いたづら秋子さん いたづら卒業です




 うららかな早春の候。

 小鳥はさえずり、この雪に包まれた白い町にも、ようやく春のきざしが見えてきました。

 無事、祐一さん達の卒業式も終わり、今日は我が家で卒業パーティが開かれることになりました。

 祐一さんと名雪は、大学に行っても今まで通り我が家に住んでくれるそうですが、

 香里ちゃんと北川さんは別の遠い大学に行ってしまうらしく、今日はお別れ会も兼ねた内容になるそうです。

 それにしても、あの子達――いえ、あの人達が、居なくなるのですね。

 ちょっと、寂しくなります。

 寂しいと言えば、もう一つ――

 私は、胸に一つの思いを秘めていました。







「それではー、我々の卒業と、俺達の別れに……」

「「乾杯!」」

 北川さんの音頭のもと、四人の声が重なります。

 そして、北川さんと祐一さんはビールをぐーっと、

 香里ちゃんはカクテルを、名雪はチューハイをくぴ、と口づけます。

 私がみんなのために腕を振るった料理での夕食会を終えて、パーティも夜の部です。

 今日は無礼講と言うことで、特別にお酒を許可しちゃいました。

 だって、これでもう香里ちゃんと北川さんに会えなくなるかと思うと……

 私もそうですが、それよりずっとずーっと名雪と祐一さんは寂しいでしょうからね。

 と言うことで、余り固いことは抜きにしました。

 二人とも、今日は楽しんでいってくださいね。

 さすがに前回のようなことにならないために、私はお酒を飲まないように気を付けませんと……

「さ、さ、秋子さんも」

 きゃぁ、北川さん! 顔がもう真っ赤です。

「い、いえ、私は良いですからっ」

 と、私はぱたぱたと自分のお部屋に引っ込んじゃいました。

 今日は、皆さんの邪魔になるようなことは控えませんとね。

 ちょっとだけ、寂しいですが……







 さて――

 小一時間も過ぎたでしょうか。

 私は様子を見に、居間へと向かいます。

 ……あら?

 つん、と、鼻につく匂い。

 この匂いは……なんだか、イカのような……

 それに混じって、彼らの話し声が聞こえてきます。

「ほら、美坂……口に入れろよ」

「いやよ、北川君。やめてよ……」

「とか言って、本当はこの熱い物が欲しいんだろ?」

「あたしは硬い方がいいのよ」

 ……はきゃ

 こここ、これって……

 かぁぁ。どんどんと、体温が上がっていくのを感じます。

 広がる妄想。

 北川さんが、香里ちゃんに、そ、その、あ、アレを、口に……

 だ、だめーっ。

 ちょ、ちょっと、あなた達っ。

 いくら無礼講と言っても、やって良いことと悪いことがっ。

 私は慌ててその場に向かいます。

 ……ででででもっ、今邪魔しちゃったら……

『あら、秋子さん』

『秋子さんも一緒にどうですか』

『うふふ、はい、服を脱いでくださいね』

『はぁはぁ、秋子さん、俺、俺』

 い、ぃやぁっ、駄目ですよ、北川さん、香里ちゃんっ!

 ……と言うことにならないためにも。

 私はそっと戸口の隙間から中の様子を伺いました。

 誰ですか覗きなんて言うのは。ぷんぷん。

 すると、中では……

 あ、あ、何と言うことでしょう。

 北川さんが、スルメをライターであぶっていました。





 ほへ

「ほら、美坂、あぶった方が旨いって」

「あたしはこのままの方が好きなのよ」

 ……どうやら誤解だったようです。

 わ、私ったら、なんてことを考えて……

 ひゃう

 ああんっ、二人の顔が直視できませんっ。

 もう、私、こんな事じゃ駄目です……いたたまれませんっ。

 ちら

 祐一さんは一人でもくもくとお酒を、名雪は潰れて眠っちゃってるようですし……

 安心安心。よし、おっけーです。

 と言うわけで。

「ひんっ」

 私は、一目散にお部屋に逃げ出しました。







 私がお風呂に入り終えて、ほかほかの身体で髪の毛を乾かしていると……

 あら、居間の戸が開く音が。

「ふぃ〜、お疲れ、相沢」

「おう、じゃあな北川。元気で」

 あら、もうお別れのようです。

 それじゃ……と、ぱたぱたと私は玄関先まで出ていきます。

「北川さん……あら、それに香里ちゃん」

 やはり酔いつぶれてしまったのか、北川さんは香里ちゃんをおぶっていました。

「あ、秋子さん。美坂は俺が送っていきますね」

 あらあら。

「なんでしたら、泊まっていっても構いませんよ」

「いえ、そうすると……」

 別れが辛くなりますから。その言葉は、北川さんが口をつぐんでしまいました。

「でもこうして、最後に秋子さんに会えて、俺、嬉しいです」

 あらあら、北川さん。私もとっても嬉しいです。

 でも……貴方には、もっと、お似合いの人が居るんじゃないかしら?

