メルカトルと美凪のためのたい焼き


 月宮あゆが散歩に出かけると、二時間は戻ってこない。
 探偵メルカトルあゆ――月宮あゆが事務所のドアを閉めるのを確認すると、その助手遠野美凪はぼおっと宙を見ながらこの空虚な時間に何をするべきか考え出した。
「暇」
 誰とも無しにそう呟く。
「先生、今日限りお暇をいただきます、ええ美凪ちゃんどうしたの、はい実は郷里の兄が病に伏して」
 ついには一人芝居を始めた。
 誰も見せる相手は居ないが、美凪は観客を想定してか、場所を入れ替わり立ち替わり役柄を演ずる。
「そうして蕎麦屋の主人が言うことには、お客さん、そいつはこんな顔でしたかね、きゃあ美凪ちゃん、やめてやめて」
 とうとう怪談になってしまった。
 手にほかほかのたい焼きを携えて、あゆは常に二時間きっかりで散歩を終え帰ってくる。
 散歩と言うより、町の友人達とのおしゃべりに興じている、と言うのが正しいかもしれない。
 美凪にも友人はいるが、その友人はいつも事務所の方へ尋ねてくる。それはまた別の話。
 ともかく、美凪は毎日二時間ほど暇をつぶさなければならない。
 ならない、と言う表現はおかしいかもしれない。なぜなら美凪は、この暇つぶしの時間を楽しんでいる節があるからだ。
「どうせなら、一人でしか出来ないことをしましょう」
 そう考えて美凪は、突如オペラの練習をしたり、あゆの机の上にびっくり箱を仕掛けたりと、常人には思いもつかない奇行に走る。
 かといって美凪は偏屈な人間かと言うとそうではなく、慈愛に満ちあふれた、話せば分かる人間であることは彼女に接した皆が口をそろえて言うことである。
 ただ少しばかり、螺子が一本外れているような言動、行動が多いのは、彼女の並はずれたユーモアのセンスを皆が理解できないだけかもしれないのだ。
 そうして彼女が事務所の椅子の分解掃除を終える頃に、探偵メルカトルあゆは戻ってきた。
 なぜかいつもより20分ほど遅れていたが、時間通りに帰ってこられても、座る椅子が無いのであゆは困っていただろう。
「ただいま〜」
「おかえりなさい、先生」
 ばたむとドアを開け、元気に入ってきた少女探偵は、事務所の壁掛け時計を見て、こういった。
「うぐぅ、まだ2時なの?」
「先生、それはカレンダー」
 壁掛けにしては珍しい、デジタル式の時計には、日付と時刻の両方が表示されている。
「うぐぅ……わざとだもんっ」
「……先生」
「な、なに?」
「そのボケ、おいしい」
 美凪は、ぽ、と頬を赤らめる。いつものこととはいえ、あゆはちょっと身をたじろがせる。
 あゆから見ても、美凪は風変わりな人間だ。
 何年付き合いを重ねようと、永遠に彼女を理解することは出来ないように思う。
 勿論、理解できるかそうでないかと、仲がよいか悪いかは別の問題である。
 あゆのことを、先生、と美凪は呼ぶ。
 別段あゆが美凪より優れていることもなく(むしろ劣っている)、先に生まれたわけでもないのだが、美凪はあゆのことをそう呼んでいた。
 去る数ヶ月前、この事務所を開いたとき、
「何で?」
 と言うあゆの問いに美凪はこう答えた。
「探偵の先生ですから」
 あまり答えになっていないような気もするが、その言葉に、あゆはめろめろと身をくねらせ、うぐぅボク、そんなんじゃないよぅと、照れながらも誤魔化されてしまった。
 以来有耶無耶のまま現在に至っている。
「それよりも美凪ちゃん、聞いて聞いてっ」
「桜が綺麗ですね」
「あ、ホントだっ。もう四月だもんねー……って、聞ーいーてー」
「聞いてますよ」
 窓の外に咲き乱れる桜を眺めつつ、美凪はこともなげに答える。
 うぐぅ、とあゆは不満そうだったが、やがて口を開いた。
「あのねあのね、事件事件! 久しぶりに事件だよっ」
「事件?」
 ここ数日、解決した事件と言えば、迷い犬探しとか、紛失物の発見とか、あまり大層なものではない。
 そもそもあゆは、あわてん坊で呑気な方である。言葉を選ばなければ、ドジでマヌケだ。
