シャイアさん、ご用心! その6


「犬を飼いたい!」
 夕飯後ののんびりした時間、俺が突然叫んだものだからシャの字後ろにこけた。
 座布団に頭をこーんとぶつけます。
「何ですかいきなり!」
「何だねじゃあ段階を踏んで君のお耳にそっと囁くところから始めるべきだったとでもいうのか!」
 シャの字、一瞬黙る。
 そして、大量のゴキブリを見つけたときのような顔になると、
「それはイヤです〜」
 そこまでイヤですか。
「ええと。何ですか、わんちゃんを飼いたい?」
「うんそうなのママー」
「うわキモッ」
 お前もお前でわんちゃんとか言ってるじゃねえか!
「まあ、そうですねー。わたしもやぶさかでは有りませんけれどー。可愛いですし」
「うん、可愛いよなあ」
「でもー、お世話とか大変ですよー? ご主人様がちゃんと出来るとは思えません」
 けなげな表情で、俺をついと見上げるシャイア。
 確かに俺は自分の世話も満足に出来ない男だけどー。
「お世話。お前さんはしてくれないの?」
「やァだかったりぃー」
 どこまで悪くなるんだお前の言葉遣い!
 むう。これはきっと付き合ってる人間の言葉が酷いに違いない。誰だシャの字と一番接してる人間それって俺だ。
 ええと。では美しい言葉のれんしうー。
「はりおりはべりー、いまそかりー」
「ごしゅじんさまには会話を成り立たせようと言う気があるんですか」
「犬を飼おうぜ!」
「うわ強引に戻した! えっとー。ですから、お世話とか、食費とか」
「いやいやそんなのは要らなくって」
「へ?」
 きょとんとするシャの字。
「あ、あれですか、ロボット犬」
「いやいや生きているよ」
「はぁ〜?」
 シャイア、理解不能らしく首を傾げる。
 つまりだなあ。
「シャイアわんわん〜!」
「ほへ」
 シャイアさん、黙る。
「あなたはワンちゃんです。首輪とか付けて〜、勿論人間の言葉は喋っちゃめーよ、あ、それから服も着てはいけませーん」
「ははあ」
 シャイアさん、笑う。
 ぼかあシャイアさんの様子をちらっと見ます。笑顔で。
 するとシャイアさんは俺様をじいっと見ます。笑顔で。
「シャイアさん?」
「はあい♪」
「お、お手」
「わんー♪」
 恐る恐る手を差し出すと、俺の手のひらの上に、ぽん、と、シャっちゃんの可愛い手のひらが重ねられました。
「あはは」
「えへへ」
 ぎゅみっ。
 あっあっあっあっシャイアさん痛い痛い痛い痛い痛いギャアア握りつぶさないで俺の手死ぬ死ぬ再起不能!
 はあ、はあ、はあ、はあ、ああ、やっと離してくれた、あれ、シャイアさん、ボールペンを三本持ってきて。
 俺の、指の付け根にそれを一本ずつ挟んで。ふむ。
 そして、俺の指をまとめて握、痛ェェェェ指が指が折れるギャアアちょっと握られただけで激痛うわっうわあああ!!





