょぉ ふぅぅゆげぇしぃきぃいぃいぃ〜♪」
ふぅ…
終わりました。
ようやく、二人は我を取り戻し、おざなりな拍手をくれました。
…やっぱり、私は音痴なのでしょうか…
「あの…二人とも。私は、音痴なのでしょうか」
二人とも、まるでよく似た兄弟のようにぶるぶると首を横に振ります。
「い、いや、そんなこと無かったぞ。上手かったから、びっくりしただけだ」
「そう、そうだよ、コブシだって効いてたしねっ」
う〜ん…
誉められても、あまり釈然としません。
演歌はまずかったのでしょうか?
*
時間は過ぎ去り。
「ちょっと、行って来る」
と言って出かけたきり、相沢さんが戻ってきません。
真琴は真琴で歌い疲れた私に代わり、一人で気持ちよさそうに歌っています。
相沢さんは、一体、どうしたのでしょう。
なんて思っていると、唐突にドアが開き、
「悪い悪い。お待たせ」
と、三つのグラスを器用に持ってドアを開け、帰ってきました。
「喉乾いたろ、まぁみんな飲んでくれ」
相沢さん…
優しいですね。
と、私がテーブルの上に載せられたそれを一口含もうとすると、
!
つーんと、独特の刺激臭が鼻を突きました。
こ、これは…
「相沢さん、これ、お酒じゃないですか!」
「まぁまぁ、固いことは無しだ」
固い事って…
法律で禁止されてるんですよ。
「あぅー、喉乾いた…」
あ、真琴。
何も考えずに、手にとって…
それはジュースではないんですよ、と止める暇もなく。
ぐびぐびぐび。
…知りませんよ、私は…
さすがに当の相沢さんも驚き顔です。
「お、おい真琴、そんなに一気に飲んじゃって…」
真琴の顔が見る見る赤くなって行きます。
と、同時に視線も段々とあやふやになってきて…
あぅーっ、と一言唸ると、ぱたんと倒れてしまいました。
ま、まさか急性アルコール中毒では。
と、私が心配しているのを見越したように、相沢さんが声をかけてくれます。
「…大丈夫だろ。だって、真琴が飲んだのは…度数1%の奴なんだから…」
…そうですか。
それなら一安心です。
真琴、弱いですね…
でも、相沢さん、貴方のせいですよ、と責めようとしましたが、
甲斐甲斐しく真琴の介抱をしている姿を見ると、そんな気も薄れていきました。
根は、優しい人ですからね…
でも…
ああして、世話されている真琴が、なんだか羨ましくなってきました。
少し、一計を案じました。
ですが…
いえ。
たまには私も、少しだけ、羽目を外してもいいでしょうか。
グラスの一つを手にとって、それを口に…
ごくっ
思ったより、そのお酒は甘く感じました。
「あっ! 天野、お前まで」
相沢さんが、そんな事を言っています。
さすがに一口ですから、別段これと言って体調に変化は見られませんが、
とりあえず、ぺたんと膝を付いて、目を閉じてみます。
こうすれば、真琴と同じように私をいたわってくれるだろうかと考える私は、いけないのでしょうか…
予想通り、相沢さんは私を抱き起こしてくれます。
薄目から覗き見えるその失敗そうな顔に、罪悪感を覚えたりしながらも、
私の身体を支えてくれる腕に、身を任せてしまいます。
「全く…しょうがないな…」
閉じたまぶたの裏に、貴方の苦笑いが映るようです。
…?
今、腕がぴくっと震えましたね。
それは、貴方が真琴に何か悪戯をするときの癖…ですよね。
でも、なぜ、こんな時に…
「天野、寝てるよな」
ええ…寝てる、ことになってはいます。
ですから私は、微動だにしませんでした。
そんなことを聞いて、どうする気ですか?
そして…
はぁ…
と、貴方の吐息が急に近くなったような気がします。
心持ち、貴方の体温を感じます…
…!!
もしかして…?
そう考える間も貰えずに。
唇に、柔らかい感触…
もう、今の私には、
寝こけている真琴も
今は明るい蛍光灯も
質素なテーブルも
全て
どんなことも
気にならなくて。
ただ 唇から伝わる貴方のぬくもりだけが、
嬉しくて。
本当に、それだけで。
お酒が回ってきたのか、唇の感触のせいか、くらくらとしてきた私は、そのまま本当に倒れてしまい、
気が付いたら終了時間はとうに過ぎていました。
*
確かに、元はと言えば私が酔ったフリをしたのが悪いのですが、
悪質な悪戯ですよ、相沢さん…
でも…
どうしてあの時、貴方を受け入れたのかは分かりませんが…
よかったら…
また一緒に、カラオケに行きましょうか。
できたら、今度は二人きりで…
(終)
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