ちゃいるど・まま 〜いっしょにねむって〜



 ベッドに寝転がり、枕元に手を伸ばして本を取ると、昨日しおりを挟んだページを開く。

 何故か最近、俺は、寝る前に何か本を読むのが習性になっているようだ。と言っても、大概は、漫画なのだが。

 お陰で最近はちょっと夜更かしの癖が……ふぁぁ。

 んー……

 ちょうど一冊読み終えたところで、時計を見る。寝るのにちょうど良い時間になったようだ。

 じゃ、どれ、寝るか、と、閉じた本をその辺に放り投げて、俺は明かりを消し、毛布をかぶった。

 すると、10分くらいしたころだろうか?

 こんこん、こんこん……

 遠慮がちに、ノックの音が聞こえた。

 半ば眠りこけていた俺は、近所の酔っぱらいがどこかの玄関でも叩いてるのかと思ったのだが、よくよく気が付いてみると、どうも自室のドアから聞こえる。

「えふぅっ……んくっ、すん、すん……」

 何だか、泣き声の様なものまで聞こえる。

 がばっ! と俺は反射的に起きあがった。

「――アキちゃん?」

 いや、まさか……と思いつつも、ノックの音は断続的に続いている。

 とりあえず、俺は、恐る恐るドアを開けてみた。

 きぃと開いたドアの隙間からは、俺より頭一つ小さい女性が、こぶしでぐしぐしと目を擦り、ひっくひっくとしゃくり上げているのが見えた。

「あ、アキちゃん!? ……どうしたの、こんな夜中に……」

 時計を見るともう12時。秋子さんならともかく――アキちゃんはとっくに夢の中にいてもおかしくない時間だ。

 ともかく、ここでこうしていても埒が明かない。

 俺は明かりを付けると、アキちゃんを部屋の中に入れた。

「どうしたの?」

 泣いていて要領を得ないアキちゃんの前にしゃがみ込んで、優しく問いかける。

「あふっ……あの、あのね、あの……眠れないの……」

 うん?

「アキちゃん、えふ、ふあ、眠れないの……」

 眠れない……?

