夏みかん



 あ〜〜〜〜!

 暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い!

 と、ベッドの上でじたばたしたらますます暑くなった。

 こーんなに暑いと昼寝も出来ないなあ。

 あたしは汗だくになったタンクトップの裾を持ち上げて少しでも熱を放出させる。

 それでも窓から入ってくるのはねっとりとした蒸し暑い風。ちっとも涼しくなんかならない。

 あーあ。

 あたしは枕の位置を直すと、なんとか睡眠を取るべく目を閉じた。

 暑い、まだ暑い。だんだんと感覚が麻痺してくる。

 これが正常なんだよーとあたしは自分に言い聞かせる。

 心頭滅却火もまた涼し。涼し。じとじとじと。ああもう。

 やはり寝苦しくて、あたしは何度か寝返りを打った。

 と、横になってベッドに耳をぴったりくっつけていると、なんだか、ベッドの下でごそごそ音がする。

 やだネズミー? と身を乗り出して、ベッドの下を覗いてみると、そこにはお人形が俯せに倒れていた。

 おかっぱ頭の日本人形で、紺色の地味な着物を纏っている。

 なんだ、ごそごそ言ってたのは人形かーと思ったらすっと背筋に寒気が走った。

 って、それってホラーじゃん。怖いって。ちょっとちょっと。

 大体うちに人形なんて有ったっけ。有ったとしてもそれがどーしてあたしのベッドの下に。

 考えれば考えるほど恐怖は倍加してゆく。

 でもあたしはその人形から目を離せなかった。

 今、人形の指先がぴくりと動いたような。いやいや気のせい、気のせい。そんなことあるわけなガサリ。

 あたしは息を止める。明らかに人形の腕が動いた。

 すっと意識が遠のきそうになったが、そこはそれ、今失神したら床に頭ごつんじゃん? それは避けたい。

 お間抜けな事を考えたら少し余裕が出てきた。ようく目を凝らすと、その人形はすうすうと呼吸をしているようだ。

 生きてる? あたしは地面に頭を向けたまま首を傾げる。

 あ、じゃあ、呪い人形じゃなくて妖精かなんか。

 人の世に魂魄残して恨めしやあ、じゃなければ怖くないもんねー。

 あたしはベッドから飛び出ると、床に寝そべり、暑さも忘れてそいつの観察を始めた。

 そいつ、は言い方が悪いか。その子。うんその子は、くてっとしてるけどただ眠ってるだけみたい。

 日陰のベッド下はいかにも涼しそうで、汗一つかいてなく、満足そうな寝息まで聞こえてくる。

 いくーら見つめてても、その子はときどきぴくりと動くだけで、他に何の行動も起こさない。

 いい加減飽きてきたので、いつの間にかあたしの思考は夢想に走っていた。

 凄いよねー、妖精発見者って、えーと、ノーベル賞ぐらいもらえるかな?

 人類史上に残る大発見だもんねー。

 あたしの家に詰めかける報道陣。

 壇上に立ってトロフィーを貰うあたし。どーもどーもとか照れ笑いしたり。

 あれ、トロフィー貰えるんだっけ。まあどっちでもいーかあ。

 にひにひ笑う。汗の滴がぽとりと床に着けた手の甲の上に落ちた。

 あれ、そう言えば、暑い。暑いんじゃん。うわー、意識したらますます暑くなってきた。

 にしてもこの子ったら物陰でこんな涼しそうに。むか。

 よく考えたらここはあたしの部屋で、このベッドはあたしのものだー。むかむか。

 ようっし。引きずりだしちゃれ。

 ってわけであたしはぱたぱたと階下から箒を掴んでくるとベッドの下のその子を掻き出した。

 その子は何が起こったのか理解出来ない様子で、さも不機嫌そうに瞼を開けると、日光に眩しそうに目を細め、興味津々に覗き込んでいるあたしを無視してぽてぽてとベッドの下に戻った。

 おやと思ってベッドの下を覗き込むと、何事もなかったかのように寝ころんでいる。

 なーんだろこの態度。腹立ち半分にもう一度箒でがさり。少女また不機嫌そうにぽてぽて戻る。

 埒が、明かなさそう。

 それじゃあ、と、掻き出したところできゅっと握ってあげた。掌に当たる帯の感覚がなんだか面白い。

 その子、びっくりして目を見開く。ほれほれ暑いだろー。

 だーと滝の如く汗がその子の小さい顔を伝って流れてゆく。

 なんとかあたしの手を引き離そうとその子はしばらくじたばたしていたが、やがていかんともしがたいと知ったのか、おとなしくなった。

 のはいいんだけれど、おまけにぐでんと弛緩してしまった。

 あ、こりゃまずい雰囲気。

 なんとかしよう。冷えるもの冷えるもの。ええと。

 その子をベッドに載せると、ばたばたと階下の冷蔵庫を開ける。

 適当にぐるりと目を泳がせた後、よく冷えた麦茶をコップに入れて、部屋に戻った。

 少女はまだぐでんとしている。

 あたしは麦茶の入ったコップを机に置くと、少女をつまんでそこに近づけた。

「ほれー」

 冷気に反応してか、つい、と少女が顎を持ち上げる。少うし表面に結露している麦茶入りコップを見ると、少女はあたしの指を払ってそこに張り付いた。

 無表情ながらも気持ちよさそうな顔で、ぺっとりと頬をすり寄せている。

 両手をいっぱいに拡げてコップを抱え込んでいる様子に、あたしは可愛い可愛いと満足した。

 あそーだ。せっかくだから妹にも見せてあげよう。隣の部屋に行って、どんがどんがと慎ましやかなノックをする。

「ねーねー! ちょっと見てー、可愛いのー!」

「うっるさいなあ、あたしだって忙しいんだよ」

 がちゃりとドアが開き、ポニーテールの不機嫌そうな顔が現れた。しかしこの顔もあの子を見たら満面の笑顔になるに違いない。

 ぶうぶうと文句を垂れる妹の袖を引き、あたしの部屋にばーんとご招待。

「さあどーだー! 可愛いっしょ?」

 びっと伸びたあたしの手の先には、麦茶のコップが置いてあるだけだった。

 あれれ?

「麦茶、だねえ。どこが可愛いのさ?」

 おかしいなーとあたしはきょろきょろ探す。だけれど少女は影も形もなかった。

「いや、こんくらいのちっちゃな女の子がねー?」

「女の子ぉ? 姉貴、暑さで頭ヤられちゃった? 大丈夫?」

 妹は眉をひそめるとまたぶうぶう言いながら戻っていった。

 うーん。いや笑い事じゃないよ。本当に暑さでぼけたかな?

 あんなリアルな幻覚を見るなんて、とあたしは猛暑を呪いながら麦茶の入ったコップを掴む。

 一口胃の腑に流し込んで、ふとコップを見ると、水滴にまみれて、小さな手形が付いていた。



(終わり)
 
 絵と原案 桜塚さん



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