いたづら秋子さん 今日はお鍋です


 ぴゅうう
 はひゅ
 一陣の北風が、私の身体を通り抜けてゆきました
 思わず、身震いをしてしまいます
 私は今、商店街にお買い物に来ています
 ……それにしても、寒さが身に染みる季節です
 今日の夕飯は何にしようかしら、と悩んでいたんですが、この寒さです
 そうですね
 お鍋
 お鍋にしましょう♪

 オナベと言えば、女の人が男の人の格好を
 違います
 でも、宝塚の人たちなんて、本当の男性には無い魅力があって
 はふ
 くらくら
 いけませんいけません
 これじゃあ私、悪いオナベさんに捕まって、良いカモにされてしまいます
 カモ
 あ、カモです
 カモ鍋にしましょうか
 うん、決定です

 カモ鍋の材料を買って、一路帰途へ付きます
 八百屋さんのご主人、寒そうにしてたけど、大丈夫かしら
 そんなことを考えているうち、玄関の前です
 扉を開くと、ぽかぽかとした暖かい空気が私の冷え切った身体を優しく包んでくれます
「おかえり〜」
「あ、おかえりなさい」
 と、奥の方から、それにも劣らない、暖かな声
 うふふ
 迎えてくれる人が居るのは、とっても嬉しいです
 今日は腕によりをかけて、頑張りますね

 くつくつ
 くつくつ
 美味しそうないい匂いを立てて、ガスコンロの上に載せられたお鍋がよく煮詰まってきます
 だし汁も一旦煮立ちました
 お野菜と仕込みを終えた鴨肉を用意して
「はい、準備できましたよ」
「わ〜い」
「うまそうですね」
 おこたの上で、カモ鍋です
 いつもはキッチンで食事をするのですが、お鍋の場合は居間に出してあるおこたを使います
 まずはお野菜を、ぱらぱら
 そしてお肉をちょんちょんと
 ぐつぐつ
 ぐつぐつ
 そろそろ、お肉は食べ頃かしら
 付け汁は、市販のお醤油をベースにした水瀬家特製のタレを使います
 うふふ、自分で言うのも何ですが、とっても美味しいんですよ
「いただきますっ……ふはっ、あふ、熱い」
「あっ、祐一、ずるいよ〜」
 あらあら
 二人は早速、鍋を箸でつつき始めました
「うふふ、沢山ありますから、慌てないでたっぷり食べてくださいね」
 私は、そんな二人を眺めながら、また、ぽちょんぽちょんと鴨をお鍋の中に入れました

 三十分ほどして、私たちはお鍋を綺麗に平らげてしまいました
「ごちそうさま……おなか一杯だよ〜」
「ぐぅ……もう、うごけん……」
 あらあら
 二人とも、すっかりお腹がふくれて、満足そうな顔のままぐったりしちゃいました
「お母さん、とっても美味しかったよ」
「ええ、とっても旨かったです」
「あら、二人とも、ありがとう」
 そう言ってくれると、お母さんはとっても嬉しいです
「しかし、こうして鍋を食うと……昔やった、闇鍋を思い出します」
 祐一さんが口を開いて、ふと思い出したようにそんなことを言いました
 やみなべ
 なにかしら、それ
 私が祐一さんに、それは何ですかと聞こうとした矢先のことです
「祐一、闇鍋ってなに?」
 あら、名雪に先を越されてしまいました。
「……なんだ名雪、そんなことも知らないのか」
 え
 祐一さんは、何だか呆れたような口調です
 まさかまさか、常識なのでしょうか
「教えてよ〜」
 名雪が口を尖らせます
 やみなべ
 何でしょうか、私もその正体を知りたいです
 ひょっとして、若者だけが知っている共通言語なのでしょうか
 私が知らないのは、オバサンだから
 いやぁ
 そんなこと有りません
 私はまだ……
 あの、その、えと
 まだ……
 まだ、気持ちは若いつもりですっ
「秋子さん、名雪に説明してあげてくださいよ」
 あら、祐一さんが私に話題を振ってきました
 良かった、若者だけが知っている特権ではなかったのですね
 もしそうだったら、若い二人を後目に、私は、寂しくて胸がちくんと痛んでしまうところでした
 はい、それで、説明ですか
 説明
 ひきゃ、困りました
 結局の所、やみなべが分かりません
 まさか、二人の手前、年長者として知らないとも言えませんし
 えーと、えーと、急いで考えてみましょう
 カモ鍋は鴨のお鍋です
 シャモ鍋は軍鶏のお鍋です
 やみなべは……闇のお鍋
 闇
 闇のお鍋……
 それ、何でしょうか
 何だか、怖そうなイメージがありますね
 それから……魔法のような雰囲気です
 魔法
 魔法、魔法かもしれません
 闇鍋とは、魔法のお鍋なんですね
 私は、闇鍋を煮込む魔法使い
 魔女です、うふふ
 魔女と言えば、しわくちゃお婆さん
 いやぁっ
「ひどいです、祐一さん!」
「は?」
 あ、あ、いけません
 ついつい興奮してしまいました
 祐一さんと名雪がきょとんとした顔をしています
 あん、恥ずかしぃです
 思わず、かーっと頬に体温が集中します
 はぁ、私ったら……

