林檎講義


 かつかつかつと軽い音を立て、まだ年若い助教授が黒板に数式を書いてゆく。
 女と言うことで舐められることも有ったが、彼女はいつもそれを実力でカバーしてきた。
 学生達はみな静かに、そして熱心に彼女の講義を聴いている。
 だが突然、教室の前当たりからひそひそ声が聞こえ始め、それはあっと言う間に全体に波及した。
 ぴょこたん。ぴょん。ひらひら。
 いつのまに現れたのか、教壇の上に立った林檎さんが、ぺこりと一礼をした後、奇妙な踊りをし始めたからだ。
 日本舞踊の様なアフリカのダンスのような。
 手にはアップルマークの小さな扇子を持ち、こちゃこちゃと楽しそうに身を翻している。
 助教授がたまりかねて振り向く。すると林檎さんはぺたんとその場に伏せた。
 学生達もさっと静寂を取り戻す。
 助教授は、眼鏡の奥から覗く鋭い瞳で、教室の奥の方をじっと見回す。しかしすぐ真下にいる林檎さんには気が付かない。
 訝しげに目を細めると、彼女は気を取り直して板書の続きを始める。
 するとまた、紅の振り袖を翻し、林檎さんがこちゃこちゃ。騒ぎ出す学生達。助教授は、持っていたチョークをぺきりと折ってしまった。
「うるさいな、なんだ!」
 彼女の叱責が飛ぶ。前列に座っていた学生はその剣幕に身をすくませ、呟くように言った。
「先生、下」
「下?」
 下を向くとぺたーと俯せになっている林檎さん。
 林檎さんは、驚いて声も出ない彼女の気配に気が付くと、くりっと振り向く。
 そして、見つかっちゃったと言わんばかりに口に手をあて、わわわと身体を震わすと、ぴょこたんぴょこたんと開きっぱなしのドアから逃げていった。
 彼女は無言で、林檎さんが出ていったドアの向こうを眺めていた。
 やがて、額に左手の指を当て、上を向く。眉間には深い苦渋の皺が刻まれている。
 学生達は固唾を呑んで彼女の動向を見守った。
「今日は、これで、終わりにする」
 ほてほてと助教授は教室を後にする。帰って寝ようと、そう思いながら。




蜜柑フィーバー


 秋にしては珍しく暖かい陽気に誘われて、あたしがくかーと昼寝していると、ちーんとベルの音がした。
 なんだろと思って目を開ける。すると、何かがおなかにぽふんと落ちてきた。
 ん。蜘蛛か何かだったらやだなーと思いつつ体を起こすと、小さな少女。
 え?
 そいつは布団の上に俯せになったまま動かない。でもなんだかもぞもぞと動いている。
 あたしはそいつの帯をつまみ上げると、顔の前に持ってきた。
 何かヤッパリ、ちっちゃいけど、人みたい。紺色の着物を着ている。
 おかっぱ頭から覗く目が、無表情にあたしを見てる。なんだこいつ。
 すると、また、ぽふん。頭に軽い衝撃。
 あたしの頭に乗っかった物体は、ずるーぺちゃと肩に落ちてきた。
 やっぱりそれは紺色少女。こらタンクトップのヒモを引っ張るな。
 なんだなんだとあたしが混乱していると、あっちでぽふん、こっちでぽふん、次から次へと少女が振って来る。
 紺色少女達はみな一様におとなしいが、このままでは自分の部屋が埋め尽くされてしまう。
 ああもうっ。困ったもんだねっ。
 あたしは顔にしがみついてる子をえいやと引きはがして布団の上に置くと枕元のゴムで髪の毛をまとめて足をベッドの外に投げ出し床の上にも転がってる連中を踏まないようにそろりそろりと慎重にでも急いで一気にドアを開けて外にっ、出たっ。
 そこでようやく一息吐く。
 どーしようかと思ったが結論は簡単。こういう訳分かんないのは姉貴に任せればよいのだ。
「あーねきー、大変ー」
 がごんがごんとおしとやかにノックをして、あたしは姉の部屋のドアを開ける。
 すると目の前に拡がる真っ赤な空間。
 あたしはうわーと言葉を失う。
 部屋の真ん中、クッションの上で、胡座を組んだショートボブの女ことあたしの姉がたくさんの紅色少女と戯れていた。
「あー! 今呼ぼうと思ってたんだよ、ねーほらー見てーこれこれ可愛いのがいっぱいー、いーでしょーにひひー」
 ばたん。あたしはドアを閉めた。 




