落下
ああ、落ちている。と、僕は思った。
ニクムベキヒレツカンたるテロリストたちが、宇宙空間における人類の居住区――スペースコロニーを地球に落下させると宣言したのが48時間前。
偉い人たちは、これは人類に対する罪であるだなんて言ってるけれど、僕なんかにしてみれば、人が宇宙に住もうなんて思うこと自体が馬鹿げていると思う。
とはいえ、今も懸命に避難を続けているコロニー住まいの皆さんや、落下地点付近の住人たちには同情を禁じ得ない。きっと大変だろうと思うので僕は五秒間だけ神様に祈ってみた。
いや、確か、この落下によって地球全体が汚染されるとかなんとかと聞いたぞ。それは僕にとっても大変じゃないか。祈りを十秒間ほど延長してみた。
その現代のノアの箱船は、今や空に浮かんでいるのが肉眼でもハッキリと確認できるほど、地球に接近している。
落下予定ポイントは随分遠くの西の国のはずなのに、こうして僕の国からも見えることに妙な感慨を覚えてしまう。よく考えれば、月だって随分遠くにあるのにいつも見えるし、そういうものなのかな。
それにしても、あんな円筒の中に何千万人もの人間が乗っていたなんてまるで信じられない。それが落ちていると言うことも信じられない。結局何も実感できないけれど、今の光景は確実なリアルであって。地球は青かったと言う有名な台詞を残した最初のアストロノーツも、同じような気分だったのかな、なんて思ってしまう。
空に浮かぶ、月と、太陽。そしてスペースコロニー。空一面をスクリーンにしたSF映画を見ているような気分だ。まあ映画で有れば僕が心動かされたりはしないのだけれど。
夕焼けの丘には良い風が吹いている。宅地造成を途中で放り出したショベルカーに寄りかかって、僕は来たるべき終末を待つ。
ううん、さっきよりもやや高度が落ちたかな。それとも錯覚かな。
どうも地球というのは自転しているらしいから、逆に浮かんで見えたりもするのかな。少し悩んだけれど面倒なので考えるのをやめた。
しかし、落下物というのは最後に地面に辿り着くからこそカタルシスが得られるのだというのに、僕がここに居る限りは記念すべき着地の瞬間は見ることができない。地球は丸いからだ。このくらいは、考えなくても分かる。
例え富士山に登っても無理。日本海に向かって猛烈に疾駆してもやはり無理。それが少々残念だ。
どうせならば落下予定のあの聞いたこともない名前の国へ行って、その瞬間の感情を周りのみんなと共有したい。ああでもその前に衝撃波に吹き飛ばされたりもするのだろうか。それはそれで、オツだとかイキだとかそう言うのだと思う。
太陽が西の山々へ飲み込まれて行く。それを追いかける灰色の建造物。
実はコロニーは太陽に向かっていたりして。それは、それで、一大スペクタクルだ。
とりあえず、コロニーが地球に落ちる光景はしっかり目に焼き付けた。次は巨大な隕石が落ちるところを見たいな。
さて、すっかり辺りが暗くなってしまった。このところ変質者が出没すると言うし、そろそろ帰らなければ。
自転車にまたがって漕ぎ出すと、冷たい空気が剥き出しの首筋を切り裂いていく。ああ、温かい炬燵がたまらなく愛おしい。
ノーブレーキで丘を駆け下りつつ、コロニーを見上げる。
ああ、落ちている。と、僕は思った。
(終わり)