「北川くぅん……」

 ぎゅ

「ぐ、あっ! 美坂、首締めてる、締めてるっ!」

 うふふ、二人はとっても仲がいいですね。

「香里ちゃん」

 私は、目を閉じている香里ちゃんに近寄ると、

「頑張るのよ」

 ほわほわと、頭を撫でてあげました。

 普段大人びて見える彼女も、こうしてみるとまだまだ子供ですね。

 それはつまり私がオバサ
 違います。

「……」

 あら、北川さん、そんな羨ましそうな目で……

 心配しなくても、ほら。

 なでなで。

「あ、秋子さん……」

「北川、頬がゆるんでるぞ」

 祐一さんが横から茶々を入れます。

「う、うるさいっ!」

 二人のやりとりは、ずっとこうして、いつものままなんでしょうね。

「それじゃ、二人とも、気を付けてな」

 玄関を出て、祐一さんが北川さんに手を振ります。

「ああ。それじゃ……秋子さんもお元気で」

 北川さんの姿が、戸口をでて、見えなくなっていきます。

 私は胸一杯の思いを抑えながら、もう見えなくても、最高の笑顔で彼らを送ります。


「北川さんも、香里ちゃんと頑張ってくださいね」


 がくっ。ずる、べしゃ。

「ちょっとっ! 北川くん、痛いじゃないのっ!」

「いや、だってほら、秋子さんが、ああっ!」

 ……? 私、何か変なこと言ったでしょうか。

 傍らでは祐一さんが苦笑しています。







 さ、て……

 片づけを終え、名雪を二階に運びます。

「あ、俺がやりますよ」と祐一さんが名雪を背負ってくれましたが、その背中の広いこと。

 8年前、我が家に来た少年が、こんな立派な男性になるなんて、想像もつきませんでした。

 名雪を寝かしつけて、祐一さんもだいぶ眠いらしく、

「それじゃ、おやすみなさい」

 と、お部屋に帰りかけました。

 でも、私は……

 そのまま、じっと黙ってしまいました。

「秋子さん……?」

 祐一さんが、不思議そうに私を見つめます。

 祐一さん……

 ずっと、思っていた、この言葉。

 今日こそ、今日こそ言おうと思っていたこと。

 今を逃したら、言うタイミングが掴めません。

 ほら、言うのよ、秋子。ふぁいとっ。

「祐一さん」

「あ、はい。なんでしょうか」

「お話が――あるんですが」







「……なんでしょうか?」

 お部屋に案内され、祐一さんに問われました。

「あの、私……」

 喉元まで出かかっているのに、その次が、どうしても言えません。

 祐一さんはそんな私の気持ちを察してくれているのか、せかすような事は何も言いませんでした。

 本当に、優しい人です――

 私は、ええいっ、と、その言葉を口にしました。


「私……もう、いたづらはやめようと思うんです」


 ……え? と、祐一さんが目を見開きます。

 そんな祐一さんの姿に、ちょっとだけ、喉が詰まります。

 それでも、一度言い始めた言葉は止まりません。

「もう、祐一さんも大人ですし……」

 寝ている祐一さんのおみみに息を吹きかけたこと――

「高校も、卒業しちゃいましたからね」

 祐一さんに逆襲されたこと――

「私もいい加減、貴方をからかうような真似は――」

 一緒に海へ行ったこと――

「止めようと……うっ、え、ぅっ」

 クリスマスパーティをしたこと――

 どうしてでしょう。

 言葉を一つ紡ぐたびに、楽しい想い出ばかりが浮かび上がって、だんだんと、ほら、涙が――

「秋子さん」

 あっ……

 祐一さんが、私を抱きしめてくれました。

 暖かい……

 私は安心して、祐一さんの胸の中で、甘えちゃ駄目、と思いつつ、安心して涙を流しました。

「あの、俺……」

 祐一さんも、訥々と、自分の思いを確かめるように、私に話しかけます。

「最初は、ああ、嫌だなって思ってましたが……」

 やはり、ご迷惑だったんですね……

「でも、最近は」

 え?