林檎すりすり


手を伸ばす林檎さん。蜜柑さんのほっぺたに触れる。
とても柔らかくてすべすべしている。
林檎さん、わあと手を合わせて、蜜柑さんに頬を擦り付ける。
すりすり、すりすり。
蜜柑さん、無表情でなすがまま。
今にもとろけそうな顔つきで、林檎さん、体重を掛けていく。
すりすり、すりすり。
すりすり、すりすり。
すりすり、どてん。
あんまり身体を預けすぎて、二人して転んだ。




蜜柑牛乳


蜜柑さんはコップを用意する。
そして牛乳を注いだ。
手に持って、ぐいと飲む。
んくんくと嚥下しているとその後ろを通りかかる林檎さん。
わーいと肩を叩く。
ぶふー。
吐き出す蜜柑さん。
逃げ出す林檎さん。




林檎ぐみ


グミキャンデーを見つけた林檎さん。
ひとつ、手にとって、食べてみる。
ぐにぐにぐに。
なかなか硬くてかみ切れない。
ぐにぐに。
口をもごもご。やっぱりかみ切れない。
もごもごぐにぐに。
そうしてひとつめに苦戦してる間に、ひょっこりやってきた蜜柑さんに残りを全部食べられた。




林檎小箱


買っておいたケーキを食べようかな、とボクは紙製の小箱に手を掛ける。
ぱくっと開けると、髪の毛を赤いリボンで結い上げた少女が一人。
えっ。
箱の淵に手を掛けて、顔だけを覗かせてこっちを見ている。
くりっとした瞳が可愛らしい。
そうじゃなくて。
キミは、ボクのケーキの箱の中で、何をしているのかな?
じっと睨むと、彼女は長いまつげをぱちぱちと瞬かせて、にこっと笑った。
ボクもつられて、えへっと笑ってしまう。
そうじゃないんだってばー。
よくよく少女の背後を見たらケーキが無いっ。あれっ。
キミ、ケーキの居場所を知らないか。
ふるふるふるふると目一杯に首を振る少女。
じゃあその口の周りにくっついたクリームはなんだ。
ボクは少女の目の前に指を突きつける。
すると女の子は、わあいと喜んでボクの指をぺたぺた、ぺたぺた。
あはは、くすぐったい。
だからー。そうじゃないのー!




蜜柑籠


おお、寒い寒い。こう寒いと暖かい部屋に入った途端眼鏡が曇ってしまう。
私は暖房の効いた部屋に読みかけの論文を持ってきて、こたつの中に脚を入れる。
ついでに手を伸ばし、みかんの籠を手元に置く。
やはり冬は蜜柑だろう。有無は言わせない。冬はみかんなんだ。
私はテーブルの上に置いた論文に目を向けつつ、みかんを手に取り、くるくると皮を剥く。
一房摘んで、口に運ぶ。ふむ甘い。
あっと言う間に全部食べ終わり、次を食べようと手を伸ばす。
む。む。妙な感触。
なんだこれは。妙にすべすべしてるかと思えばでこぼことしていて。
うわっ、何、これは毛の感触?
何事だと私がようやく籠の方に目を向けると、私の手にまさぐられて不機嫌そうな顔をしている小さな少女がいた。
紺色の和服を着て、髪の毛は艶やかなおかっぱだ。私に髪の毛を乱されたので、懸命に手櫛で直している。
せっかくなのでつまみ上げてこちらに持ってきてみる。
論文の上に載せてやると、少女は律儀に正座した。
礼儀は正しいようだ。
ふむ。
そう難解な論文でも無かったはずだが私はどうも疲れているらしい。
少し横になろう。
私は少女から目を逸らし、肩までこたつ布団に潜り込んで、目を閉じた。
全く私としたことがあんな幻覚を見るとは。
ふと目を開けて顔を起こし、テーブルの上を伺う。
少女はまだ正座していた。私の顔をじっと見つめている。
しばし、見つめ合う。
やはり休もう。再び私は、頭を座布団に預ける。
おお、そうだ、その前に眼鏡を外さねば。
フレームに手を掛け、耳から外し、テーブルの上に置く。
すると少女は消えていた。
慌てて眼鏡を掛け直す。
やはり少女は消えていた。