 ああー。そういえば。俺はそこで思い出した。

 確か、今日の9時頃。俺が、コーヒーを飲もうとしていると、

「アキちゃんも飲むー」

 と、とてとてやってきた娘さん。

「苦いよ」と言っても、

「飲むったら飲むー」と聞かない。

 仕方ないので一口飲ませたら……

「にが……」

 って、目一杯顔をしかめさせてたっけ。

 あの時はあははって笑ってたけど、しかし、まさか、一口のコーヒーで。

 うーん、と俺は考え込んだが、こうしていても仕方ない、今のアキちゃんの方が先だ。

「えぐ……えぅっ、ひんっ」

「で、どうしてアキちゃんは泣いてるの?」

「うん、あのね、あのね、眠れなくて、暗くて、どーして眠れないのかなって思って、おうちの中暗くて、えっとね」

 ああもう。

 つまり――眠れなくて、そうしているうちに、なんだか怖くなってしまったらしい。

 ま、何となく分かる。暗闇の中でじっとしてると、天井のシミが変な形に見えたりして、怖くなって来るものな。

 俺はちょっと笑って、

「おねしょでもしたのかと思ったよ」

「ぷぅー! アキちゃん、子供じゃないもん!」

 ぽかぽかと叩かれる。あいたた、ちょっと元気になったかな。

「だから、誰かに会いたくなって、それで、それでね」

 それで、俺の所に来たわけか。

 あ、でも――

「どうして、名雪の所へ行かなかったの?」

 言ってから、あ、と思った。

「だってぇ、なゆちゃん、起きないんだもん……」

 やっぱり。さっきみたいな弱々しいノックで起きてくれたら、毎朝どれほど楽なことか。

 しかし、それじゃ、どうしよう。

 眠れない、と言ってるのを、また部屋に戻しても無駄だし。

 眠くなるまで一緒に起きてるというのも無理があるだろうな。ふぁ、何より俺が眠い。

「ねぇ、ゆーちゃん」

「ん?」

 少し落ち着きを取り戻してきたアキちゃんが、俺のそでをくいくいと引っ張る。

「……ねぇ、ゆーちゃん」

 もう一度繰り返す。アキちゃんは、何だか恥ずかしそうに身をよじっている。

 何を言う気かな、と、俺がぼけっとしていると、

「いっしょにねむって?」

 爆弾発言をキめられた。

 ぎゅーん、と、その言葉は右の耳から入って俺の脳内を駆けめぐり、左の耳から抜け出そうになったので慌てて押し戻した。

 ん、あー、あー。しばらく意味もなく瞬きを繰り返したりして、思考が落ち着くまでの時間を稼いだ。

「……ん、何か言ってよぉ」

 アキちゃんもさすがにちょっと恥ずかしかったのか、口先をもごもごさせて俺のそでをくいくいしている。

 最も、その恥ずかしさは男女間のどうこう、と言うことではなく、単にその行為が子供っぽいからだとは思うのだが。

 で、だ、しかし、ああー、ええと。

 問題――は、バリバリだと思うが、

 こ、ここで、拒否してしまえば、風呂の時と同じように、後で後悔するのは俺だ、俺だっ。

 だっ、だが。鼻息すごんで「う、うん! 寝よう!」などと言おうものなら、「ゆぅちゃん怖ーい」と逃げ出されかねない。

 えーと、あー、あー。ううーむむむ。

「だめ? それなら、なゆちゃんとこ行く……」

 痺れを切らしたアキちゃんが、くるりと後ろを向いた。

「ま、待って!」

 俺は慌てて声を掛ける。

「眠ってくれるの?」

 振り返った、くりっとした瞳に問われる。そこで俺は、何か良い言葉を探したものの、結局、

「了承!」

 ……秋子さんに頼ることにした。





「えへへ……ゆーちゃんと同じおふとん」

 ベッドの上でアキちゃんがもぞもぞと動く。

 そんな言い方するとどことなく卑猥な印象を受けそうだが、ああ、確かにアキちゃんは秋子さんな訳だが、違う違う。

 俺はその――父性本能に基づいた、庇護欲でもって、その。

「ゆーちゃん♪」

 ぎゅ、としがみつかれる。

「ぬぁ」

 ぴん、と頭が真っ白になって、さっきまで考えていたことは全て忘れてしまった。

「ゆーちゃん、暖かい……♪」

 すりすりと、ほっぺを擦り付けられる。

「あ、アキちゃんも、暖かいよ」

 って、恋人同士の会話みたいな、そうじゃなくて、そうじゃなくて、あああ。

 アキちゃんは、布団の中にすっぽり潜り込んでしまっていて、ちょうど頭が俺の胸に当たっている。

 こつんこつんと、額で俺の胸をノックしては、えへへと喜んでいる。その軽い感覚が、何となくこう、嬉しいような。

「ゆーちゃん、お父さんみたい」

 お父さん、か。せめてお兄さんにしてくれ。

 秋子さんならさしずめ旦那さん――ん?

 いや、俺が旦那さんとかそう言うことではなくて――

 秋子さん。もう随分と、こうして甘える相手なんて居なかったんだろうな。

 そう思うと、自然に、アキちゃんの頭に手が伸びていた。

 そのまま、前後に優しく撫でる。

「あ……」

 アキちゃんは、ちょっととまどいを見せたが、すぐに照れたように笑って、恥ずかしそうにもじもじと動いている。

「ゆーちゃん……」

 ますます、俺にしがみついてくる。

 俺がどうしてこんなことしたのか――よく分からない。アキちゃん、秋子さん。俺はどちらの頭を撫でているのだろう。

 ともかく、俺は、こうしてあげたくなったのだ。

 なでなで、なでなで。

「ふにゅ」

 そのままアキちゃんは、ゆっくりと目を閉じて、じっとしてしまった。

 あれ、もう眠っちゃったかな?

 と、思っていると、

「……ゆーちゃんも、眠るの」

 ぱっちりと目を開けて、人差し指で俺の瞼をくいと閉じた。

 んー。

 そう、だな。余計なことを考えずに、寝るか。

「うん、おやすみ」

「おやしゅみぃー」

 アキちゃん、既に言葉が不安定。さすがに、眠かったんだろうな。

 今度こそアキちゃん、眠れればいいけど。

 ふわ

 シャンプーの匂い。

 ――ああっ。

 眠る、眠るんだっ。

「ふゅ」

 くい、と足を絡ませられる。

 あ、秋子さんの、もといアキちゃんのふとももが、ふにって、そんな、いけませんっ。

 ね、眠れ、眠れ、俺、眠れ。

「――すー」

 アキちゃんは、無事眠りに就けたようだ。

 俺も眠らなきゃ――

 くい

 アキちゃんが、俺を抱き枕代わりに、ますます密着してくる。

 いや、それはいい。いいんだ。だけど。

 ふにゅって、ほら、俺の腹の辺りに、柔らかい感触が。秋子さんな訳だから、あ、ああ、あああ。

 ね、眠れ。それ以前に、おさまれ、俺。俺ーっ。

「――す、すー」

 安らかな寝顔でアキちゃんは夢に沈んでいる。

 対する俺は苦悶の表情。

 ――俺の方が余程、不眠症になりそうだった。



(つづく)



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