 さらにあゆは、身長が低く、童顔である。可愛らしい顔立ちなのだが、行動も子供っぽく、中学生に見られれば良い方かもしれない。
 それでも探偵業を営んでいるのだが、名探偵と言うよりはむしろ、迷探偵と言った方がしっくりくるだろう。
 そんなあゆが事件と騒いでいる。どんなものかと、美凪は目を開いて振り返った。
「たい焼きがね、盗まれたのっ」
「犯人逮捕」
 美凪はあゆの両手を掴んだ。
「うぐぅ……ボクじゃないもんっ」
 過去、あゆは、困窮に瀕してたい焼きを食い逃げたことがあった。
 しかしそれも昔の話、今ではその時のたい焼き屋の主人とも和解して、すっかり店の常連になっている。
「公園のたい焼き屋さんで、あむっ、たい焼きが、むぐむぐ、盗まれたんだよ」
「先生。たい焼きを食べるか喋るかどっちかにして下さい」
 あゆはさっそく、買ってきたたい焼きを食べ始めている。
 毎回、散歩帰りに、たい焼きを一箱買ってくるのがあゆの習慣となっていた。
「んじゃ食べちゃうねー」
 事件よりたい焼きの方が大事らしい。
 あゆは数分でたい焼きを食べ尽くすと、美凪の入れてくれたお茶を飲んで、ぷはあと満足げに微笑んだ。
「やっぱり、たい焼きは焼きたてが一番だねっ」
 決め台詞を言うと、あゆはこちらを覗き込んでいる美凪の顔を不思議そうににこにこと見つめ返す。
「美凪ちゃん。どうしたの?」
「先生、事件」
「あ、そうだったねっ」
 まるっきり忘れていたのか、あゆは、はっとした顔になると、再びその事件について語り出した。
「で、たい焼きが盗まれたんだよ。しかも、密室で」
「密室たい焼き窃盗事件」
 あまり、たいしたことなさそうな響きである。
 あゆが語るところによる事件のあらましは、以下のようになる。

 本日1時半頃。あゆは公園で店を開いている、行きつけのたい焼き屋に向かう。
 店とは言っても、プレハブ小屋を少々改装した程度であり、客は小屋の窓から主人と対面し、たい焼きを買う仕組みになっている。
「くーださーいなっ」
「あいよいらっしゃいっ。いつもの?」
「うんっ、いつもの」
 いつもの、と言っても、五つ入りのたい焼き箱ことである。
 開いたガラスの窓口越しに、あゆは金を渡し、たい焼きを受け取った。
 すると主人は、いつもの世間話に交えて、こんなことを話し出した。
「そういやね、昨日、変なことが有ったんだよ」
「どうしたの?」
「いやまあ、なんつったらいいかなあ、たい焼きが消えたんだよ」
「うぐ、事件!」
 あゆは目をキラキラ輝かせ、主人を上目遣いに見た。
「そう言えば、あゆちゃんも、一応探偵なんだっけねぇ」
「うぐぅ! 一応は余計だよっ!」
 あゆはぷうとほっぺたを膨らませる。
「はは、ごめんごめん。まあ事件ってほどたいしたことじゃないし、別にどうでもいいんだけど」
 そう主人は前置きして、話し出した。
「いや実はね、昨日の、夕方頃かな」
「うん」
「花見客かな、急に人がどっと押し寄せてきて、ずいぶん忙しくなったんだよ」
「良かったねっ」
「うん、そりゃあ良かったさ。ところが、だ。ほらそこに、箱が積んであるだろう」
 あゆが毎日買っていく、箱入りたい焼きである。
 縦に二つずつ二列、合計四つ。外から見えるように、ガラス窓の内側に積まれている。
「それがね。昨日売ろうとしたら、なんと、空っぽだったんだよ」
「うぐぅ! ミステリーだねえ」
 わくわくとあゆは話の続きを促す。
「誰かが盗んだ……のかもしれないけど、箱の中身だけ持ってくなんて妙だし」
「そうだね。あ、ボクじゃないよっ」
 主人は笑うと、
「分かってるよ。……んで、そもそも、いつ盗んだか? ってことなんだよ」
 主人の話では、ここを空けたのは、昨日あゆが買いに来た直後、トイレに行った時だけだという。
 その時の様子はあゆも見ているし、大体いつもその時間に主人はトイレに行く。
「時間にぴったりな人なんだよっ」
 とあゆが美凪に可笑しそうに話すほどだった。
 主人の言うことには、
