まぼろし蜜柑
あー。
頭痛ぇ。喉痛ぇ。眩暈がする。吐き気もする。体が火照るー。
とりあえず今の自分の置かれた状況を的確に判断してみたら、体調が二割増で悪くなった。
まさか、こんな時期に風邪をひくなんざ、何と言うか、自分でも随分馬鹿げた話なわけで、やっぱり昨日の花見で酔い潰れるまで呑んだのが原因だろうか。等と、不毛な自己分析と反省を兼ねてみる。
どうして、そんな一利どころか百害さえも無い事に、思考を裂いているのかと言えば、つまりは、風邪の諸症状の所為で、眠ろうにも眠れない状況なわけだ。気分は最悪ってなもんだ。
しかし、どうしようが、どうしようもないわけで、しょうがなく寝返りを打ってみる。既に自分が何回体を入れ替えたかなんて、覚えちゃ居ない。正確には41回目から。
とにもかくにも、視界がぐるりと巡って、汚いと言えば汚くて、極限まで散らかって居ないと言えば散らかっていない――少なくとも、綺麗だとか理路整然だとか言う言葉からは遠くかけ離れた――室内が飛びこんでくる。
テーブルの上に空き缶がニ、三本。薄汚れたソファの上に雑誌が数冊。脱ぎ捨てた服はフローリングの床の上。そいでもって……
まあ、その程度の散らかり具合。生活感が適度に溢れた光景だと、肯定的に受け取りながら、途方も無い倦怠感と、それでも何故か、眠る事を頑なに拒否する、茹る直前の脳みそとの間で、いっそのこと気絶でも何でも良いから、意識を遠く手放したくなる衝動。
そして、視界がふっと遠くなり、耳に届く音が現実から乖離し始めた、丁度その時。
来訪者は、まさに唐突に現れた。
「やっほー。元気に死んでるー?」
頭痛に染み入る程乱暴に扉を開けながら、開口一番に理不尽な事を言ってのけた、その女は、相変わらず楽しくも無いのにニコニコと笑いながら、勝手知ったる他人の家と言わんばかりに、どかどかと足を踏み鳴らしながら室内に上がりこんだ。
彼女は、一瞬だけきょとんと目を見開いて、俺の方に一瞥をくれたかと思うと、次の瞬間にはいつもの様に、にへらと軽薄な笑みを浮かべながら、手にしたコンビニの買い物袋をまさぐり始めていた。ただし、それが、風邪に喘ぐ俺への見舞いの品でない事は、経験から導き出された哀しい現実である。
案の定、彼女は某有名コンビニのロゴが入ったビニル製の袋の中から、スポーツ飲料のペットボトル入りを取り出すと、それを手早く開封し、俺の存在なんて最初から居ないかのごとく、それをぐびりぐびりと飲み干し始めた。
俺は、この馬鹿女の来訪が、たった今、静養という二文字を完膚なきまで粉砕した事を実感すると、それでも、どうせ最初から眠れなかったわけだから、半ば辟易、半ば救われたような気分で、この図々しく、デリカシーの欠片も持ち合わせていない、腐れ縁との会話に時間を費やした。
「ねーねー。所でさー?」
いきなり、会話を途中でぶったぎったかと思うと、きょとんと首を傾げる。
「つい、さっきまで、寝こんでるキミの布団の上に居た、小さい女の子ってさー……一体、何なのさ? いつのまにか、居なくなってるけど……」
俺は、それが和服姿で、ついでにおかっぱ頭だったか、と、尋ねた。すると、彼女は、うん。それそれ。と、上下に頭を振る。ああ、何だ――
「何だ。熱に魘されて見た、馬鹿げた幻覚ってわけじゃなかったのか――」
END