続林檎すりすり


よいしょと転んだ身体を起こす蜜柑さん。
それに倣う林檎さん。
蜜柑さん、そんなにほっぺが良いならば、自分のを触ってはどうかと指摘。
林檎さん、少しきょとんとした後、自分のほっぺに手をあてる。
親指と、曲げた人差し指で、お肉をつまむ。
ふにふに、ふにふに。
柔らかい。
なんだか幸せな気分になってきて、林檎さんの顔がほころんだ。
ふにふに、ふにふに。
それをじっと見ていた蜜柑さん。
自分も林檎さんのほっぺをつまみたくなった。




林檎雪


 なるほどどーも冷えると思ったんだよねー。
 朝起きてカーテンを開けるとうわ真っ白。これぞ地球最後の日! いえー!
 じゃなくて雪だー! やっぱりいえー!
 早速あたしは小学生達が登校する前に通学路の新雪に足跡を付けるべく、心強い協力者となるであろう妹を起こしに掛かった。
「ねーねー雪ー! 雪だよー!」
 ドアをべーんと開けて妹の部屋に乗り込む。む? あっれー。あたしのかわいーい妹が居ない。
 ははーんさてはあたしに先んじて新雪を汚しに行ったなー? さぁすがっ。
「うるさいなあ」
 うわふとんの固まりが声を出した。
 と思ったらなんだこんな所に丸まってたのかー。ああもうびっくりしたなあ。
 あたしは愛しい愛しい妹の入っている布団をべしこーんと蹴飛ばす。
 さあ飛び起きろ我が妹よー! と思ったらもぞもぞっとしたきり無反応。あれー。
「寒いんだから放っといてよー」
 もぞもぞ。顔も見せてくれない。
 そっか妹って冬眠する動物だっけ。そっかそっか。
 あーでもあたし一人じゃちょっとむなしーなー、どーしよっかなー。
 ずるずるずるずるどーん。
 おおー。屋根の雪が地面に滑り降りたのかな?
 あたしは早速そちらに気を奪われ、妹の制止も聞かず窓を開いて、屋根を見る。
 うはー。あっちでもこっちでもずるずるどーん。
 と、ありゃ。
 すぐ下の屋根を見るとなんだか赤くてちっこいのが。
 また出たんだこの子。
 これこれ何をしてるのかねとつついてみると、うん? って感じで振り返る。
 屋根の雪の上にお尻をぺたーんと付けちゃってちべたくないのかなー?
 なんだか心持ちそわそわしてるみたい。ずるずるどんが起こるとそっちを見てまたそわそわ。
 ははーん。一緒に滑りたいのかな?
 よーしお姉さんが一肌脱いだげよう。
 とゆわけで赤い子が乗ってる雪をぐっと押してあげる。
 途端にずるずる滑り出す雪と、赤い子。
 わ、わ、わって感じで慌てていた赤い子は為す術もなくすんごいスピードでふかふかの雪の上に着地。
 ぽすんとちっちゃな人型の穴が開く。
 んやー、大丈夫かなー? と見ているとごそごそと器用に穴から這いだしてくる赤い子。
 こっちを向いて雪まみれの満面の笑顔。にこー。
 あたしもつられて笑顔笑顔。いえー♪
「寒いっつってんじゃないのさっ」
 妹、切れかけ。




蜜柑節分


今日は節分なので、蜜柑さんは豆を蒔くことにした。
ぱらぱらぱら。
ぱらぱらぱら。
あとは台所だけ。蜜柑さん、満足げに一人うんと頷きます。
廊下をとてとて戻る蜜柑さん、と、台所からなにやら物音が。
むしゃむしゃむしゃ。
豆を食べられているような音。
これはひょっとして台所から鬼が侵入したのではあるまいか。おそれおののく蜜柑さん。
そうっと様子を見てみるとなにやら赤いのが豆を美味しそうに食べています。
ますます確信を深めてゆく蜜柑さん。
枡の中の豆をぎゅっと握り、ええいと赤いのに向かって投げつけます。
さて遊びに来ておやつを食べていた林檎さん、突然豆をぶつけられてきょとん。




絵と原案 桜塚さん



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