 おお、未だに指が痛い。本気で折られるかと思ったよう。
 その後、一晩明けて午後になってもシャイアさんのゴキゲンが悪いので、ぼかあ災厄を恐れて逃げ出したってわけさ! あはは雇われ人は気楽でいいね!
 あれえ。
 果てあの家の主権は誰に有ったかなあとぼんやり考えていると、俺の足が何かにぶつかった。
「痛っ」
 道端の段ボールでした。
「あ、これは失礼」
 がたんと揺れた段ボールに謝って、俺はとぼとぼと歩を進め、め、め、め?
 だっ。
 段ボール!?
 俺はじりじりと間合いを取りながら、段ボールを観察する。
 ええと。段ボールの大きさは1m四方。頑張れば人も入れそうだ。
 成る程人が入っているのかァー。あはは気づいてみれば何て事もない。
 段ボール入りの人だなんて珍しくもな俺は一目散に逃げ出した!
 何だよ何だよ、なんでそんなおかしいのが俺の近所に居るんだよおうわあん!
 背後からガタガタと物音。なーんでーすかー。
 振り返ってみました。
 ギャア段ボールのまま追ってくるって何よ物理的におかしいよびえーん!
 ころん。こけました俺。
 ああ、サヨウナラ美しき世界、ぼかあここで段ボールに襲われて死んでしまうのだなあ。
 男の死に様なんて惨めなものさギャアイヤだぁ段ボールなんかに殺されるなんて死んでもごめん、あれえ。
 どすんと言う音。顔を上げると、目の前に段ボール。まさか跳躍したとでも言うのか!
 ええい常識知らずの段ボールめ! 俺にどうしろって言うんだ!
 よく見るとその段ボールにはマジックで何か書かれていた。なあに。
『捨て犬です、拾ってください』
 犬なわけあるかッ!
 ぼかあ自棄になって段ボールのフタをぺこんぺこんと開けましたさ、すると中に入っていた金髪セクシー美人。
 何て事が有ったら良いなあ、とか思ってたら本当に体育座りの金髪セクシー美人が入ってました。
 ええと。
 その、ちょっとシャギーの掛かった金髪ショートカットのお姉さんは、大きく襟の開いたTシャツジーンズ姿を見せびらかすように、優雅な仕草で立ち上がると、
「イリュージョーン」
「いや違う! 全然手品じゃねえ!」
 どこから突っ込めばいいのかわからんのでとりあえず手近なところから。
 それにしても外人さんは背が高いべなあ、ほれ見つめ合うとオラと同じ視線の高さ。
 見つめ合う。見つめ合う。
 見つめ合う。
 いやん。ぽっ。
「あなたの負けですよ」
「勝負!?」
 分からん。何ですかこの人は。いや、人? 確か、段ボール箱には。
「あなた、犬?」
「にゃあ」
 なんだ猫じゃないかあーあっはっはっは俺は一目散に逃げ出した!
 いやあマズいっスよやっぱしぃー。いかに美人とはいえああもおっかなくては。
 シャの字の場合はまだぽややんとしてたからアレだけど、今のは、もう、下手を打つと命に関わるような気すら、いや、シャの字だって充分デンジャラスなような、ううん、ええと、あー。
 とか言ってる間に家に着きましたやったただいま!
「おかえりなさいー。あれ? 後ろの方は」
 後ろ。どなた。
 って振り向かない振り向かないよ! 絶対に何が起こっても振り向くもんか!
 とか思ってたら頭掴まれてギリギリギリギリって無理矢理振り向かされた痛いー。てゆかそれって反則じゃないのー? ねえー!
「ばあ」
 口裂け女と鬼婆と幽霊をミックスしたような顔が目の前に有ったので、任意に気絶致しますぐう。





「と、言うわけだったんです」
「はぁー、それは大変でしたねぇ〜〜。あ、お茶のお代わり要ります?」
「それでは、お言葉に甘えて」
 誰かの会話が聞こえる。
 ええと。ああ、頭がふらふらする。
 確か、俺は、気絶して、そうか、ベッドに寝かされて、いや、おい、ここ玄関先じゃねえか! 酷いよシャイアさん!
 と、俺がいきり立って何やら楽しげに会話が弾んでいる居間の戸を開けると何と、うわあ!
「さっきの猫だか犬の人!」
「まだ昨日のこと引きずってるんですかアンタはッ!」
 シャイアが、空になった、茶碗を、振りかぶるのが、ゆっくり、ゆっくりと、見える! そして、その軌道すらも、まるでスローモーションのように、俺の瞳に、あー。
 見えただけじゃかわせませんごちーん痛ェー。
 ええと。違うんだ、いやこの痛みは違わなくて。あー、うー。
「大丈夫ですか?」
「はいお嬢さん大丈夫ってゆか、あー! 何であなた此処に居るの!」
「ほゃ?」
 この間抜け声はシャの字さんの方でーす。
「だってさっきご主人様がお連れなさったんじゃないですかあー」
 いや違うよ勝手に着いてきたんだよ!
 うにゃあ? と首を傾げるシャイア。
「ああ。ご主人様がこちらのお姉さんに着いてきたと」
 俺って何者だよ! いや。まあ。やりかねないが。
「それで、こちらの方、これからここに住むことになりました。仲良くするんですよー」
 わあいー。新しい仲間だ! よろしくね!
 待てコラ!
「おっ、お前、んな、勝手に、おっ」
「だってこの方、凄く可哀想な経歴をお持ちなんですようー。身よりもないって言うし、美人で華奢だし、まるでわたしみたいじゃないですかー」
 一部待て。
 でもそんなこと言ったらこの事態がますます混乱するので黙っているのですウフフ奥ゆかしい僕ちゃん!
「なんだよう、その、経歴ってのは」
「わたしが聞いたから気にすることは有りませんよ」
 うわすっげえ気になる!
「い、いや、俺も是非、知りたい、ねえ、ねえ」
「いえー。男性の方に話すのは、ちょっと」
 もっと気になるじゃねえか!
「そんなこと言わずに、ネェー、ネェー」
「気持ち悪い声出さないでくださいッ」
 そこでシャイアは俺をきりっと睨め付けると、
「わたしが決めたんだから良いんですっ! わたしの言うことに逆らう気ですか!?」
「この野郎黙って言わせておけば調子に乗」
 ごめん眼力負けした! わあん怖いよー、怖いよぉー。
「あのう、それでこの方は」
 お茶をずずっと啜りつつ、お姉さん呑気に問いかける。
「ただの穀潰しですからお気になさらず〜」
 お前ね俺のことさっきからご主人様って呼んでたじゃねえかよ!
「じゃあ穀潰しって呼びましょうか」
 すみません是非ご主人様のままで、ええ、はい。
 しかし、ま、なんだね。さっきはおかしな人かと思っていたけど、こうして落ち着いてお茶を飲んでいる姿は、うん、なかなか良いじゃないの。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私、ドールと言います、宜しくお願いします」
 ははあドールさん。なんか成り行きでここに住むっぽいけど、上手くやっていけるといいなあ。
「どうぞ、お気軽に、ドル子さんとでもお呼び下さい」
 いやダメだ、全然上手くやっていけねえ! もう私たち限界よ!
「ドル子さーん」
「はーい」
 そこも簡単に馴染むんじゃねえ!





