祐一、佐祐理さんにマッサージする。

また、書きました。
今回は、さほど過激ではありません。


それでは、しばしお付き合い下さい。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 雲が…流れてゆく。

 薄く開いた目から映る光景。
 太陽の光を右腕で遮りながら、窮屈な視界から仰ぎ見た空に、雲が流れてゆく。

 まだまだ外は寒いが、今日は風もなく、太陽によって熱せられたコンクリートは、
俺が空を見上げながら寝ころぶのに最適なベッドだった。

 ぽかぽかとした春先の陽気が、俺を眠りの世界へと誘う。
 広い広い学校の屋上を独占し、俺は昼寝をするべくゆっくりと目を閉じる。


 すると。

 ぎぃ…ばたん

 屋上の出入り口の扉が開く、重い音がした。


 コツン…コツン…コツン

 何者かの、足音が聞こえる。
 段々と、こちらに向かっているようだった。

 ヤバイ、先生か?
 そう思って俺は薄目を開け、来るべき人物を確認する。


 …はは。
 なんだ、そう言うことか…
 俺は安堵し、再び目を閉じ、ただ先ほどとは違い、意識だけを敏感にしておいた。





 閉じた目の上に降り注ぐ光が、ふいに遮られる。
 やがて、足音が俺の前で止まる。
 笑いを噛み殺しているような、妙な息づかいが聞こえる。

 人物は、すぅっと息を吸い込むと、
 注意してる割には幾分楽しそうな声をかける。

「サボっている生徒発見!」

 俺はそれに目を閉じたまま答える。
「何やってるんだよ…佐祐理さん」
「えっ!?」
 人物はさも意外そうに声をあげる。

「ばれてないと思ってたのに…」
 俺の頭の上に立つ少女…倉田佐祐理は残念そうに呟く。

 倉田佐祐理。
 俺の友達だ。
 一つ上の先輩なのだが、そうは思えない人なつっこさが、彼女の魅力だろうか。

 俺は挨拶でもしようと目を開ける。が、あることに気づいて慌てて閉じ直す。

「ふぇ? どうしました、祐一さん」
 彼女はそのことに気づいていないようだった。指摘するのもはばかられるが…

「あの…さ」
「はい?」

「パンツ…見えるぞ」
「あははーっ、残念でした。今日は体育の授業があるからショートパンツをはいているんですよー」
 なんだ。そうか…少し、残念だ。
「じゃあ、じっくり見せて貰って構わないよな」
「え…いっ、いやです、それはちょっと恥ずかしいです」
 とっさに制服の裾を押さえる佐祐理さん。
 いくら押さえようとも、俺は真下にいるわけだから、実にくっきり見える。
「ほほう。佐祐理さんはこんなのを履いてるのか」
「もうっ! 祐一さんのえっち」
 さすがにその場にへたんと座り込む。こうなっては、さすがに覗き込むことは出来ない。
 裾をめくるという手もあるが、そうすると本格的に変態だから止めておく。

「で、佐祐理さんこそ、サボりじゃないのか?」
 俺もようやくよっ、と身を起こし、多少意地悪な質問をしてみる。
「あははーっ、佐祐理たちは、三年生だから授業終了は早いんですよ」
 佐祐理さんはそれに快活に答える。
 ああ、そうだったか。しかし、それにしては…
「舞は?」
「掃除当番です」
 なるほど。
「しかし、俺が良くここにいるって分かったな」
「ふぇ。そんなこと無いですよー、ただ、ちょっと屋上に来てみたら、祐一さんが居ただけです」
「なんだ、そうか…」
「でも、偶然でも祐一さんに会えて嬉しいです」
 そう言われると、悪い気はしない。
「はは、ありがとな」
「これも、授業が早く終わったおかげですねー」
 と、笑う。

 その楽しそうな声に含まれる、言葉の意味にふと気が付く。
 そう…か。三年生は、そろそろ…

 俺は、佐祐理さんの顔をじっと見つめる。
 視線に気づいた彼女が、ちょっとびっくりした顔になる。
「…はぇ? なんですか、祐一さん」
「いや、ただ、さ…なんとなく」
「なんとなく?」

