ピンポーン、と、ドアチャイムが鳴った。
「はーい」
僕はぱたぱたと玄関に向かう。
すると、宅配便のお兄さんが立っていた。
「毎度ー」
荷物を受け取って、確かめてみる。
30cm四方のほぼ立方体。差出人は書かれていない。アヤシイ。
しかし、宛先は明らかに僕の名前だ。手書きで書かれているし、ひょっとしたら、友人の悪戯かもしれない。
まさか、爆弾が入っていてどかーん、なんてことはないだろー、と、僕はテーブルに置いた箱をべりべりと開ける。
すると中には、梱包剤に包まれて、蜜柑の缶詰が入っていた。
おや?
確かめてみても、それ一つだ。
高さ15cmくらい。ごく普通の、市販されている、缶詰。
ひっくり返して調べてみる。賞味期限は切れてないし、何か細工をした跡も見あたらない。
これ、食べちゃっていいのかな。
考えるとなんだかおなかが減ってきた。
フタはプルタブ式で、すぐに開けられるみたい。
僕はリングに親指を掛けると、きゅっと力を込めた。
かぽん、とフタが開く。
すると中には、小さな小さな少女が座っていた。
「……」
「……」
お互い、沈黙したまま、見つめ合う。
何、これ。
なんか、小さい女の子が。
缶詰で。
僕が動作を停止したまま混乱の極地にいると、彼女はつまらなさそうに立ち上がり、
「……」
フタの縁に手を掛け、きいと音を立てて器用に閉めた。
「ちょ、ちょっとちょっとー!」
僕は再びフタを開ける。
しかし開けたところで待っているのは、少女の冷たい視線。
おかっぱに切りそろえられた髪の毛、その前髪の奥から、氷のような瞳が覗く。
「う」
僕は言葉に詰まる。
「ど、どうしよう……」
あたふたと僕が戸惑っていると、彼女は、よいしょとばかりに缶詰から抜け出して、テーブルの上に座った。
彼女は紺色の着物を着ていて、ぴしりと正座する様は、日本家屋の奥座敷で育てられたお嬢様のようだ。
一体この子は、何者なんだろう。
妖精。小人。幽霊。
ちらりと彼女を見る。
彼女の雰囲気は、そのどれも当てはまらないような気がした。
僕がいっくら悩んでも、彼女は微動だにしない。
その様子にやや落ち着きを取り戻した僕は、彼女に聞いてみた。
「えーっと。君は、誰?」
「蜜柑」
「え」
「蜜柑」
なるほど蜜柑の缶詰なんだから、蜜柑なんだろうね。
いや、あれ。なんだか僕、混乱してるな。
「み、蜜柑ちゃんかー」
微笑んでみる。
しかし彼女、蜜柑ちゃんはまるで無反応だ。
会話が止まる。
「えええ〜っと……どうして、ここに来たの?」
汗が額に伝うのを感じながら、僕は質問を続ける。
彼女は、きょろきょろと周り――僕の部屋を見回して、一言、
「さあ」
さあ、ってー。
「お、お父さんや、お母さんは」
まるで迷子への質問だ。
しかし彼女は、何の反応も見せない。
「ええっと、いくつなのかな」
無反応。
その後も幾つか質問をしたが、彼女は黙秘、或いは無視を続けた。
「もういいよ!」
僕は彼女の態度にいい加減腹を立て、座席を立った。
そうそう、僕は蜜柑を食べようとしてたんだよ。
蜜柑。あれ。
缶詰から出てきたのは彼女だから。えーと。
彼女を食べる?
ちらりとそう言う目で彼女を見ると、少し怯えたようにぴくんと震えた。
あ、ちょっと可愛い、じゃなくて、
「いやいやいや、食べない、食べないよー」
「……」
相変わらずの無反応だけど、なんだか僕を警戒しているようだ。
うーん。こんな子とは言え、そういう態度を取られると傷つくなあ。
「大丈夫大丈夫、ご飯は他のを食べるからねー」
僕は笑顔を作って、ジャーからほかほかご飯を椀に盛る。
そう言えば僕はおなかをすかせていたんだ。早いけど夕飯にしようかな。
ぱらぱらとふりかけを掛けて、席に着く。
「いただきまーす」
あむ、と一口。うん、美味しい。
あー……
なんだか、ちりちりと彼女からの視線を感じる。
「ご飯、食べる?」
すると彼女は、ぷいとそっぽを向いた。
いやあ、食べたいって言うの、丸わかりだなー。
でもどうせなら、一緒に食べたいよね。
僕は小皿にご飯をほんのちょっぴり盛ると、爪楊枝を一本添え、ふりかけをかけて彼女の前に出した。
「はい、どうぞ」
彼女は、戸惑っている。
実はおなかすいてないのかな? と思ったけれど、彼女の目がそうじゃないと語っている。
「はい、どうぞ」
もう一言。
彼女は僕を見て、ご飯を見て、もう一度僕を見て、
いただきます、と手を合わせた。
なぜだか分からないけど、僕は、やった! と言う気持ちになった。
彼女ははむはむとご飯を食べている。
爪楊枝相手に悪戦苦闘していたみたいだけど、何とか慣れたみたいで、器用に米粒を口元に運ぶ。
口をちょっとだけ開けて、少しずつ食べる姿が、なんだか可愛かった。
こんな子だけど、やっぱり、誰かと一緒に食べるご飯は美味しいね。
僕はご飯を見る見るうちに平らげた。彼女もほぼ同時期に、ごちそうさまと手を合わせた。
ああ、なんだか満足感。
食器を片づけると、にこにこと彼女の前に戻る。
彼女は正座したまま、僕を見つめた。
ところで彼女、ずっと座りっぱなしだけど、足が痺れたりはしないのかな。
「足、痺れない?」
「……」
無言。肯定とも否定とも取れない。
ううん。それなら僕にだって考えがあるぞ。
小指の先で、つん、と彼女の肩をつついてみる。
予想通り、彼女はこてんとうしろに倒れた。
起きあがろうにも、足が痺れていて動かない。そんな感じだ。
無表情だった彼女は一変して苦悶の表情を浮かべ、身をよじっている。
ああ、なんとかしてあげなきゃ。
足が痺れたときは……足の裏を揉んであげると良いんだっけ。
僕は、先ほどの爪楊枝を持つと、彼女の足の裏を足袋越しにつついた。
びくんっ、と彼女が痙攣する。
あ、なんだか面白い。
続けてつんつん。びくびくっ。
新しい玩具のようだ。
僕はそのままつっついていたが、ふと、彼女の様子に気が付く。
はあはあと彼女の息は荒い。
着物の裾がはだけ、真っ白いふくらはぎが僕の目に飛び込んできて……
って、僕は何をしてるのー!?