 そして、恥ついでに、祐一さんに本当のことを教えて貰うことにしました
 ふんふん
 なるほど
 そういうものだったのですか、びっくりです
「でも……ここで、闇鍋はさすがに出来ませんよね」
 と、苦笑する祐一さん
「え、そうかな〜」
 あら名雪
「わたしは、楽しいと思うよ」
「ちょ、ちょっと待てよ、お前が良くても、秋子さんが」
「あら、私は名雪に賛成ですよ」
「え?」
 祐一さんは、びっくり顔です
「たまには、こんな事も面白そうですからね」
 と言うわけで、私の家では、一週間後に闇鍋を開催することが決定しました
 うふふ、楽しみですね♪

 あっという間に一週間は過ぎ去り、いよいよ当日となりました
 各自材料を集めるようにと言われましたが、あの二人は何を持ってくるのでしょう
 わくわくする反面、ちょっぴり不安になってしまいます
 でも、それが闇鍋の醍醐味とも言えるのでしょうね
 ぐつぐつ
 あら、煮汁を入れたお鍋が煮立ってきました
 居間のおこたのうえに移しましょう
 よいしょっと
 ぐい
 ふらふら
 あう、なかなか重いです
 ふらふら
「お待たせしました」
 何とか居間へ辿り着きます
「じゃ、電気消すね」
 え、名雪、まだ早いわ、ちょっと、あの
 ぱちん
 いやぁ、真っ暗
 がたん
 きゃっ
 ばしゃ
「あちっ!」
 ああっ、こぼれたお汁が祐一さんにかかってしまったようです
「わっ、わっ、ごめんなさいっ」
 ぱちん
 再び灯りがともります
「祐一さん、大丈夫ですか?」
 お鍋を置いて、慌てて駆け寄ります
「あ、いや、なんとか」
 大変
 口ではそう言っていますが、ズボンがびしょ濡れです
 このままでは、シミになってしまいます
「今、布巾を持ってきますね」
「え? いえ、そんな、おおごとでは」
 祐一さんは遠慮しているとうですが、そのままにはしておけません
 私は急いでキッチンに向かい、布巾を手に取ります
 戻って祐一さんのズボンを見てみると、股間の辺りを中心にぐっしょりとしています
「ごめんなさいね、祐一さん」
「ごめんね、お母さん、祐一……」
「いえ、大丈夫ですから……名雪も、気にするな」
「今、拭いてあげますね」
「は? ……い、いえ! それはダメです!」
 全くもう、祐一さんったら、遠慮深いんですから
 私は、制止を押し切って、布巾を祐一さんのズボンに近づけていきます
 早く拭いてあげないと祐一さんが可哀想です
 ふきふき
 ふきふき
「ぬおおっ」
 ?
 何かしら、祐一さんが妙なうなり声をあげています
 熱いのかしら
 だったら、もっと早く拭いてあげないとダメですね
 ぐいぐい
 ぐいぐい
 ぐい……
「もっ、もう良いですっ」
 あらっ
 私の腕が、伸びてきた祐一さんの手に押さえられてしまいました
「はぁ、はぁ」
 心なしか、祐一さんの息づかいが荒くなっているような気がします
 何故でしょうか
 でも、あらかた綺麗になったので、大丈夫ですね
「あれ、祐一、何だか顔が赤いよ」
 名雪の言葉に顔を上げると、あら本当です
 どうしたのかしら、祐一さん
 二人でじっと見つめていると、祐一さんは誤魔化すように
「良いから……電気消すぞっ」
 きゃ
 私と名雪は慌てて自分の座る位置に戻りました
 パチンッ

