今日はなんの日ですか?
F.coolです。
秋子さんに、多大な感謝を込めて―――――――
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
うふふふふ。
ぽかぽかとした日曜日の午後、
洗濯物を干しながら、ついつい我慢できずに微笑んでしまいます。
いやです。なんだか今日は、気を抜くとすぐに口元がほころびてしまいます。
でも、仕方ないかも知れませんね。
だって、今日は―――――
母の日、なんですから。
去年は、名雪から可愛い髪留め―――今、私の三つ編みに付いている物です―――を貰いましたが、
さて、今年は、何を貰えるのでしょうか。
今年は、なにより名雪だけでなく祐一さんもいます。
本当は、プレゼントを欲しがるなんて、いけないことなのかもしれませんが、
今日だけは、ちょっぴり期待してしまいます。
祐一さんは、私に何をくれるのでしょうか。
うふふ、楽しみです。
でも、本当に欲しいのは、プレゼントよりも――――――
朝方は、二人ともまるで素っ気ないそぶりでしたが、きっと、忘れてると見せかけて、
あとで私を驚かせるつもりなのでしょう。
意地悪な子たちですね。
ああ、それにしても楽しみです―――
*
夕飯の支度が終わりました。
今日は、名雪が手伝ってくれたので、早くに出来上がってしまいました。
名雪が呼びに行くと、祐一さんがのっそりとした足取りで二階から降りてきて、食卓に付きます。
はい、それでは、
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
三者三様のご挨拶。
まず、名雪の作った唐揚げから戴きましょうか。
もぐもぐ…
うん! とってもおいしいです。
名雪も、料理の腕を上げましたね。
ある意味、こうやって名雪がすくすくと成長していってくれることこそが、何よりのプレゼントなのかも知れません。
でも、ね。
やっぱり、形式的な物も―――大切、ですよね。
それにしても…
ちら
名雪も祐一さんも、何ら変わったそぶりはなく、普通に夕食を食べています。
もう。いつまで焦らす気なんですか?
お母さんは、こうして待っているのに。
…それとも、もしかして…
…ふと、私の頭に恐ろしい考えがよぎります。
二人とも、本当に今日がなんの日か忘れているのでは…
私はううん、とかぶりを振ります。
この二人に限って、そんなことがあるはずありません。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
あ、あら?
二人とも、夕食を食べ終えると、黙って席を立って、出ていってしまいました。
夕食を食べ終わって、落ち着いてからなのかしら?
それとも…
ううん、だめよ。
そんなこと、あるはずがないじゃないの…
「秋子さん、たまには俺が食器を洗いますね」
「あら、嬉しいわ」
祐一さんの何気ない親切を、私は笑って受け入れますが…
はっきりと今日のことを示す言葉がないのが、とても寂しかったです。
*
夕食後、私は居間でテレビを見ています。
でも、心の中は今日がもう少しで終わってしまうことへの焦燥で、千々に引き裂かれていました。
「秋子さん、風呂、あがりましたよ」
湯気の立ち上るバスタオルで頭を拭きながら、居間に顔を出した祐一さんが私に声をかけます。
…私は、とうとう我慢が出来なくなって、反則とは思いつつも、祐一さんに聞いてしまいました。
でも、まずは遠回しに。
「…あの、祐一さん」
「…はい?」
「名雪は…」
「名雪なら、先に寝ましたよ」
えっ…
うそです
名雪が、今日のことを私に言わずにもう寝てしまったなんて…
私ががっくりと肩を落としていると、祐一さんはそのまま向きを変えて、
「…では、おやすみなさい」
ゆ、祐一さんまで…?
「祐一さんっ!」
たまりかねて、私は出口に向かおうとする祐一さんに大きく声をかけてしまいます。
「…なんですか?」
さも、面倒くさそうにこちらに向き直る祐一さん。
その怠そうな表情が、私の胸に突き刺さります。
「…今日が…なんの日だか…わかってますよね?」
結局……私の方から言ってしまいました。
ああ、ここで、「わかりません」とでも言われたら、私はどうしたらいいのでしょうか。
しかし、祐一さんの言葉は…
言葉は…
言葉はっ…!
「――――ああ、今日は母の日ですよね」
私は、その言葉が信じられませんでした。
知っていたのです。
祐一さんは、今日が母の日だと、知っていたのです。
知っていたのに…
知っていたのに…
それなのに…なんにも、言ってくれないなんて…
きっと、名雪も知っているのでしょう。
それなのに、どうして?
どうしてですか?