これじゃまるっきり変態じゃないか、はっと気が付くと、慌てて爪楊枝を離した。
「ごごごごめんっ、そう言うつもりじゃ」
彼女は恨みがましい目でこちらを見ている。心なしか、目尻には涙が浮かんでいるような。
「ええっと」
とりあえず、まだ足の痺れから解放されていない彼女を両手ですくい上げる。
噛みつかれるくらいは覚悟していたけど、案外彼女はおとなしかった。
そうして、僕の布団の上に置いてやる。
「ここなら、少しは楽かな」
彼女は、きょとんと僕の顔を見ると、右見て、左見て、自分が布団の上に居ることを確認したようだ。
「そ、それじゃ、僕はお風呂に入ってくるから」
そのうちに、彼女の機嫌が直ることを期待しつつ、僕は着替えを持って風呂に入った。
湯船の中で、僕は考える。
彼女は何者なんだろうか。
ざぶん、と湯をかぶる。
ええい、考えても仕方ないね。コミュニケーションが取れない訳じゃないし、あとで本人に聞いてみれば良いんだ。
あの様子を見る限り、悪いものとも思えないし。
僕は風呂から上がると、パジャマに着替えて、部屋に戻る。
「お風呂あがったよー」
なんだか、二人で生活してるみたい。
なんてバカなことを考えていると、彼女は、布団にねそべってぐったりしていた。
おや、寝ちゃったかな、と見てみると、どうも様子がおかしい。
まず顔が赤い。そして、断続的にけほけほと咳をしている。
「……」
僕は黙った。こ、これは。……風邪?
ま、まさか、僕の布団の上なんかに置いたから。いや、足が痺れたそのせいで。
ああっ、原因を考えている時じゃないよね。
僕が指先を差し出してみると、彼女は、目を閉じたまま、半ば無意識のように僕の指に抱きついた。
ぴとりとくっつけられたおでこが熱い。やっぱり風邪だ。
どうしたんだろう、やっぱり、寒そうな缶詰の中なんかに座ってたから。
箱入り娘ならぬ缶詰入り娘。いやそんなつまんないこと考えてる時じゃないしっ。
ううん、薬とか……飲ませるべきかな。
でも、彼女の身体に効くかどうかは、はなはだ疑問だ。逆に、悪化してしまう可能性も有る。
彼女はさらにきゅっと僕の指にしがみつく。
頼りにされているようでなんだか嬉しいけど、それより、どうするべきか考えなくちゃ。
とりあえず、暖かくさせなくちゃね。ああ、その前に、服を脱がせた方がいいのかな……
服を脱がせる。
いやいやいやそんなことはっ、でも、ああ、どうしようかな。
「あのさ、大丈夫ー?」
とりあえず彼女に声を掛ける。彼女はこくりと頷いた。それくらいの元気はあるようだ。
「とりあえずどうしよう、服、脱ごうか?」
彼女はふるふると首を横に振った。風邪で弱っているようにも、照れているようにも見える。
赤面しているのかもしれないけど、今はそれは判別できなかった。
ともかく、本人がイヤと言っている以上無理強いは出来ない。
「それじゃあ、暖かくしないとねー……」
僕は彼女を枕のそば、シーツの上に移動させると、洗濯したシャツを数枚取り出した。
「僕のシャツだけど、綺麗だから、我慢してね」
畳んで、二枚ほど彼女の身体を包むように掛けてやる。
その間もずっと彼女は、僕の指を掴んだままだ。
「ん……しょーがないなー」
僕はそのまま布団にはいると、彼女の様子を見ながら寝ることにした。
もう一方の手で彼女の頭をかるく撫でてあげると、少し表情が和らいだ気がした。
咳もしてないみたいだし、明日になれば治ってるかな。
彼女を動かさないように気を付けながら、部屋の明かりを消す。
いつのまにか彼女は、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。
それにつられるように、僕もまた、段々と意識が薄らいでいった。
耳元で、有り難う、と聞こえた気がしたが、それは僕の夢だったのかもしれない。
朝が訪れた。
僕の指には、自分のシャツが絡んでいるだけで、他には何も、無かった。
寝ぼけまなこを擦りながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
彼女は消えてしまった。
一日限りの付き合いだった。
風邪、治ってるといいんだけど。
なんだか、少しだけ寂しい気がした。
着替えつつ、彼女が座っていたテーブルの場所を見る。
当然そこには何もない。
ピンポーン、と、ドアチャイムが鳴った。
「はーい」
僕はぱたぱたと玄関に向かう。
また、宅配便だった。差出人の名前はない。
箱を開けてみると、今度は、林檎の缶詰が入っていた。
(終)
絵と原案 桜塚さん
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