「大体この時間になると、お客さんが後一人来たらトイレに行こうって決めてるだけだよ」
 と苦笑する。その客が、同様に決まった時間に現れるあゆであるだけだ。
 そして、主人が店を空けるのは大概その時しかない。
 それ以外は朝から夕方まで、ずっとここに居たというのだ。
「当然その間は、手出しできないよね」
「そうそ。んで、俺が店を空けてるときも、ほれ」
 主人はポケットから鍵を取り出して見せた。
「出入り口には鍵掛けるし、窓は閉めるし。盗めるわけが無いんだよ」
「うぐぅ……それじゃどうやったんだろう」
 あゆは丹念に窓の鍵や出入り口のドアを眺め回す。
 そして、窓をちょっと触ってみると、
「あ」
 窓がほんの1cmほど、開いた。
「おじさんっ、これこれ」
「ああ? ああ、それか。まあこの窓も古いし、プレハブだし、それくらいしょうがねえなあ」
「この隙間から盗んだんだよっ、犯人はっ」
「ええ?」
 きょとんとしている主人にあゆは捲し立てる。
「犯人は、ここから手を差し込んで、箱ごと盗もうとしたんだけど、箱が通らないから、一匹ずつ」
「待った」
 主人は苦笑いしながらあゆの饒舌を押し留めた。
「あゆちゃん。そこから手を入れてごらん」
「う、うぐ? ……よいしょ」
 ぎゅっと差し込んでみても、とても通りそうにない。
 小指の先くらいなら分からないが、それにしれも、そもそもたい焼き一匹すら通らないだろう。
「いい考えだと思ったのに〜」
 あゆは名残惜しげに小指の先を隙間に通してこしょこしょと探っている。
 何か針金でも有れば、箱のフタをあけるくらいは出来そうだが、以降が続かない。
「な、不思議だろう?」
「うぐぅ」
 あゆは一声唸ると、顔をしかめて考え込んだ。

「と言う訳なんだけど」
 夢中になって話していたあゆは、にこにこと小休止すると、美凪に感想を求めた。
 当の美凪は、エアスプレーで風船を膨らませていた。
「美凪ちゃんっ!? ちゃんと聞いてたの?」
 がたりと椅子をならし、あゆが立ち上がると、美凪はあゆめがけて出来上がった風船を投げた。
「わ、わ」
 ふわふわと飛んできた風船を打ち返すと、美凪は突如ジャンプして、ぱちんと風船を叩く。
 ぺたりと風船があゆの顔にあたる。
「むぎゅ」
「稲妻サーブ、回転レシーブ、一人時間差。東洋の魔女、遠野美凪」
「う、うぐー」
 いつものこととはいえ、美凪のこういう突拍子もないギャグにはあゆは困惑するばかりだ。
「……さて先生」
「うぐ?」
 あゆは風船を掴んで傍らに置くと、渋柿を食ったような顔で向き直った。
「その箱は、今、有りますか」
「あ、うん。記念にって貰ってきたんだ」
 何の記念だかは不明だが、あゆはリュックを掴むと、中からきれいに畳まれた箱を取り出した。
「……」
 無言のまま、美凪はぺたぺたとそれをいじっていたが、思いついたように横から力を加える。
 すると箱は、見る見るうちに平面から立体へと変化し、二方向からの力のみで箱として完成した。
「意外と簡単に組み立てられますね」
「うん、そうだね」
「それに、なんでしょう、なんだか小さな穴が」
 見ると、側面、角の方にぽつりと僅かだが穴が開いている。
「楊枝でも刺さったんだよ」
「……なるほど」
 美凪は頷いた。
「で、美凪ちゃんっ。この事件の犯人、分かった?」
「先生は解決したんですか?」
 美凪は、さして驚いても居ないように、問いかける。
「うん、そうだよっ」
 えへんと胸を張るあゆは、恐らく、本人が意識しているほど、偉そうには見えていないだろう。
「それで先生、犯人は」
「うん、これから話すからねっ」
 あゆは得意げに微笑んで、お茶を一口啜ると、続きを話し始めた。

「この事件の犯人は……あなただよっ」
 先ほどの公園。
 数分も悩んだあゆは、突然天啓を受けたかのように顔をあげると、主人に向けてそう言い放った。
「……はあ?」
 面食らったのは主人の方だ。
「って言うのは半分冗談だけど」
 あゆはてへへと笑い、理由を語り出した。
