シャイアさん、ご用心! その7


 残暑! 残暑が厳しいざんしょ! うわあ! こんなこと言っても余計暑苦しくなっただけでちっともお寒くならねえ!
 外ではコオロギの大合唱、とてもとても、寝られる気分ではない。深夜だというのに、汗がぽたぽたと垂れてくる。
 シャツの裾を引っ張りつつ、俺はこの家の同居人をからかいに行くことにしました!
 ではまずは隣の部屋のシャイア君から、って、なんでわざわざあんなちんちくりんを見に行かなければならぬ、バカバカしい。
 せっかくぼんきゅぼーんのおねいさんが居るのだぜ! 夜中紳士が訪ねていくのは礼儀と言うもの!
 そして彼女と共に白馬に乗って森の道をぱからっぱからっ。違うか。何だよ白馬って。
 ドールの部屋は、一階の奥にある。てゆか、奥になった。と言うより、住み着かれた。
 一番日当たりの少ない部屋が良いらしい。ハァ伴天連のねーちゃんはみんなこうなのかねえ。
 ともかく抜き足差し足忍び足。階段をそっと降り、廊下も音を立てないように慎重に歩く。
 さあここが目指すドル子さんの部屋だ。戸をゆっくり開けると、畳敷きの上にベッドが見える。罰当たりなロケーションだな。
 この暑いというのにドル子さんたら布団をすっぽり被っちゃってうふふ! どれ、ご開帳〜
 ひゃあドル子さん、まさかこんな格好で寝ているなんてエロいなあ、まるで丸めた毛布じゃないか!
 つうか丸めた毛布です。
 止まる俺。
 何と変わり身の術!? えっ!? 何事!? じゃあドールちゃまはどちらに!?
「天井さがりィ〜」
 ぬーんと俺の前にぶら下がってきた逆さ女の首。お互いの目線がびしっと交錯、気絶だ! 気絶しろ俺!
 ここが化け物屋敷だったなんて聞いてないぞうわあんこんなことならおうちで寝てれば良かった!
 誰だよ心霊スポット探索しようぜなんて言ったのギャア俺達もうダメだ呪い殺されるんだ!
 と言うよりこの逆さ女はドールさんなんですけど。まあ、口が耳まで裂けて、目がとっても虚ろなのを覗けば至って平常健康なドル子様の笑顔です。
「何をなすっているんだあんたは」
「天井下がりィ〜」
 らしいですよ奥様。
 このぅ驚かしやがってちゅうしちゃうぞ! ちゅー!
 と、俺が唇を近づけると容赦のないヘッドバッド! ヘッドバッド!
 がふんと部屋の壁に叩きつけられる俺です。どうやってそんな体勢から凄まじいヘッドバッドが出来ますか!
「いえ、こう、本来天井下がりというのは逆さではなく」
 そうブツブツ言いながらくるっと後ろを向き、ぎぎぎぎぎぎぎと背骨を逸らし始めるドル子さん。
 なるほど今度は逆さじゃなくてちゃんと上下がしっかりしてます。
 やった! やったよドル子さん! それってとってもパーフェクト! いえー! フィーバー!
 そっと部屋を後にしました。
 ええと。
 ええと。
 思考を放棄してシャの字の部屋に行きました。
 やっぱり古女房が一番だよひゃっほう!
「ぐがーごごごご」
 シャイアさんのいびきで部屋が揺れました。
 逃げてえ。どこから!? 世界から!!
 何だねシャイアくん夏用布団がわやくちゃじゃないか寝相が悪いなああれれ。
 何か、おかしい、ぞ。
 俺が見ているこの風景、どこかおかしな点が有るそれはどこだ!
 おお!
 シャイアくんったら素っ裸じゃあないか!
 何ぃ!?
 兄貴事件です! シャの字が素っ裸です! すっぽんぽんです! 全裸です! オールヌードです!
 と、と、と、と、とか言って、実はちゃんと下着くらい付けてたりするんだろうどうせ。
 ほら、布団をめくってみれば、ブラの紐が。
 見えません。
 お。
 おおおおおおお、落ち着け俺、俺、俺、俺。
 すうう、はあ、すうううう、はあああ。
 全裸! おお、これは、これは、きっと、俺に襲えと! ああ、そうだ! そうに違いない!
 毎晩シャイアさまと来たらはしたなくも全裸で寝て、俺を誘惑していたのだ!
 気づいてあげられなくてごめんよシャイア! ぺったんこぺったんこ馬鹿にしていて悪かった! 今日から君は貧乳娘にランクアップだ!
 しかし俺は全裸より下着姿の方がエロいと思うんだうん。
 と言うわけで、シャの字の箪笥をごそごそ漁り、オウケイパンツとブラゲット。おおすげえ真っ黒でセクシーだ。無駄に。
 こいつをこう、こうやって、シャイアの足に通して、ううん、布団の中は暗くて良く見えないな、まあ、それでこそ味が有るというか、ふむ。
「むにや?」
 おおシャイアくん覚醒かね待っていたまえ今おぢちゃんが君におぱんちゅを履かせてしんぜよう。
「ごしゅじんさま?」
 イエスザッツラいと。皆様の楠井摘人で御座います。
「んー」
 目をこしこしするシャイアさん。あっあっ、上半身起こすと胸が見えちゃうよ! 引っ掛かるところ無いんだから!
「えとー」
 シャはまず俺を見て、そしてパンツを見て、次に自分の爪先を見た。
 どうした恥ずかしがることはない、否否、ちょっとくらい恥ずかしがってくれた方がきっと良いスパイスそれは未来のための第一歩!
「とりあえずですね、死んどけ」
 緊急入院。俺の記憶、途切れる。