私は、お母さん失格なんですか?
私は、あなた達に母として認められていないんですか?
私は…
私は…
わた…し…は…
「それじゃ、おやすみなさい」
そういって出ていく祐一さんの姿を、私は見ることが出来ませんでした。
ソファに座っている私の目には、テーブルしか見えていませんでした。
そのテーブルに、水滴が、一つ、二つ…
ついにはテーブルは歪み、元の形が分からなくなってしまいました。
「……うっ…… …ううっ……」
ぼやけた視界の中で、名雪のくれた髪留めが、私の三つ編みとともに揺れていました。
*
鏡の前に立っている自分。
いやですね、まだ目が赤いです。
高校生の娘がいる歳にもなって、これじゃ恥ずかしいですね。
ぱちん、と部屋の明かりを消します。
ベッドの中に潜り込み、明日のことを考えます。
明日は月曜日ですから、二人とも寝坊しないように気を付けないといけませんね。
朝御飯は、いつも通りのトースト、それにちょっとしたサラダで…
サラダで…
…うっ……
それでも… それでも。
こみ上げてくる思いは堪えきれなくて…
目が、両目が、熱く、熱くなって―――――――
「うっ… ひぅっ…」
だめよ こんな事で泣いちゃ
明日は 二人に 笑って 接することが出来るように
いつも通りに いつも通りに 笑って
ね… 私
「ううっ… うはぁっ…」
でも でも どうしても 嗚咽は 漏れて
ベッドの外にまで、響くほどに…
頬に熱い雫が走り―――――――――
情けない、です、よ、ね、私
自分でも、そう思います
二人の前では、何事にも動じないように繕っていても…
すぐに…ほころびて、しまいます…
「…う… ………ううっ…」
だめです
泣いちゃ駄目だと分かっているに
やっぱり…だめ…です
だめ…です
雫は、首筋までにしたたり落ちて――――
はぁ…
こんな事だから…
私は、母親として、認めて貰えないんでしょうか…
その時、です
がた がたがた
…あら?
何かしら
部屋のドアの辺りから、何か物音が聞こえています
そっと耳をすませると、話し声の様な物が耳に入ります。
「だから… ……が…」
「……よっ …祐……が…」
この声は……名雪…それに…祐一さん…?
「お前が、ギリギリまで黙ってようなんて言うから、秋子さん、泣いちゃったじゃないか」
「うー…祐一だって、賛成したじゃないっ」
えっ…
二人とも…?
もしかして…
もしかして…
私は、再び目頭が熱くなるのを抑え切れませんでした。
でも、今度は……違う、感情です。
…うっ…
…もう、ホントに…
困った、子、たちですね…
私は、そばのハンカチで目尻を拭うと、暗闇の中、ベッドの淵に腰掛けました。
もちろん、顔にはいつもの微笑みをたたえて。
やがて…
そろそろと、ドアが開いて、二人がおそるおそる中に入ってきます。
「…秋子さん、起きてるかな…」
「もう、きっと寝ちゃったよ…」
「いらっしゃい、二人とも」
「「うわっ!」」
あらあら。
暗闇の中からかけられた私の声に、二人ともびっくりして飛び退いてしまいました。
私は、立ち上がって部屋の明かりをつけます。
「…うふふ、二人とも、どうしたのかしらこんな時間に?」
「あ…秋子さん…」
「うー…お母さん、意地悪だよ」
あらあら。名雪ったら、ぷぅと頬を膨らませてしまいました。
うふふ、意地悪なのはどっちなのかしら? お返しですよ。
「…その、秋子さん」
二人ともどう切り出せばよいか逡巡していたようですが、やがて、祐一さんの方が先に口を開きました。
「えと…プレゼント、です」
そう言って、祐一さんは背後に隠していた花束を、私に手渡しました。
その花は、真っ赤な、でも、優しい色の…
カーネーション。
母の日の、定番ですね。
でも、やっぱり、とっても、嬉しい……です。
ですが…
私はふと、心配になります。
「祐一さん、こんなにたくさん……お金の方は、大丈夫だったんですか?
いくらなんでも私のために、祐一さんに無理をさせるわけには行きません。
その言葉に、祐一さんは優しく微笑むと、
「大丈夫ですよ、北川も協力してくれましたから」
まぁ…北川さんも。
そんな…悪いです。
なにか、お返しを考えて置きませんと…
「心配しなくてもいいですよ、秋子さん。あいつ、なんだか秋子さんに憧れてる様子でしたから」
えっ
ええっ!?