「まずおじさんっ。箱の中身が無くなってるのに気が付いたのはいつ?」
「その、客が多かった夕方だよ。箱買いする人はあんまり居なかったけど、二三人ほどね、箱を注文されて、気づいたんだよ」
「ふんふん。所でおじさん、この箱はいつも四つ置いてあるんだよね?」
「ああ、そうだよ。俺がトイレから帰ってきたときも、ちゃんと四つあった」
「それじゃあおじさん、これで最後。お昼はいつも、何を食べてるの?」
「そりゃあ弁当だけど……まあ偶には、ここのたい焼きを食うなあ」
「昨日は?」
「うん? 確かここの、ああ、たい焼きを食ったな。売れ残った箱入りの処分を兼ねてね」
「やっぱりねー」
 あゆはにぱっと微笑む。
「なんだいあゆちゃん、分かったのかい?」
「うん、多分ね、こういう事なんだよっ」
 あゆはむふーと鼻息を漏らすと、主人に推理の内容を聞かせた。
「まず、おじさんはお昼にたい焼きを食べた。そしてその箱はどうしたんだろう?」
「え? そりゃゴミ箱に捨てたと思うけど……思い出せないな」
「ううん。多分ね、その辺においといたと思うんだ」
「そうかなあ」
「そういうことにしておこうよっ。それで、普通、食べ終わった空箱を置いとくときも、畳んだりはしないよね」
「まあ、そりゃね」
 あゆはにこにこと続ける。
「で、空箱を置いといた。そしておじさんは忙しくなる。箱が売れてゆくし、人は詰めかける」
「ああ」
「おじさんは忙しくなって、常に箱を四つ並べて置かなくちゃならない――その気持ちだけが優先されて」
「間違って、その、食べ終わりの空箱を置いちゃったって?」
「そういうことっ」
 満足げに微笑んでいるあゆに、主人は首を傾げながら、
「ずいぶん、強引な解釈だと思うけど」
「だって、他に説明が付く?」
「うーん、まあ、確かに、うん、そうだろうな」
 自信満々なあゆの様子に、主人も納得した。
「どう? 見事でしょっ」
「まあたいしたことじゃなかったけどな」
「うぐぅ」
「ああいやいや、あゆちゃんの話はおもしろかったよ。よーし、たい焼き一個おまけしようっ」
「うぐっ、ホント?」

「と言うわけだよー」
 話してる最中もあゆは、二個目のたい焼きを平らげていた。
「その、おまけしてもらったたい焼きは?」
「帰ってくる途中に食べちゃった」
 あゆはぺろりと舌を出す。
 とすると、先ほどのたい焼きは三個目だ。
「それで、一緒に、さっきの箱も貰ってきたんだよ」
「……なるほど」
 美凪は立ち上がると、再び窓の外の桜に目を転じた。
 しかし美凪の目は、どこか遠くを見ていた。
「どう? ボクの推理!」
「見事です……」
「えっへへー」
「ですが」
 美凪はそこで一旦言葉を切った。
「分からないことが、一つあります」
「うぐ?」
「どうして先生は、嘘を付いたのか」
「……」
 驚いてあゆは、硬直する。
「う、嘘って、何のことっ。ボク、何も嘘なんて」
「先生。この事件の犯人は、あなたなのでしょう」
 美凪の言葉に、あゆは口をぱくぱくと開く。
 抗議したくても、突拍子もない美凪の意見に、返す言葉に詰まった、と言う雰囲気だ。
「とりあえず私の推理を聞いてください」
 美凪の目は、まだ桜の木のさらに向こう、遠くを見ている。
「先生は、昨日、ご主人がトイレに行ったのを確認すると、畳まれた空き箱を取り出した」
「うぐ?」
「そして、窓の隙間から空き箱を差し入れると、それを組み立てた」
「み、美凪ちゃんっ」
「質問は後で。とりあえず最後まで」
 あゆの反論を手で制し、美凪は続ける。
「そして何食わぬ顔して帰り、今日、不審そうなご主人に虚偽の推理を聞かせ、納得させた」
「うぐぅ……」
「質問、どうぞ」
「た、たくさんあるよっ!」
 あゆは立ち上がり、凄い剣幕で美凪にくってかかる。
「まずっ。ボクはどうやって空き箱を手に入れたのか」
「いつも先生はあそこで箱入りたい焼きを買ってきますね? 恐らく製造日などは記されてないはず」
「う、うん」