 ふひー。シャイアと買い物に出かけたら、随分と日が暮れてしまった。
「でも、まだちょっぴり夕日が残ってますよー」
「うん。この時間は逢魔が時と言って、もっとも怪異に遭いやすい時間なんだねー」
 痛い痛い痛い痛いつねるなシャイア俺は両手が荷物で塞がれてるんだコラ卵が割れるぞ!
「な、なっ、なんちゃらことを抜かすですかこのおばかっ! おばかさまっ!」
 バカにされているのか敬意の表現なのか。と言うかもっと日本語を大事にしようよ。
 しかし、怖くて慌てふためくシャの字はなかなか愉快。おっ。心なしか俺の方に少し寄り添ってきたぞう、これはグッド!
 周りは田圃や畑、或いは工場の高い壁と言う実に寂しいロケーション。勿論、人影など一つも無く、消えかけた街灯には羽虫がたかっている。
 アスファルトの道路がちょうど踏切に差し掛かったところで、俺は再び口を開いた。
「そう言えばさあ」
「はい、なんですかー」
「ここで鉄道自殺した男が居てね」
 ぶわしっ! と素敵な音を立ててシャの字の買い物かごが俺の顔に大炸裂だ!
 メガネ割れるぞおい! シャイアは怒りにむせぶ目で俺をキツく睨み据える。
「こっこ、このっ、こーっ」
「まあまあ聞いて聞いて。で、その男は、どうも失恋が原因で自殺したらしくてね」
「いいから、早くこの踏切を抜けましょうよ」
「おや残念、遮断機が下りてきてしまったよ」
 警告灯が明滅し、カァンカァンカァンと音を立てながら黒と黄色のポールが俺達の前に降りてくる。
「い、今なら間に合います、走って抜けましょう」
「いやあ。俺は、その男のようにバラバラになりたくないしい」
 そう言うとシャイアはぴたりと動きを止めた。
「さて、現世に未練が有るのか、その男はしばしばこの踏切に現れるのだよ」
 俺の言葉を聞いているのかいないのか、シャイアはそわそわと左右を見回す。早く電車が通り過ぎて行かないかと待っているようだ。
「そう、しかも、若い女の子の前に良く現れるそうなんだよ」
 シャイアはびくん! と硬直する。今度は、何も見るまいと言うのか、じっと俯いてしまった。
「まあ、しかし、なんだなあ。轢かれたときはバラバラになったものだけれど、霊として現れるときは生きていたときの姿とは、便利なものだよ」
「ご、ごしゅじんさまあ、もう」
 シャイアは、いよいよ泣きそうだ。
「シャイア」
 俺は、重々しく傍らの少女の名を呼ぶ。
「君はまだ、俺が、本当に――楠井摘人だと、思っているのかい?」
 ごとん、ごとん、ごとん、ごとん。
 俺がそう言った瞬間、轟音をたてて列車が俺達の目の前を通り過ぎていった。
 シャイアは、無言だ。俺も、何も言わない。
 警笛が鳴りやみ、遮断機がゆっくりと持ち上がってゆく。
 するとシャイアは、
「ひわあああああああああああっ!?」
 叫ぶだけ叫んで、走って行ってしまった。
 ああっはっはっはっはっは日頃の恨み、思い知ったか! しかしなんとも恐がりだなあシャイアは!
 いやあ、それにしても足が速いなあ、おお、もうシャイアの姿が見えなくなった。
 さてさて、俺もゆっくり帰るかな、と。
 その時、ごお、と風が吹いた。
 そして俺は、自分がここに取り残されていることに気づいたのだった。
 いつの間にか完全に陽も暮れ、前を見ても、後ろを向いても、闇、闇、闇。
 ……
 うわああああっ! シャイアああああ待ってよおおおおお! 置いてかないでえええええ!







 しばらく走ったところでようやくシャイアの後ろ姿発見、俺は思わず叫んだね!
「シャイアああああああああああああああ!!」
「ああああああああああ来たああああああ!?」
 顔面にマジパンチ! 腹にマジキック! こッ、殺されるッ!?