 ――辺りを暗闇が支配しています……
 うふふ、なんだか神秘的な雰囲気です
 見えるのはガスコンロの灯りだけ
 霞んだ火に照らされた私たちの顔が、ぼんやりと闇の中に浮かんでいます
 ぐつぐつ……
「さて、そろそろ入れましょうか」
 鍋奉行役の祐一さんに従って、私たちは用意してきた材料の中から、一品選んで鍋の中に入れます
 一応、食べられるもの、との事でしたが、祐一さんが言うには、それこそ食べられるものなら何でも良いそうです
 ちょっとくらい変な物が入っているのが闇鍋という物だそうですので、私も少し羽目を外した物を用意してみました
 そろそろ、一品目が煮えた頃でしょうか
「いただきます」
 三人、口をそろえて、鍋をつつき始めます
 あ、何かつかみました
 私はそれをこぼさないように、慎重に口元へとはこびます
 はふ、はむ……
 美味しい♪
 どうやら、私が食べたのはお野菜、多分ほうれん草だったようです
「むぐ、うん……わたしが取ったのは、お肉みたい」
「まぁ……はじめは、普通の食材だろうからな」
 なるほど
 では、次に行きましょうか
 最初が普通だったからと言って、油断をしてはいけませんね
 さぁて、どれ
 ぐに
 あん、変な感触です
 お箸でなかなか掴めません
 ぐに、ぐに
 えいやっとぅはぁ
 ふぅ、掴めました
 では、お口へ
 ぱくっ
 ほみょっ!?
 くにゅっとしてて変な感触です
 はみゅはみゅ
 何かしら、これ
 こっくん
 ううん、お鍋の様なしょっぱい物には合わないような気がします
「ぐ、ぐにぐにするよ〜」
 あら、名雪も私と同じ物を食べたようです
「ふっふっふ……どうだ、俺の用意したナタデココの味はっ」
「変な物入れないでよ〜」
 ナタデココ……
 祐一さん、いよいよ妙な物を入れてきましたね
 はむ、ぱく
 はむ、ぱく
 しばらく鍋の中身を食べてゆきます
 真っ暗闇の中でこんな妙な物を食べるなんて
 うふふ、やっぱりドキドキしますね
「さ、次を入れましょうか」
 祐一さんの宣言に合わせて、みんなでまた新たな食材を入れます
 ぐつぐつ、ぐつぐつ
 さぁて、次は何かしら
 わくわくです
 ひょい、つまんでぱくっ
 甘いっ!?
 甘いです、甘酸っぱいです
 何ですか、これ
「名雪っ!? なんだこりゃ、何を入れた!?」
「えへへ、イチゴだよ〜」
 あらあら、さすが名雪ですね
「……名雪〜」
 祐一さんが何となく怒ったような雰囲気を発しながらゆらりと動きます
 それを感じ取った名雪が慌てて弁解
「わっ、わっ、だって、産地直送なんだよ〜」
 祐一さんは無言で名雪のほにゃほにゃほっぺをつかみました
 ……真っ暗闇の中で、器用ですね
 ぐにぐに
「いたいよぅ」
 イチゴを入れた名雪は、本気では無いにしても祐一さんに怒られています
 ……私は、その様子を眺めながら、次に入れようと思っていたイチゴジャムをそっと奥へ引っ込めました

 段々と食材もなくなりつつあり、いよいよ終盤です
「うふふ」
 ついつい、笑みがこぼれてしまいます
「あれ、秋子さん、何だか嬉しそうですね」
「だって、最後には、とっておきの物を用意していますから」
「へ? とっておきの物?」
「ええ……甘くないから、多分、鍋物に入れても珍味なんじゃないかしら」
「甘くない……って!?」
「そ、それって……」
 あら、どうしたんでしょうか
 突然、二人が何かに気づいたかのようにビクンと震えました
「すいませんっ、秋子さん、俺もう腹一杯です」
「わ、わたしももうごちそうさまだよっ」
 だだだだだ
 二人は、言うが早いか、急いで席を立って出ていってしまいました
 ぽつん
 独り残された私
 仕方がないので、私は、最後の食材で――特製ジャムをお鍋に入れました
 おたまですくって
 ちゅるちゅる
 あら、新しい味
 それにしても、どうしたんでしょうか、二人とも
 んくんく、こっくん
 こんなに、美味しいのに……勿体ないですよ







(終)

 これは、坂東いるかさんに贈ったSSを、許可を得て掲載させていただきました。


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