 そう…なんとなく。俺の心にじわじわと広がる、感傷的な気分。
 原因は、分かっている。

「佐祐理さんも、舞も、もう卒業なんだな…と、思ってさ」
「そうですね…」

 それきり、黙ってしまう。
 こういう湿った雰囲気は、俺は苦手だ。
 佐祐理さんも同じなのか、俺たちは、会話の糸口をつかめないでいた。

 先に口を開いたのは、佐祐理さんの方だった。
「祐一さん」
「ん?」
「寂しいですか?」
「ぶっ!」
 俺は思わず、吹き出してしまう。
「げほっ、げほっ…なんだよ、いきなり…」
「寂しくないんですか?」
「別に」
 それは嘘だったが、ちょっと強がってみる。
「そうですか…」
 残念そうに俯く佐祐理さん。

「佐祐理は、寂しいです」

 舞とは一緒の大学だろ? と尋ねると、ポツリと一言。

「祐一さんと離ればなれになるのが寂しいです」
 そう言い、少し俯き加減になる。
 その顔は、本当に寂しそうで、悲しそうで…

 ちょっと、悪いこと言ってしまったかと、後悔。

「ごめん。佐祐理さん」
「はぇ?」
 どーでもいいが、その気の抜ける返事は何とかならないのか。
「俺、嘘ついてたよ。俺も、やっぱり…寂しいんだと思う」
「祐一さん…」
「佐祐理さんと、舞と出会ったのは最近だったけど、随分昔から二人のことを知っていたような…
 そんな気が、するんだ。だから、そんな二人と会えなくなるのは、結構寂しいな。
 …やっぱ俺、情けないか?」

 ぶんぶんと、佐祐理さんは派手に首を横に振る。

「はは、さんきゅ」
「祐一さんは、優しい人です」
「そんなことないって」
「いいえ。祐一さんは優しい人ですよ」
「じゃ、そう言うことにしておこうか」
 たわいないやり取り。
 二人が卒業してしまったら、こんな事も出来なくなるのか、と、ちょっと胸が痛む。

 二人とも、それきり沈黙。
 何を話しても、全て思い出という名のレッテルを貼られてしまう気がして、俺は何も言えなかった。
 
 そんな俺の心を察したのか、
「んぅ…」
 甘ったるい声を出して、佐祐理さんが微妙に俺に体をすり寄せてくる。
 驚き半分、嬉しさ半分。
 制服越しに感じる、佐祐理さんの柔らかな温もり。
 きっと、佐祐理さんも寂しいんだろう。
 たまには、こんなのもいいかも知れない。
 幾千の言葉よりも、ただ少しの間、そばに居るだけの方がよほど雄弁に気持ちを伝えられることもある。
 そう思って、俺は黙って佐祐理さんの体を支えた。
 しかし。

「祐一さん…」
 ん?
 俺は何か、違和感を感じた。
 佐祐理さんの、この声…
 何か、いつもとは違った。「艶」を感じる。

「ひとつ、お願いがあります…」
 細くすべすべの手がそっと伸びてきて、俺の手の甲をぐっと押さえる。
 途端に心臓が高鳴る。

「ごめんなさい、もう、思いがはち切れそうなんです」
 佐祐理さんの顔を振り返ると、その目は何か、決意のような物に満ちていた。
 少しだけ、その瞳は潤んでいた。

「お願い…です」
 お、お願いって?


「祐一さんと過ごした日々の証を、佐祐理の体に、下さい…」


 …まぁ、今までの俺なら、ここで鼻息も荒く馬鹿な勘違いをするところだが、
さすがにもう騙されない。
 どうせまた、マッサージだろう。
 そう思い、先手を打つことにした。
「はいよ。マッサージだな?」
「ふぇ????」
 心底意外そうな顔をする佐祐理さん。


 …しまったぁ! 違ったのかぁ!?


