はつもうで



「あけまして、おめでとうございます」

「え? え? お、おめでとうございます」

 正月の朝、居間に集合した水瀬家一同。

 秋子さんがしずしずと新年の挨拶をすると、真琴もきょろきょろと戸惑いながら挨拶を返した。

「今年も宜しくお願いします」

「お、おねがいします……」

 多分、よく分かっていないのだろうが、真琴は、皆の神妙な様子につられてぴょこんと頭を下げた。

 その様子に俺が苦笑いをこぼしていると、つんつんと膝小僧をつつかれた。

 真琴は、眉根を寄せると、俺の方を上目遣いに見上げ、

「あぅー……ちょっと祐一、秋子さん、どうしちゃったの?」

「バカ、どうもしてねーよ。新年の初めくらい、礼儀正しくするもんだ」

「そっか。礼儀正しく、ね」

 真琴は納得したようで、うんうんと頷きながら、ぴしりと背を伸ばす。

 お、座り方もきちんとした正座にしやがった。

「うふふ、それじゃ、お雑煮にしましょうか」

「え!? わーい、おぞうにおぞうにーっ」

 真琴、姿勢が崩れるまで五秒。

 早すぎ。

「おい真琴っ、お前、今礼儀正しくって」

「まあまあゆーいち、そのくらい別にいいでしょ」

「ふーんだ。名雪の言う通りよっ」

「お前が言うなっ」

 ぽかっ

「いたーいっ!」

「あらあら」

 秋子さんが、ちょっと困ったような笑顔を浮かべて、お雑煮を載せた膳を持ってきた。

 香ばしい匂いが辺りに立ちこめ、器からはほかほかと湯気が立っている。

 とん、とんと俺たちの前にお雑煮が置かれた。

 色とりどりの野菜が、柔らかく煮込まれた餅に彩りを添え、非常に美味そうだ。

「あぅーっ」

 我慢が出来ない者、一名。

「いっただっきまーす♪」

 言うが早いか、むしゃむしゃと食べ始めた。

「おい、真琴、餅を喉に詰めるなよ」

 口に餅を加えたまま、真琴はこっちを向くと、

「ふえ? はひはひっは?」

「……もういい、食え」

「あはは」

 名雪が笑う。誰を笑ったんだ、俺か、もしかして。

「真琴、落ち着いて食べるのよ。おかわりは沢山あるからね」

「ホント!? あぅーっ♪」

 嬉しそうに笑う。おい、口元に人参くっついてるぞ。

「あ、ゆーいち。そう言えば、今日、初詣に行くんだよね?」

「ああ、そうだったな。今行っても混んでるだろうし、午後からで良いか?」

「別にいいよー。真琴は?」

「あぅ? はつもーで?」

「そーだ。みんなで神社に行って、一年のお願い事をするんだ」

「真琴も行くーっ」

「分かってる、分かってる。あ、でも、晴れ着が」

 名雪の分はあるだろうが、真琴が着る分はどうだろう?

「まあ、いいよな。晴れ着なんか無くても」

「あぅーっ? 真琴も晴れ着着るのーっ」

 ……こいつは。

「うーん。それじゃ、わたしの晴れ着でいいかな?」

「まて名雪、お前がこんな奴のために我慢するこたない」

「こんな奴とは何よーっ」

「まあまあ、二人とも。晴れ着だったら、私の分がありますから」

 見かねて、秋子さんが仲裁にはいる。

 って、秋子さんの分?

「真琴。私のお下がりでいいかしら?」

「うんっ、うん♪」

 どうやらこっちの不服はなさそうだ。

 しかし、

「秋子さんはどうするんですか?」

「私は良いのよ、留守番も必要でしょうし。みんなで、行ってらっしゃいな」

「秋子さん……すいません、なんか」

「あらあら、謝られるようなことじゃ有りませんよ」

「晴れ着、晴れ着♪」

「ほら、お前も秋子さんにお礼するんだっ」

「あ、あぅ。秋子さん、有り難うっ♪」

 にぱーっと笑う。

 ホント、晴れ着を着るのが楽しみなんだろうな。

 秋子さんも、それを受けて優しく微笑むと、

「それじゃ、気を付けて行ってらっしゃい」







「うわーっ、凄い人……」

「どこだっ、凄い人。何が凄いんだ、その人は」

「あぅーっ! 違うのっ、凄い人の数ーっ」

 真琴は、袖を揺らしてぽかぽかと俺に殴りかかる。

 着付けに苦労したようで、俺はたっぷり待たされたが、見違えた二人の姿を見たら文句も消し飛んだ。

「ゆーいち、どうしようか?」

 指を顎に当てて、真っ赤な晴れ着を着た名雪が俺に問いかける。

 ちょっと派手目だが、なかなか似合っている。

「とりあえず、上まで行って見ようよっ」

 と、石段を既に登りかけている真琴。

 こちらは名雪と対照的に、藤色の落ち着いたデザインだ。

 いつもの真琴にはない魅力が引き出されて、俺はついつい見入って……何を言ってるんだ、俺は。

 ともかく、俺たちは、人混みに紛れて上まで昇ってみることにした。

 と、そこには――

「うわーっ……」

 何と、おみくじ、売店と、群がる人の壁を全て一人の巫女さんが切り盛りしていた。

 決して遅くはない、むしろ人数の少なさを腕でカバーするように、八面六臂の大活躍をしている。

 すげぇ巫女さんも居るもんだなー、と思っていると、

 ん? あいつ、ひょっとして……?

