手乗り姫


 部屋に帰ってみると、小さな小さな少女が眠っていた。

 ……おいおい。

 和服を着たその少女は、カーテンの隙間から差し込む温かい光に包まれて、机の上ですやすやと寝息を立てていた。

 身長は15cmくらいだろうか、綺麗に切りそろえられた黒髪が、つやつやと美しく、少女の幼い横顔を彩っている。

 夢かと思って頬をつねってみる。

 痛い。夢ではないようだ。

 俺がどーしたもんかと戸惑っていると、その気配に気が付いたのか、少女はゆっくりと頭を上げ、辺りをきょろきょろと見回した。

 数秒後、立ちつくしている俺と目が合う。

 すると少女は、じーっと俺の瞳を見つめた後、さも気怠そうに俯き、こういった。

「……死にたい」

 どういう意味だ、そりゃ。

 ああ、ともかく、だ。

 俺の静かな生活が、こんな妙ちくりんな闖入者によって邪魔されるのは真っ平ごめんだ。

 うん、そうだ。俺は無視を決め込むことにした。

 俺はよいしょと荷物を降ろすと、とりあえず机の前の椅子に座る。

 ちょっと書かなくちゃならない書類が……有るはずなんだが。

 机の真ん中に、かの少女がちょこんと鎮座している。

 しかも、堅い机の上で辛くはないのか、礼儀正しくスタイルは正座だ。

 無視、終了。

 ……まあ、ちょっとしたマスコットには丁度良いかもしれない、が、俺は書類を書かなくちゃならないんだ。

 こいつが妖精だの小人だの、そんなふざけた存在であってもどーでもいいが、今はこいつ、邪魔だ。

「おい」

 声を掛けてみる。少女は微動だにしない。

「邪魔なんだよ、どいてくれ」

 ここでようやく、私? と言わんばかりにほけっとこちらを見返す。

「そーだよ」

 果たして意志の疎通が出来ているのかどうか怪しいが、とりあえず俺は手を差し出す。

 少女はしげしげと俺の指先を見つめている。が、やおら立ち上がると、興味深げに俺の手をぺちぺちと叩きだした。

 痛くはないが、どーもくすぐったい。

「乗れ、って言ってるんだ」

 こんこん、と手の甲で机を叩く。少女は、ちょっと考えるように身を引いたが、やがてすぐに、慎ましやかに俺の手に乗った。

 そして、ちょこんと正座して、俺を見上げる。

 いや、正座しなくても。

 俺は少女を手近なベッドに移すべく、そろそろと移動する。

 さすがに落としちゃまずいだろうと俺はおっかなびっくりだったが、少女はつんとすましたままだった。

 その態度にちょっと業を煮やした俺は、布団の上まで手を移動させると、突然手のひらをひっくり返した。

 ころん、と落っこちる少女。もふんと布団にしがみついたものの、俺を恨みがましい目で見ている。

「……死にたい」

 いや、それは分かったから俺を睨むな。

 さて……と、とりあえず書類を……

 ……

 ……

 あいつ、まだ俺のこと見てやがる……

 ……

 ……

 お、あからさまに目をそらした。

 ……

 ……

 ん、いつのまにか布団にもふもふと戯れてやがる。

 ……

 ……

 ふいに、手をひゅっと上げてみる。

 おっ、一瞬びくっとした。

 ぷぷっ、「なんでもないですよ」って顔してやがる……

 ……

 ……

 だーっ!

 ダメだダメだ、気が散って書けやしない。

 仕方ない、明日に回すか……

 ん、ふと、時計を見ると、こんな時間か。

 飯だ飯、飯の準備をしないとな。

 と、簡単にチャーハンでも作る。まあ、男の一人暮らしなんかこう言うもんだな。

 さて、いただきます……と、おや?

 みょ〜に、痛い視線を感じる。

 いや、視線の発信元は分かってるんだけど。

 少女は、じーっと俺の持ったスプーンの行く末を見守っている。

 先ほどよりもずっと熱の籠もった表情だ。

「食いたいのか?」

 声を掛けてみると、少女ははっとしたように目を開き、ふるふると小さく首を振った後、つんと目をそらした。

 かわいくねーの。

 まぁ、本人がそう言う態度なら仕方ない、俺がスプーンを口に運ぼうとすると……

 く〜

 ……なんか、聞こえた。

 ん? と少女の方を見ると、おすましした真顔なんだが、さりげなく腹を押さえている。

 そして、ほんのりと頬が赤い。

 俺は忍び笑いを堪えつつ、小皿にチャーハンをほんのちょっぴり取ってやると、少女の前に置いた。

 さすがに食欲は我慢できなかったようで、すぐに少女は両手を合わせ、「いただきます」をした。

 そして、両手を前に出すと……そこで止まった。

 うん?