「ごしゅじんさま。この位で許してあげますが、もうあんなイタズラは許しませんよ?」
「はあい」
 と、顔面がお岩さん状態の俺は死にそうな声で返事をする。
 全くシャイアくんたら優しいなあ、メガネが割れないように、わざわざよいしょと外してから殴るなんて、あははは、はは、は。
 しかし、さすがに、住宅街まで来れば怖くないよう。隣にはシャイアが居るしね。
 いや別の意味じゃあそれはもう最高に恐ろしいんだが!
「ふー、そろそろ家につきますねー」
「うむ。無事に辿り着けてなによりだ」
「それがふつーなんですっ」
 ところがそこで、我が家の塀からぬうっと影が伸び、そいつが俺達に向けて叫んだ!
「うわん!」
「ぎゃあああああああ!?」
「ひやあああああああ!?」
 俺とシャイアは同時に駆けだした! なんだなんだ! この住宅街にこんな怪しげななんだかびっくりがあるなんて! 責任者出てこいよ!
 とにかく、走る、走る、走る、走る!
「ごしゅじんさま、玄関こっち! 通り過ぎてます!」
「おおっとっとっとっとと、シャイア! ここは俺に任せて先に行け!」
「分かりました!」
 そこで素直になるなよっ!? つうかもう家に入るだけなんだ、俺は行くね! ああ、自分の家の扉という未知への憧れを抱いて!
「か、か、か、鍵! シャイア、早く鍵だ!」
「わわわわわ分かりましたええとええと、よいしょ!」
 震える手の持つ鍵が、がっしりと穴に刺さった!
 ようし後はそれを回すだけだ! 頑張れシャイア! 死力を尽くせ!
「オウケイボス、わたくしにおっまかせ☆」
 シャイアもシャイアで動揺すると凄いことになるなあ。
 がちゃり。
 よし、これで。
 ……
 ドアが開かねええええ!?
「ど、ど、どうしましょう! コレは一体!?」
「うううむ! どうやら俺達は閉じこめられたらしいぞ!」
「ええっ! そんなっ、じゃあ、もう!」
「あああ! 後ろから奴が、奴があああああ!」
「ひやああああきゃああああ!」
「何を騒いでいるんですか」
 がちゃり。
 中からドアが開き、ドル子さんが俺達に冷静な視線を向けている。
 ああ、そうか、ドル子さんに留守番を頼んだのだっけ。それじゃあ、鍵は、元から開いていたと言うわけか。
 家の中に入った俺達は、ようやく一息つく。
「やれやれ、こんなにスリルとショック、サスペンスに満ちあふれたおつかいは初めてだったなあ」
「もういいです」







 しかし。寒いなあ。
 こう寒いと、コタツから出るのも嫌になる。
 シャイアは女性週刊誌を、ドル子さんはなんだかよく分からない古文書のようなものを読んでいる。
 俺はふとあることを思い出して、シャイアに声を掛けた。
「そう言えばさあ、シャっちゃん」
「はあい」
「この間の、『ぐわん!』ってのは何だったんだろうなあ」
「思い出せないでくださいよ、あれ、でも、『ぶわん!』では有りませんでしたか?」
「ぐわんだよう」
「イーエぶわんです」
「『うわん』ですッ!」
 突如体を起こし、俺とシャイアに猛然と反論するドールさま。呆気にとられる俺達。
「良いですか、うわんと言うのはですね、人が通ると、いきなり「うわん」と気味の悪い声を出して驚かせると言う伝統と格式、情緒に溢れた妖怪で有りまして」
「ようかい」
「そうです!」
「それで、なんでそんなのがうちの庭に居たんだろう」
「素敵では有りませんか」
 いや、全然。
「そう言えばあの声、ドールさんは聞いてなかったんですか?」
 おお、そう言えばそうだね、家に居たのなら聞いていたはず。
「え。あ、あの、それは、その」
 何だろう、ドル子さんは露骨に目を逸らした。
 そう言えば、あの、うわんっちゅう声も、今考えてみれば、何となく女性的だったような。
 ってゆかもろにドル子さんの声だったような。まさか。
「あのうドール嬢」
「いいえ私はドールでは有りませんよ」
 じゃあ誰だよ!
「実は私は、シャイアさんだったんです」
「えっ!? じゃあわたしは誰!?」
「あなたが、あの、うわんの正体だったのです!」
 なんだってー!?
「そんなっ、わたしが、ああ、えーっ?」
「そうか、シャイア、お前は」
「うう、ごしゅじんさま、今まで隠しててごめんなさい」
「いいんだ、シャイア、俺達はこれからも変わらず、ずっと一緒だよ」
「え? ずっと?」
 なんでそこに不満を漏らすんだよ!
 それで、ええと。
「さて、今日のご飯は何にしましょうか」
「あ、鶏の唐揚げなんてどうでしょー」
 ああ、それはいいねえ。
 女の子二人は、よいしょを腰を上げ、台所に向かっていった。
 ん。
 果て、俺達は何の話をしていたんだっけ。



(つづく)



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