「あうっ、美汐ーっ」

「……真琴? あけましておめでとうございます。はい、こっち」

 人混みを掻き分けて突進していった真琴を、ぺこりとお辞儀した後、ひょいと脇に寄せる。

 あの真琴の扱いの手際の良さ、間違いない、天野だ。

「天野さん、巫女さんだったんだ?」

「いや、バイトだろ。しかし天野がバイトとはなぁ」

「あぅー……」

 天野にのけられた真琴が、しょんぼりした顔で戻ってくる。

「今忙しそうだから、邪魔するなよ」

「分かってるわよーぅ……」

「うーん。少し、人が居なくなるまで待った方が良いかな?」

「そーだな。せっかくだし」

 待つこと数十分。

 沢山居た人だかりは、全て天野の切り盛りによってどんどん減っていった。

「……つーか、早すぎだろ」

 恐るべし、天野美汐。

 人も居なくなり、ほっと一息ついている天野に近づく。

「あ、相沢さん。それに水瀬さん。あけましておめでとうございます」

「おめでとさん」

「あけましておめでとうございまーす」

「えと、真琴は……きゃっ」

「あぅ、美汐ーっ♪」

 むぎゅっ。

 ようやく大丈夫だと分かってか、真琴は天野に抱きついた。

「ちょ、ちょっと、ダメですよ真琴、人が見ています」

 ……え?

「こほん。もとい、仕事中です」

 今、天野、なんて言った?

 天野は、今の発言を無かったことにするかのように、無表情で真琴をぺりぺりと引きはがす。

 そして、俺たちの方に向き直り、

「……さて。おみくじですか? それとも破魔矢でしょうか? なんなりとどうぞ」

「あ、いや。お前、何やってるんだ?」

「野球をしているようにでも見えますか?」

 いや、そーじゃなくて。

「天野さん、あるばいと〜?」

「ええ、はい」

「珍しいな、お前がバイトなんて」

「はい、私もお正月はゆっくりしようと思っていたんですが……こちらの宮司さんが親戚で」

「ははぁ、手伝いを頼まれた、と」

「そう言うことです」

「あぅ〜」

 おとなしいと思ったら、真琴の奴、すっかり天野にひっついている。

 それを天野は、さも自然な動作で真琴の頭をなでている。

「さ、て」

 天野は時計を見る。もう午後三時、初詣の人も殆ど居ない。

「私のアルバイトもこれで終わりです、ちょっと着替えてきますね」

 そう言って、天野はすたすたと社務所の方に向かっていった。

「あぅ〜」

 おまけ付きで。

「真琴もついてっちゃったけど、いいのかな〜?」

「いーんじゃないか? お、今ならおみくじ引き放題だぞ、どうだ十回くらい」

「一回で充分だよっ」

 しばらくして、

「お待たせしました」

「うおっ、いつの間に俺の背後に忍び寄った」

「いつの間にか、です」

 ニコリともせずそう言う。いや、冗談なんだろうけど、さー。

「っと、お」

 見ると、天野は晴れ着姿だった。

 けして華美ではない薄紅色のデザインが、よく似合っている。

「あんまりじろじろ見ないでください……」

「わー、祐一、えっちなんだ〜」

 待て待てっ、まだちらっとしか見てないぞっ。

 ……と言うわけで、今からじっくり見てやろう。

 じ〜〜っ。

「あぅーっ、祐一、美汐を変な目で見ちゃだめなんだからーっ!」

 真琴パンチ、炸裂。

「ぐあっ」

「……はぁ」

 お正月だというのに騒がしい人たちです、とでも言いたげに天野が肩をすくめる。

「おー、いて。しかし、天野。晴れ着も用意してくるなんて、抜け目がないな」

「準備が良いと言ってください」

 ぴしゃりと言い放たれる。

 名雪は一連のやりとりをにこにこと眺めた後、不意にほへっと、

「えっと。それじゃ、お参りしようか」

 お、そうだ。そう言えば、初詣に来た目的をすっかり忘れるところだった。

「それでは、鐘を鳴らしましょう。ええと、誰が……」

「はいはいはーいっ、真琴がやるーっ」

 天野の顔が一瞬引きつった。

 見ると、鐘を鳴らす紐はたくさんの人に揺さぶられたせいか、もうぼろぼろ、満身創痍だった。

 真琴が力任せに振り回したら、「ぶちっ」と行きかねない。

「……真琴。一緒に、ならしましょうね」

「うんっ、分かった♪」

 喜色満面の真琴に対して、内心ヒヤヒヤしてるのを隠せずにいる天野の組み合わせが、妙に面白かった。

 四つの小さな手が、紐を掴んで、

 がらんがらんがらーんっ。

 二人で、厳かに鐘を鳴らす。

 俺たちは柏手をならし、目を閉じて祈る。

「あ、あぅっ」

 ……真琴も、慌ててきょろきょろしつつ、それに倣う。

 えーと。月並みだが……今年もみんな、健康に過ごせますように、と。

「うし。終わりっと」

「えーと、肉まんをおなかいっぱい食べて、漫画をたくさん買って、それからそれから」

「一個にしろ、一個に」

 まだむにゃむにゃ言ってる真琴の頭にぺちんとちょっぷ。

「あぅーっ」

「あははっ。ねー、祐一は、何をお願い事したの?」

「ん? いや、みんな健康にって。お前は?」

「え? わたし……おんなじ」

「何だよ、同じか」

「天野さんは?」

「……え? あ……」

 なんだ? 天野は妙に言葉を濁す。

 その様子に、名雪はあたふたと、

「あっ、あっ。言いたくなかったら、別に」

「いえ。あの……」

 一体、どうしたんだ?

「皆さんに会えたことを感謝していたら……お願いをするのを忘れていました」

 ……

「ぷっ」

「あ、相沢さんっ……笑わないでください」

「悪い、悪い」

 ついつい、笑ってしまったが、

 その時、天野の頬がほんのり赤らんだのを、俺は見逃さなかった。






(終)



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