帰路狂談


時刻午前零時ちょうどに、列車は停止した。
夜空に月が笑っていた。
踏み出した一歩がコンクリートのホームにずぶずぶと沈む。
注意深く歩を進めると、田舎駅の階段はエスカレーターになっていた。
手すりに掴まり、足を乗せると、進んではいるがいつまで経っても上に着かない。
仕方なく自力で歩くと、難なく上まで到着した。
通路脇に貼られたポスターは皆、電磁波障害を訴えるものだった。
113項にわたって携帯電話の電波の有害性を指摘している。
定期を確認している駅員は自分と同じ顔だった。
駅の売店では老婆が一人、仏壇に線香をあげていた。
口元から紡がれた念仏は甲高い少女のものだった。
彼女は私を見ると、涎を垂らして微笑んだ。
駅を出ると、途端に背後でシャッターが閉まった。
勢いよく閉まるシャッターのふちが、襟を少し掠った気がする。
誘蛾灯には、日本では見られない極彩色の虫たちが集まっている。
夜空に月が笑っていた。
自転車置き場は、丈の長い雑草に覆われ、私の自転車には蔦が幾本も絡みついていた。
一本一本外していっても、一向になくなる気配がない。見ると、また新たに蔦が絡みつき始めている。
ハンドルを握り、無理矢理に発車する。ぶちりぶちりと嫌な感触と共に小さな悲鳴が聞こえた。
駅前のコンビニに入ると、店内には至る所にアルミ箔が貼り付けられていた。
店内の売り物は全て灰皿で占められていた。
店員は一生懸命にあみだくじを作っては、それをライターで燃やした。
歩くたびに身体に電流が走る。私は早々にそこから出た。
夜空に月が笑っていた。
角を曲がるとそこは砂漠だった。
遠くに聞こえる駱駝の嘶き。
砂にタイヤを取られつつも、しばらく進むと、ようやくいつもの道に出た。
踏切の前を通ろうとすると、列車が停止して警笛を鳴らしている。
頭上の電光掲示板には、この先40km線路渋滞と書かれていた。
夜空に月が笑っていた。
電話ボックスの中には煙がもうもうと立ちこめ、中の様子はうかがえなかった。
鎖に繋がれた犬は、飼い主の家庭菜園を必死に荒らしていた。
横に取り付けられた水道からは錆の付いた水がだくだくと流れだし、道路を赤く染めていた。
ペダルを漕いでいると不意に、私の視点が地面を這う蜥蜴のものになる。
蜥蜴はやがて、草むらに転がる空き缶の中に入っていった。私は自転車に乗っている。
中古車屋の車は全て売り払われ、代わりに沢山の海星や貝殻を売っていた。
それらには全て大きな一つ目が付いていた。
値段は安かった。
交差点から見える病院の屋上では、今日も相変わらず観覧車がくるくると回っていた。
その中では、シルエットでしか見えない恋人同士が愛を囁きあっている。
夜空に月が笑っていた。
橋を渡る。眼下に流れる川は深海魚の群で埋め尽くされていた。
消防署の壁には現政府を罵倒する落書きがされていた。
角を曲がると、サーチライトが町長選挙のポスターを照らし出した。
選挙ポスターに写っているのは、メガネを掛けた老人。
その私の祖父の顔に似た老人は、歯を食いしばっていた。
老人の顔の下には、コーラの値段を下げますと書いてあった。
やがて漁業組合の網置き場。網。網網網網。網。網。網網網網網網。網が。
農道に入る。
夜空に月が笑っていた。
側溝の中は眠る鳩で満杯だ。
皆良い夢を見ているようで、心なしか微笑んで見える。
田圃の真ん中では子供達がバベルの塔を作ろうと頑張っていた。
塔の先端から炎が放たれる。その炎に焼かれて耕耘機の上の水車小屋がかき消えた。
すぐに多数の消防車が現れ、彼らを包囲した。
夜が明ける頃、農道を抜けた。すると北から昇った朝日は姿を隠し、ふたたび周囲は宵闇に包まれた。
夜空に月が笑っていた。
バットを持った鎧武者の横を通り過ぎて、道路に出る。
道路は葬列の群れで溢れている。彼らは猫と懸命に争っていた。
猫は身体を二つに分かち、高らかに歌を響かせた。
夜空に月が笑っていた。
踏切では一人の老僧が空を指さして読経を続けていた。
その指先からは蝶の鱗粉のようなものがすうっと虚空へ伸びていた。
吸い込まれるように測道にはいる。
夜空に月が笑っていた。
そこにはウェハースで作られたビールケースが多数散乱していた。
夜空に月が笑っていた。
ぐしゃぐしゃと踏みつぶして帰路を急ぐ。他のビールケースはそれを見て一目散に逃げ出した。
夜空に月が笑っていた。
廃棄処分された戦車の脇をすり抜けて、家の明かりに辿り着く。
ついに月は大声で笑い出した。
あはははははははははははははははははははははははははははは。
満面の笑みを浮かべ、私に向かって一直線に落ちてくる。
急いで玄関の扉を開け、足を踏み入れる。
私は、列車とホームの隙間に飲み込まれた。
今にも列車は動き出そうとしている。














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