 なんか、手を出したり、引いたりして、米粒を掴むべきかどうか、迷ってるみたいだが……

 ああ、そうか。

 俺は有ることに気が付くと、爪楊枝を二本持ってきて、小皿の上に置いた。

 箸、だ。

 なるほどお姫様みたいな格好をした奴だもんな、あんまりはしたない真似は出来ないだろう。

 ちょっと身体に不釣り合いな大きさだが、少女はよいしょと箸を抱えると、器用に米粒を掴んで口に運ぶ。

 おーおー、食ってる食ってる。

 と、少女の食いっぷりに見入っていると、ふいに少女の動きが止まった。

 おや? と思っていると、何か言いたげにこちらをじっと見つめている。

 ……あ、見るな、ってことね。

 失礼しました、と向き直り、俺もチャーハンに集中した。

 何せ、もともと腹が減っていたものだから、瞬く間に食い終えてしまった。

 ふぅ、と腹をさすりながら、少女の方を見ると、同じように腹に手を当てて、満足げな微笑みまで浮かべている。

 なんだ、可愛いところもあるじゃないか、と思ったら、俺の視線に気づくと、再びぴしりと抑揚のない顔に戻った。

 しかしよく見ると、小皿に盛ったチャーハンは殆どなくなっている。

 この少女には随分大量だったと思うのだが、その食欲に、何というか、まあ、呆れた。

 さて、飯も喰ったし。今日は疲れ気味だし、このまま寝るか。

 この際、少女のことは生活リズムの範疇から外そう。自分が第一。

 ってことで。

 少女を両手ですくい上げ、柔らかいところ――脱いだ衣服の上に移す。

 なんだよ、その臭そうな顔は。

 少女は顔をしかめて、着物の袖で鼻をふさぐ。そして、おきまりの、

「……死にた……」

 を、最後まで言われる前にすくい上げた。

 へいへい、手の掛かるお姫さんだ。

 仕方ないので、洗いざらしのタオルを数枚、枕元に重ねて、その上に乗せた。

 きょとんとした顔をしている少女。

「ここで寝るんだぞ、いーか?」

 うんうんと素直にうなずく。こいつも眠いのかな、目がとろんとしてる。

 さて、俺も寝るか、と服をぱっぱと脱いで下着姿になる。

 少女は、固唾を呑んでその様子を見守っていたようだが、俺が振り返ると、さっと自分の目を手で隠した。

 ……でも、さりげなく指の間に隙間があいてるけどな。

「じゃ、おやすみ」

 軽く少女の頭を指で撫でてやる。

 少女は、むっとしているような、嬉しいような、複雑な顔になった。何となく、可笑しい。

 俺はベッドに潜り込み、枕に頭を預けると、部屋の照明を消す。

 と、枕元でなにかわたわたしてる気配がした。

 どうも少女は暗闇に戸惑っているようだ。

 電気は消さない方が良かったかな? と思ったが、やがておさまり、すうすうと寝息が聞こえてきた。

 俺も安心して、目を閉じる。脳裏に浮かぶのは今日のとりとめもない記憶。

 やがて、思考が枕元のこいつのことに及ぶに至って、いよいよ脳は反抗し始め、そのままどろりとまどろみの中に落ちていった。

 ぺた

 ……んあ?

 ぺた

 なんだ? 何かが、俺の頬に張り付いている。

 なんか、ちっちゃい……ネズミか?

 いや。

 きっと枕元にいたアレだろう……何やってんだ。

 薄目でそっと様子を伺うと、俺の横顔にぴったりと張り付いて、頬をすり寄せている。

 何だか満足げな表情だが、口を開けば、

「……死に……」

 寝入りばなにそんな不吉な言葉を聞かされてたまるかーっ!

 とばかりに俺は少女の襟首をつまみ上げる。

「お前なぁ……」

 俺が寝ぼけ目で抗議すると、少女は、今まで手足をぱたぱたさせていたが、急にしょんぼりとなった。

「ったく」

 舌打ちをすると、少女をベッドに降ろす。

「ひっつくのは勝手だが、潰されても知らねーぞ?」

 とだけ言って、俺は再び目を閉じた。

 闇の中で、少女がぺこんとお辞儀をしたような気がしたが、後は良く知らない。

 俺はぺたぺたされつつ、夢の中で朝を待った。



 朝起きてみると、もうあの少女は居なかった。

 布団をひっくり返しても、引き出しを開けても、少女は居なかった。

 夢かと思って頬をつねってみる。

 痛い。夢ではないようだ。






(終)

絵と原案 桜塚さん



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