「あ、じゃあ…佐祐理に、マッサージして下さい」
 時すでに遅し、本意はどうあれ、佐祐理さんはそう言ってしまった。

 とほほ〜
 ホントはなんて言おうとしたんだよ〜

 ええい、後悔先に立たず。
 しかたない、マッサージ、するか。

「で、佐祐理さん」
「はい」
「どこがこってるんだ?」
「えっと、その…」

 佐祐理さんは途端に口どもる。
 そりゃそうだ。ホントはマッサージなどされようとは思ってなかったのだから。

 しばらく思案の末、佐祐理さんはようやく口を開いた。

「じゃあ…」
「ああ」
「腕、をお願いします」
「腕ぇ!?」

 腕。
 腕だ。
 よりによって、腕だ。

 面白くもなんともない。

 俺の感情の変化を敏感に察知してか、佐祐理さんがちょっと顔を歪める。

「いやですか?」
「んー…そう言う訳じゃないが…」
 なんとなく、なぁ。

「分かりました」
 佐祐理さんの声に、幾分か棘が混じる。

「祐一さんは、佐祐理のこと嫌いなんですね」
 そう言って、ぷいと横を向く。
 つんと尖らせた唇がなんとなく可愛い。

 冗談というのは勿論分かってはいるが、一応慌ててフォローする。

「違うって。そういう意味じゃないんだ」
「ぷーん、です」
 佐祐理さんはまだ横を向いたままだ。

 やれやれ…仕方ないな。

 つん

 佐祐理さんの頬をぷに、と軽くつつく。

「きゃふ!?」
 びっくりしてこちらを振り向く。
「はい、ではマッサージを始めますよ、お客さん」
 佐祐理さんの反応を無視して、俺はしずしずと佐祐理さんの手を持ち上げる。

「あ…」

 ちょっとした余興は終わり。さて、ここからが腕の見せ所。
 なんて、いい加減マッサージするのも板に付いてきたな、と自分自身に苦笑する。

 さて。

 手首辺りから、

 ふにふにふに
「ん」

 肩の近くまで。

 ふにふにふに
「んん…」

 はい、一丁上がり。

 ああ、詰まらない。
 何も派手なことはなく、簡単に終わってしまう。

 どれ、次は左手。

 ふにふにふに…

 はい、二丁上がり。終了。

 終わったぞ、と声をかけようとして、ふと、佐祐理さんの姿に見とれる。
 佐祐理さんは気持ちよさそうに目を閉じて、されるがままになっている。
 全身から力が抜けている、そのだらんと腕を垂らした姿は、精巧な生き人形を思わせる。
 さしずめ俺は、腕利きの若手人形師か。

 でも俺は、人形師ではなく、単なるマッサージをしている男子高校生なわけで。
 ちょっと、いたずらなんかも思いつく。

 と言うわけで、さっき腕を持ち上げたときから気になっていた、
佐祐理さんの脇の下をくすぐることにした。



 こしょこしょこしょ。
「はゃんっ!?」

 佐祐理さんがびっくりして飛び上がる。

 でも、まだ、止めてあげない。
 こしょこしょこしょ。
「やん、やん〜…何を、んぅっ、するん…ですかっ!?」
 慌てて俺の手を振り払う佐祐理さん。
 俺はそれに、悪びれず答える。
「だってよ、佐祐理さんと来たら、マッサージが終わってるのに気づかないで、
 ぐったりしてるからさ。寝ちゃったかと思って、ショック療法で起こそうと思っただけだよ」

「そんな事しなくても起きてますよー」
 と、ちょっと非難がましい目で俺を見る。

「はは、どうだか」
 軽く笑う俺。

「もーっ!」
 拳を振り上げ、俺を叩く振りをする。
 でも、佐祐理さんのその目は、笑っていた。

「おっとっと…それでさ」
 おどけて見せながら、このままでは分が悪いと見て、話題を変える。
「はい?」
 佐祐理さんは振り上げた手をおろし、きょとんとしている。
「さっきさ」
「はい」
「俺に、なんて言おうとしたの?」
 さっきから、気になっていたのだ。

