携帯林檎


 或る男の部屋。男は毛布をかぶりながら、畳に敷いた布団の中で夢を見ている。
 枕元には灰皿と携帯電話。そして小さな小さな少女。
 大人の掌ほどの大きさしかないその着物姿の少女は、携帯電話を不思議そうに見つめている。
 灰皿は知っている。臭いものだ。
 うかつに近づいて咳き込んで以来少女はそれを敬遠するようになった。
 しかしこの、突起がいくつも付いたものは何であろう。
 柔らかく結った頭をくいと横に向け、首を傾げる。もみあげが軽く揺れた。
 少女の瞳にはいくつもの疑問符が映っている。
 足袋履きの足で携帯電話の周りをぽくぽく歩く。
 しかし疑問は増えるばかりであった。
 恐る恐ると言った感じで、一部分だけ突き出ている突端に手を伸ばす。
 両手でそれをぺたりと掴むと、その瞬間。
 ピリ〜リリ〜ラ〜、ピリリピリリピリリ〜♪
 液晶画面が光り、突如けたたましく電子音楽が鳴り響いた。
 驚いて少女は飛び退いた。その瞳はあわあわとぐるぐるしている。
 がさりと眠っていた男が身を起こし、手を伸ばして携帯電話を掴む。
 男は少女に気づかない様子で、不機嫌な顔をして携帯電話を眺めた後、かちかちと何かを操作した。
 ふうと溜息を吐いた後、男は携帯電話を放り投げる。それは放物線を描いて、軽い音と共に座布団の上に着地した。
 少女は、遠くからその様子を眺めていたが、やはり携帯電話が気になって仕方がない様子で、じいと座布団の上を眺めている。
 やがて一歩、また一歩、少女は足を踏み出して、とててと携帯電話に駆け寄った。
 恐らく触ったのが悪かったのだろうと思い、近くで眺めているだけにすることにした。
 液晶画面は光ったままであり、そこには数字や人の顔が映し出されている。
 何とは無しに、ほうと自分の掌に向けて息を吐く。
 触ってはいけないと思いつつ、少女はその画面に少しずつ顔を近づけていく。
 すると。
 ぶるるるるるるる。ぶるるるるるるる。
 携帯電話が揺れだした。
 驚いた少女はバランスを崩し、しばし手をばたばたさせたあともんどり打って後ろに倒れた。
 座布団がふかりと少女の体重を包む。
 仰向けになったまま首を持ち上げるとまだ携帯電話は揺れている。
 いい加減に慣れた少女は、四つんばいになり、それに手を伸ばす。
 手が触れたとたん、がくがくがくと少女の身体が揺れた。
 少女には、それがなんとも、愉快だった。
 ぶるぶる揺すられながら、少女は携帯電話に乗る。
 ぶるるるるるるる。少女が揺れる。いかにも楽しそうに、その表情は満たされた笑顔だった。
 振動で倒れそうになりながら寸前の所でバランスを取るのはなかなかに難しい。
 ふらふらばたばたと不安定な格好で震えを楽しんでいた少女は、ようやく転ばないためのコツを掴んだようで、しっかりと立っている。
 振動が、何の前触れもなく、ぴたりと納まった。
 あれ、と少女は瞳を幾度か瞬くと、不思議そうに携帯電話の上から降りる。
 現在の状況が全く理解の範疇外な少女は、きょとんとしたままその静かに佇む携帯電話を眺めている。
 少女は、小さな掌でぺたんぺたんとプラスチックの外面を叩く。しかし携帯電話は無反応。
 両手の平を携帯電話の上に掛けたまま、しばらく待ってみる。しかしやはり、何も起こらない。
 少女はいささかふくれ面気味になり、すたすたと電話から離れた。
 振り袖をひらりとさせて、座布団から畳に降りたところで、ちらりと振り返る。
 携帯電話は沈黙を守っている。
 少女は怒りと哀しみが綯い交ぜになった表情を作り、早足で畳を駆け、部屋の隅にある闇へと身を躍らせた。
 誰も居ない部屋には、んがあと男のいびきが響いている。



(終わり)

  絵と原案 桜塚さん



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