 こうしてうちには経歴不詳の方が二人も住み着いちゃったんですが。
 ドル子さんの方は家事をするでもなく、ふらりと居なくなっては、ふらりと飯時に帰ってくるんです。
 食後のんびりお茶を啜るドールに声を掛けてみました。
「あのうドル子さん」
「はいなんでしょう?」
 ドールはシャの字と違ってスタイルも良く、シャの字と違って胸も大きく、シャの字と違って瞳もぱっちりしていて、シャの字と違って髪の毛も綺麗で、シャの字と違ってうわ背後から殺気!
 か、か、考えてただけだってのに恐ろしいなあ! 俺に安住の地は無いのか。
 で、だ。
「あんた一体、昼間とか何してるの?」
「っ!」
 何でそんな怯えた目で俺を見るのさ!
「とうとう、気づかれて、しまいましたか」
 いや、何言ってるのよあなた!?
「実はそれは私の正体と深い関係が」
 ちら、と俺を見るドルさん。
 黙ってる俺。
「ああ、聞かないでおいてくれるなんて、お優しい人!」
「えっちょっと俺、知りたいんだけど!」
 めしゃん。ドールさんの握っていた茶碗が粉々に砕け散りました。
 視線を、左に。右に。左に。右に。
 あっはー。
 オウケイ俺も男だ何も聞くまい!
「では教えて差し上げます、しっかりお聞き下さいね」
 どっちだよ!
「実は私の正体は」
 正体は!?
「妖怪」
 何ぃ!? ってゆか納得出来るような気もするが!
「研究家」
 って、なんだ、妖怪研究家かー。
 それなら有り触れてるなあ、ははあ、へえ。
 いやマテマテマテマテ十分すぎるほどおかしいて!





 にしても外国人で妖怪研究家って、何だかなあ。何か切っ掛けとか有ったのかしら?
「やややー。何のお話ですかー」
 おおちっこいのが来た。さあお爺ちゃんの膝の上にお座り。
「はあいー」
 ぽふん。
「って! ちょっとごしゅじんさま何してんですか!」
 いや座ったのはお前だが。わあい柔らかあーい。軽ーい。うふふ甘い香り〜。
「あ、あああもう! こ、こほん。今日は特別にゆるしたげます」
 何を言ってるんだおまいさんは。まあいいや。どるどるちゃん、続きー。
「はい、私は天狗に育てられたんです」
「えっ! わたし、この前は、河童と聞きましたよ!」
 どっちもどっちだ!
「ええと。天狗に育てられた後、川に流されて、河童に」
「なるほどぉー。苦労したんですねー」
 信じてる! シャの字ったらすっかり信じてるよ!
 ううむ。これはもしや。
「シャイアくん。実は俺ってば、鬼の一族の末裔なんだ」
「バカじゃないですかあなた」
 ひでえ! それってマジ酷すぎる!
 ドル子さんは信じてくれるよね! ね!
「ふン」
 鼻で笑われたヨ!


(つづく)



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