廃車


 我が家の隣には二台の廃車が置いてある。
 誰の物とも分からない、酷く古いタイプの普通乗用車だ。きちんと並んでいる二台は、揃ってガラスは割れ、ボンネットはへこんでいる。そして所々、病魔に冒されたように錆が浮き出ている、それはもう見事なまでの廃車だった。
 周囲には僕の腰ほどまでの雑草が生い茂り、車の中にもぽつりぽつりとその姿は見える。
 ハンドルには蔓草が絡みつき、シャシーに穴が空いているのか、それとも草の生命力が鉄塊を突き破ったのか、それはひっくり返してでもみないことには分からない。
 さて、僕が、その車について説明できるのはそのくらいだ。
 なぜならば、僕はその車に何の興味も抱かなかったからだ。
 勘違いしないで欲しいのだけれど、僕は何事にも無関心なニヒリストだとか、そう言うわけではない。
 僕が気づいたときには、隣に廃車が有る風景と言うのは、ごく普通のものだったからだ。
 おそらくその二台は、僕が生まれたときからあったのだろう。有って当然のものであり、少なくとも僕にとっては、注目に値するものではなかったのだ。
 よほどの物好きでもない限り、自分の庭を丹念に調査などしないだろう。つまりはそういうことだ。
 だから、その車が何処の会社の何年製のものだ、などと言うことはさっぱり分からない。
 あの車は僕にとって飼い犬を散歩させるときの小便ポイントでしかなく、遊びに来た友人がこれは何だと驚いているのを見て初めて、なるほどこれは異常かもしれないと理解した次第だ。
 もちろん、両親にも聞いてみたが、やはり分からないらしい。いつの間にか有って、不思議には思っていたが、気が付いたら慣れてしまったと言う。
 ひょっとしたら、父が昔乗っていた車で、なんらか事故の後にあそこに放置し、恥ずかしいから僕には黙っているのではないか、等とも考えたが、そんな馬鹿な父親が何処にいるだろう。
 近所の人も疑ってみたが、どう考えてもあの車はうちの敷地に最も近い。廃車を二台、わざわざうちの近くに並べて停めておくその理由は何だろう。思いつくはずもない。この説はすぐさま却下された。
 そう、何よりおかしいのは二台と言うことだ。一台であれば、なにがしかの事情も浮かぶが、二台あるのだ。
 つまり、その場所には並べるべくして廃車が並べられているのだ。
 廃車の一方は道に平行に接していて、もう一方はうちの庭木のごく近いところにある。もう少しスペースが広ければ、きっと三台目が設置されていたのだろう。
 僕の家は小学校のすぐ近く、田舎ではあるが住宅が建ち並ぶところに有り、近所に車工場は無い。仮に昔有ったとしても、どうしてうちのすぐ隣に廃車を置いて、そのまま野ざらしにしなければならないのだ。
 考えれば考えるほど分からない。ベッドに寝転がり、枕を蹴っ飛ばす。
 僕は意を決して、明日学校から帰ってきたら、あの車を徹底的に調べてやろうと心に決めた。
 車種や年代が分かれば、きっと解明への糸口になるだろう。
 今まで気にもしなかった二台の廃車が、僕の心の中をいっぱいに埋めてゆく。見ていろ、かならず、正体を暴いてやるからな。
 そうして次の日、放課後になると同時に、僕は重い鞄を抱えて自宅へと急いだ。
 すると廃車は二台とも消えていた。
 雑草が生い茂る中、明らかに車が置いてあったであろう跡だけが、くっきりと残っていた。



(終わり)
 
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