私は目をぱちくりさせます。
え、ええ、えええ。そんな。
北川さんが。
いやですね、こんなおばさんの、何がいいんですか。
でも、単純に…嬉しいです。
祐一さんの優しさも、北川さんの気持ちも。
「祐一さん…」
「はい」
「有り難うございました」
「いえ、こちらこそ…秋子さん、いつも」
と、言いかけたところで、名雪に肘で小突かれて、祐一さんは慌てて言葉をつぐみます。
あらあら。
きっと、お礼は二人で一緒に言おうとでも、示し合わせていたのでしょうか。
――――楽しみは、後に取っておきましょうね。
私は、うふふ、と微笑むと、
「では、北川さんにも、お礼を伝えて置いて下さいね」
「はい。あいつ、有頂天になって喜びますよ」
まぁ。
北川さんったら…
…いけないとは思っていても、ついくすくすと笑ってしまいます。
「次は、私の番だね」
そう言って、今度は名雪が私の前に立ちます。
「お母さん、はい…これ…プレゼント…」
照れくさいのか、名雪は私の顔からちょっとだけ視線をそらせて、手に持った小さな箱を差し出します。
「なにかしら…あけてもいい?」
私がそれを受け取ってそう聞くと、「もちろんだよっ」と元気な返事。
そうして、ゆっくり、ゆっくりと開けてみると…
中に入っていたのは、青紫色の綺麗な石がはめ込まれた、素敵なブローチ。
「まぁ…名雪…有り難う」
名雪は、えへへ、と照れ笑いをします。
こんなに、豪華な物を…
「でも…これ、高かったんじゃないかしら?」
「うん。ちょっとだけ、ね」
「…名雪…」
私のために…
どうりで最近、あまりお買い物に行かないわね、と思っていたわけです。
こんなに素敵なブローチです。
きっと、高かったんでしょう…
ちょっとだけ、というその言葉が、胸に詰まるようでした。
名雪も…
祐一さんも…
優しすぎます…
私なんかのために…
「名雪」
「うん? なぁに?」
私は、名雪の目を、じっと見つめると、
「…お母さんは、いらないわ。あなたが付けなさい」
「ええっ!? なんで? …気に入らなかった?」
「ううん、とっても素敵だと思うわ。でも、ね……私は……うん、私は、その気持ちだけで充分に嬉しいから」
「お母さん…」
「ね、だから、私なんかよりも、名雪が付けた方が…」
私がそう言った途端、
「だめだよっ!」
強い、否定の言葉。
私は、びっくりしてしまいました。
「名雪…?」
名雪は、なんて事いうの、とでも言いたげに、まくし立てます。
「あのねっ! これは、お母さんに似合うように、って、選んできた物なんだよ。
ラピスラズリって言って、幸運のお守りなんだよ。
だから、お母さんがいつも苦労してるから、私、お母さんのためにって、選んで買ってきたのっ。
私が付けたんじゃ意味がないのっ。
ねっ、祐一も、これはお母さんが貰うべきだって思うよねっ」
「お、おう」
とっさに自分におはちが回ってきて、狼狽しているようですが、それでも祐一さんは頷きます。
「名雪…」
私のために…
嬉しい…
そこで名雪は一旦言葉を切ると、にっこりと笑って、
「お母さん、大丈夫だよ、私の分は祐一が買ってきてくれるから。ね、祐一」
「お、お……ちょっと待て!」
あらあら。
さすがに祐一さんも、それはちょっと、って感じです。
いつも通りのやり取り…
すごく、微笑ましいです。
やっぱり、なにより嬉しいのは、この二人が、こうしてすくすくと育って、仲良くしてくれていることですね…
「名雪、有り難う…本当に、とっても、嬉しいわ」
「うん、喜んで貰えて、私も嬉しいよ」
そして、祐一さんが名雪のとなりに並びます。
二人は、目でお互いに合図をすると、
「えっと…秋子さん」
「はい」
「……黙っていて、すいませんでした!」
…と、頭を下げられてしまいました。
「ごめんなさい」
あらあら、名雪まで。
いいのよ、もう。
お母さんは、少しも怒って居ませんから。
だって、あなた達は、こんなに優しいんですから。
だから――――ね。
二人とも、今日という日は、私に謝る日じゃなくて…
「そして、秋子さん」
「お母さん」
二人は、ゆっくりと頭をあげて、にっこり微笑んで、私がなにより聞きたかった、その、言葉を…
「「いつもありがとうございます!」」
―――――――――いいえ、どういたしまして。
(終)
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