「多分一昨日のものでしょう。そう言えば思い出しましたが、一昨日のゴミ出しは珍しく先生でしたね」
「う、うぐぅ、それは、ゴミが溜まってたから」
「私に、たい焼きの箱が無いことを気づかせないためだったのかもしれません」
「そ、そんなぁ……」
 あゆは押し黙る。
「質問は以上ですか?」
「ま、まだあるよっ! どうやって箱を組み立てたのっ!?」
「これです」
 美凪はそう言って、先ほど風船を膨らませたエアスプレーを取り出した。
「これは私がシャボン玉をたくさんとばすために買ったものですが、昨日、何故か見あたらなかったんですよ」
「そ、それがなんでっ」
「いいですか?」
 美凪はスプレーの先にノズルを付けると、そのノズルを件の畳まれた空き箱側面にある小さな穴に差し込んだ。
「この穴は、なるほど、先生がおっしゃるとおり爪楊枝か何かで開けたものでしょうね」
 しゃべりながら、美凪は、ゆっくりと空気を噴射する。
 すると箱は、まるで紙風船のように、ぱきぱきと音を立てて膨らんでいった。
 しかし中程まで膨らむと、フタの隙間から空気が漏れて、なかなか進行しない。
「よいしょ」
 美凪は指先に力を込め、噴射量を増やす。すると、ぽふんと音を立ててフタは開いたが、他の部分もきっちりと組み上がり、重力に従ってフタが閉じると、そこには完成した箱が存在していた。
「この通りです。この箱は構造上、完全に組み立てないとフタは開きません」
「ほんとだー」
「先生、あなたは昨日、これを持っていって、組み立てたのです」
「え、あ。そ、そんなことしてないもんっ」
 単純に感心していたあゆは、疑惑が自分にあることを思い出して、慌てて否定する。
「常識的に考えて、そうとしか」
「うぐぅっ……でもそれじゃあっ、箱は五つになっちゃうよっ! 箱はいっつも四つ置かれてて、トイレから帰ってきたおじさんも、四つだったって言ってるもんっ!」
「ご主人の勘違いがまず原因です」
「ええ!? 何言ってるの美凪ちゃん、おじさんはそんな勘違いするような人じゃないよっ!」
 自分の推理を半ば撤回していることになるのだが、あゆはそれにも気づかず、必死に追求する。
「いいですか、ご主人がお手洗いから帰ってきたとき、箱は四つありました」
「うん」
「でも、本当は、箱は三つで無ければならないのです」
「え?」
 あゆが呆けた顔をする。
「私の推理もまずはそこが前提でした。確かに、常に四つなのだから、四つあれば不思議ではない。しかし本当は三つのはずだった」
「なんでよっ」
「先生。先生が昨日、一箱買った直後にご主人はお手洗いに行ってるのですね?」
「そうだよ。……あっ」
「そう。先生が一箱買ったと言うことは、残る箱は、三つ」
「えええ……そ、それじゃ、おじさんは」
「恐らく、お手洗いから帰って来て、三つなら先生の事を思い出すでしょうが、四つならばなにも考えることなく、普段通りだと思ったのでしょう」
「……ど、動機が無いよっ」
「それは分かりません。事件を解決して、食い逃げの汚名を返上したかったのか……ですが、論理を突き詰めていくと、その先にいるのは」
 美凪は黙ってあゆを指さした。
「そんなっ! それじゃ、本当にボクが」
「先生……どうして」
「違うもんっ! ボクじゃないもんっ!」
「先生。先生以外に、誰がこのことを出来ますか?」
「違うもん……ボク、やってないもんっ……」
 あゆは、涙目でふるふると肩を震わせると、ばたばたと自室に駆け戻った。
「……あら」
 その様子を見て、美凪は少し驚く。
「ちょっと調子に乗りすぎましたか」
 ほう、と息を吐くと、事務机の引き出しから、「お詫び」と書かれた二通の封筒のうち片方を取り出し、あゆを追った。
「先生以外に、誰がこのことを出来ますか? たい焼きの箱とエアスプレーを持っていて、ご主人のスケジュールを知っている人物……」
 誰ともなしに美凪は呟いた。



(終わり)



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