 祐一さんは苦笑すると、

「何故か、秋子さんにいたづらされるのも……悪くない気がして」

 ……祐一さん? それって……

「こう、その時の秋子さんの顔が、とっても楽しそうで、それで、全部許せちゃうんですよ」

 祐一さんったら……もう、立派な口説き上手ですか?

「ぞれに、俺もやられてばかりじゃありませんでしたからね」

 も、もおおっ。

 そう言えばそうでした、いっつもいつも、私は祐一さんにいたづらしては、倍くらいにして返されていたのです。

「それに……秋子さん? 俺達が、何故、この家に残ることにしたか、知ってますか?」

 え……?

 二人がこの家に残ってくれる……それを聞いたときはとっても嬉しかったですが、その、理由……ですか?

「俺も、名雪も……こう言うと、なんだか情けないかもしれませんが」

 そう言って、祐一さんは頭を掻くと、

「秋子さんと、離れたくないからなんですよ?」

 !!

 二人とも……そう……そうなの……

 私は、ますます祐一さんの胸に顔を埋めるように、ぐっと強く身をすり寄せました。

 だって……涙でぐちゃぐちゃになった顔、見せたくありませんでしたから。

「ですから、秋子さん」

 祐一さんの言葉は……とっても優しくて。

「ええと、その……」

 幾分かの迷いを孕みながら。しかし、しっかりと。

「ずっと、言おうと思ってたんですが……」

 うふふ、私と一緒ですね――

「これからも、いたづら、止めないでください」

「了承♪」

 一秒より、早かったかもしれません。







 次の日の朝

 お日様ぽかぽか うーん とってもいい天気です

 うふふ

 昨日の夜は ちょっぴり 泣いちゃいましたが

 るんるん くるくると ダンスしちゃったり

 もう もう いたづら 祐一さん公認です きゃ

 さぁてさてさて

 うふふふー

 私は笑いを噛み殺しながら 祐一さんのお部屋へ

 昨日たっぷりお酒を飲んだから まだぐっすりとおねむのようですね

 あらあら 可愛い寝顔

 昨日は随分大人になっちゃったと思いましたが これなら まだまだ うん

 さ て と

 がば

 私は パジャマ姿のまま 祐一さんのお布団に潜り込みます

 ああん 祐一さんと一緒のお布団

 ぽかぽか

 祐一さん 暖かいです

 これでこれからイケナイことを
 違います

 これは いたづらの準備です 他に意味はありません

 ありませんったら

 ではでは

 うふふ

「祐一さん 祐一さん 起きてください」

「ん……あ はい えと あ ああああああっ!?」

 祐一さん びっくり仰天
 大成功です☆

「あら 祐一さん どうしたんですか」

「あの なな なんで 秋子さんが 俺の あの」

「あらあら 酷いわ祐一さん 昨日の夜は あんなに激しく」

 そう言って 私は 思い起こすように目を閉じます

「え ええっ ちょ ちゃ ちょ 待って 待って下さい 昨日は いたづらをおっけーして それから」

 祐一さんったら もう 支離滅裂です

「待って下さい 俺は 俺は」

 ひゃん

 狼狽しきった祐一さんは 布団をはねのけて がばっと起きあがったようです

 びっくりしちゃいました

「秋子さん これは何かの間違いです」

 うふふ

 そろそろ 答えを教えてあげないと と目を開けると

「……」

 目の前に その

 朝ですから ええと あの 男の人ですから んと えっと

 仕方ないとは 分かってるんですが 目の前に ずい と ひや

「違うんですよ 違う 違います」
 そうですね祐一さん その通りです

 テント
「違いますっ!」

 がば ぱたぱた

 私はわたきゃたと逃げ出してしまいました

 後にぽかんと取り残された祐一さん


 んぅぅ またも 祐一さんに逆にびっくりさせられてしまいました

 でも まだ春休みは続きます

 負けませんよ 祐一さんっ







(終)


>あとがき
 これにて私の書く『いたづら秋子さん』は終了です。
 今まで応援してくださった皆様、本当に有り難う御座いました。


Libraryへ   トップへ