「え…あ、あははー」
 佐祐理さん。顔は何でもないように笑ってるけど、ほっぺたが真っ赤だぞ。
 トレードマークの大きなリボンが、風にぱたぱたと揺れている。

「なぁ。なんて言おうとしたんだよ」
 ぐいっと、体を近づける。

「な、内緒ですよーっ」
 ずずっと、後ろに引き下がる。

 その、ちょっと困ったような、くりくりとした瞳。
 やっぱり、可愛いよな。
 俺は、何となく意地悪をしたくなる。
「そーか、そーか。俺にマッサージをさせるだけさせといて、俺の質問には答えてくれないんだな?」
 途端に佐祐理さんの顔が難しくなる。
「むぅ〜…祐一さん、意地悪です」
「意地悪でいいから。教えてくれよ」
 もちろん、さっきの仕返しもかねて。
「ふぇ〜…祐一さんが、佐祐理をいじめますー」
「いじめてないって」
 さすがに、苦笑する。
 ま、しつこくして、佐祐理さんに嫌われたら元も子もないしな。
「別にいいか」
 それだけ言って、体を引いた。

 そして、何事もなかったかのように、
「ふぅ…」
 ため息、一つ。
 そのまま、再び空を眺め始める。
 結局、全て思い出に、なっちゃうんだろうな。
 こんなドタバタとしたやり取りも、全てひっくるめて。
 ふと、佐祐理さんを見ると、彼女も同じように、俺のそばで空を眺めていた。

「雲が…流れていきますね」
「ああ…」
 本当に、どうでもいいような会話。

 そのまま、二人何も言わず、じっとしていた。


「あの…」
 消え入るような声。
 本当に消えてしまいそうな、小さな声が俺の耳に届いた。
 俺が何か考え事をしていたら、簡単に聞き逃してしまいそうなほど。

「実は…ですね」
 佐祐理さんが、さも恥ずかしそうに、呟き始めた。
 俺は、何も考えていないのを装って、佐祐理さんの言葉に全神経を傾けた。
 そして…

「…佐祐理に…」
 ああ…佐祐理さんに…




「キス…を…」






 キス…か。

「くっくくく…」
 …俺は我慢しきれなくなって、ついつい肩を震わせて笑ってしまった。
「あーっ! 祐一さん、笑いましたねー!」

 笑う気は、無かったんだけど。
 俺の予想していたことが、いかにも馬鹿らしくて。
 その、とても恥ずかしそうな佐祐理さんが、余りにも、微笑ましくて。おかしくて。

「はは、ごめんごめん」
 振り返り、一応謝る。
 俺の予想とは違ったが、それはそれで、とても嬉しいし。

「もーっ! 恥ずかしかったんですよー」
 と、怒気をはらんだ声をあげる佐祐理さん。

 ふいに、焦燥に襲われる。
 今この時を逃せば、もう佐祐理さんとは何もできない。何もない。
 そんな気分になる。
 そして、
 俺は、ごく自然に。
 おもむろにその細い肩を、ぐい、と掴んでいた。

「ぇぁ…」
 突然のことに驚いて、ほけっとした顔で俺を見つめる。
 その瞳には、俺しか映っていない。
 どこかで聞いたような台詞が、俺の口から流れ出る。
「佐祐理さん…キス…しようぜ」

「あ…」

 そういったまま、黙りこくってしまったが、ゆっくりと閉じられた目が、受け入れる意思を表している。


 そう。

 そして。

 そのまま。


 雰囲気に流されるように。


 ゆっくり、ゆっくりと…

 唇を、近づけていって…


 何も、考えられなくなって。


 今…

 この世界には…

 俺達しかいない…



 かっこつけては見たものの、やっぱり少し緊張している俺と、

 多分、そんな俺より、もっと、ずっと緊張してるんだろう佐祐理さんと、









 …のけ者にされて、傍らでぷぅと頬を膨らませている舞と。



 …って!?

「「舞!?」」

 俺と佐祐理さんは同時に叫び、そして慌てて身を離した。


「…ふたりとも、仲がいい…」

 そんな、ふくれっ面しながら言われても。


「あははははははーっ、舞、違うんだよーっ」
「そ、そうだ、俺達は別に何も…」

 舞は拗ねたような目でこちらを見ている。

 やれやれ。
 舞が機嫌を直してくれるまで、いつまで弁解すればいいんだろう。
 結局、佐祐理さんとキスし損ねたし。
 あ〜あ。



(続く)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

全然マッサージじゃないですね(^^;
あい〜…では次回、「祐一、舞にマッサージをする。」に続きます。

Libraryへ   トップへ