夢の劇場『渚の美凪』

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 じーわ じーわ じーわ じーわ 蝉時雨が休みなく木霊している。
「はふーい」
「んにー」
「…ほぅ」
 俺たち三人は駅舎の壁にもたれ、ぼんやりと青すぎる空を見上げていた。

「暑いね…」
 普段は元気が有り余りまくっているみちるでさえ、手足を放り出してぼへーと垂れている。
「わざわざ言うな…よけい暑くなる」
「ん…ごめん」
「……」
 あまりの暑さに、何もする気にならん。食い扶持を稼がないといけないのだが、それすら億劫だ。
「…あつは…なつい……」
 美凪が掠れた声で、締まらない冗句を飛ばした。
「………」
「……」
 沈黙。じーわじーわじーわーじーわと蝉の声だけが響く。
「……。…ごめんなさい…」
 本当にすまなそうな顔で謝る美凪。
「…分かってくれればいいんだ」

 じーわじーわじーわじーわじーわじーわじーわじーわじーわ
「うぐぐぐ」
 だらだらと流れる汗が脇の下に溜まり、気持ち悪くなってきた。
「んにー」
 みちるのTシャツが汗でべったりと身体に張り付いている。
「……」
 美凪は涼しい顔をしているが、しきりにはたはたとスカートをはためかせ、足元に風を送っている。

 ここは年長者として、気の利いた事を言って場を和ませるしかあるまい。
「…あー。そらがたかいなあ」
 自分の声に抑揚がなくなっていることに気付き、愕然とした。いかん、このままではいけない。
「よしっ」
 気合いを入れ、がばっと立ち上がる。立ち眩みがしたが、耐えた。
「んに…国崎往人が暑さにやられた…」
 失敬なことを言うみちるを軽く叩いて、
「このままでは涸れてしまう。海だ、海に行くぞ」
 空元気を振り絞り、ビシッと指差しながら言う。
「…そっちには、山しかありません…」
「……」
 美凪の涼やかな突っ込みが入った。俺は気恥ずかしさを隠しながら、指差す方向を変える。
「…海…ですか?」
 優しい美凪は俺の間抜けた行動を見ない振りをしてくれて、ほほに手を当てて訊き返した。
「んにー…海?」
 溶けかけたみちるが、ふらふらと顔を上げて訊ねる。
「そうだ。海に行って泳ぐぞ。そうすれば、少しは涼しくなる」
 よく考えれば、こんなに海が近いのにどうしてこんな簡単なことを思い付かなかったのだろうか。

 美凪は少し思案してから、
「…いいですね…行きましょう」
「美凪が行くんなら、みちるも行くー」
 俺はうなずき、
「よし、そうと決まれば膳は急げだ!」
「膳じゃなくて善です…ご飯じゃないんですから…」
 音だけでなぜ分かる、美凪!?

「んにににに…海〜」
 よたよたと立ち上がるみちる。
「……」
 美凪もみちるに手を貸しながら立ち上がった。
「よし、行くか」
 と、俺が号令を掛けると、
「……あ。…水着が、ありません」
「みちるもないよ」
 女性陣二人が立ち止まった。
「いらないだろ、そんなもん。裸になればいい」
「…そういうわけにも………ぽ」
 何を想像したのか、美凪がほほを赤らめてもじもじした。
「なに考えてるんだ国崎往人ー!」
 同じく赤くなったみちるが、ぽかぽかと俺を叩いた。
「……………ヌーディストビーチ…………ぽ」

 結局、美凪が一度家に戻り、自分の分とみちるの分(美凪のお古だ)を持ってきた。

 ・
 ・

「海ー、海ーっ! にゃはははははは」
「…海が好き……」
 潮騒の音が静かに響き、青々とした海が眼下に広がっている。屍になりかけていた俺たちに、活力が戻ってきた。戻りすぎているよーな気もしないでもなかったが。
「よしっ、じゃあ着替えるか」
 言うが早いかシャツを脱ぐ俺。
「にょわーっ!」
「………く、国崎さん…」
 上半身裸になった俺を見て、異様にうろたえるみちると美凪。
「な、なんだよ。シャツを脱いだだけだろ?」
 何か変なことをしたのか、俺?
「そ、それはそうだけどぉ…」
「…たくましい……ぽ」
 なぜか視線を逸らしながら、時折こちらをちらちらとうかがう二人。
「?」

 興奮しているのかうろたえているのか分からない美凪とみちるが、岩かげに向かう。
「どこに行くんだ?」
「…向こうで着替えてきます」
「ここですればいいじゃないか。どうせ誰も居ないんだし」
 えっ、と美凪の表情が固まった。
「…そ、それは……」
 美凪は困ったようにふるふると首を横に振り、俯いた。
「このへんたいーっ!」
 みちるが怒鳴り、跳び蹴りが飛んできたが余裕でかわす。

「…みちる。行きましょう」
 真っ赤になったままの美凪がみちるの手を引いて行ってしまった。
「変な奴らだ」
 まあ、いいか。
 俺は一枚だけ持っている短パン型の水着に履き替え、一人で準備運動を始めた。

 青空を見上げると、太陽はまだ真上に来ていなかった。日差しがきつく、じりじりと肌が焦げていくのが分かる。
「これ以上ないぐらいの水泳日和ではあるな」
 独り言を言いながら屈伸をしていると、
「待たせたな、国崎往人ーっ!」
「…お待たせしました」
 まるで果たし合いの場所にやってきたかのよーなセリフを吐くみちると、もじもじと恥ずかしそうに身体をくねらせる美凪がやってきた。

「へえ」
 水着姿の美凪を見て、感嘆の声を上げる俺。
 美凪のすらっとした長身の肢体に、白いワンピース型の水着がよく映えていた。
「美凪、胸でかいな」
 美凪は痩せ気味だとばかり思っていたが、かなりグラマーだった。着痩せする体質なのだろう。腰は引き締まっていて無駄な肉は付いてないし、尻も安産型だ。
「…あ、あの…あまり、見ないで下さい……」
 俺の視線に耐えかね、恥ずかしそうに身体を揺する美凪。
「このへんたいやろーっ!」
 どしぃっ! 不意を突かれ、みちるの跳び蹴りがまともに鳩尾に入った。
「ぐふっ」
 ガクリとひざをつく俺。
「美凪をいやらしい眼で見るなーっ!」
「うぐぐ…」
 美凪を護ろうと仁王立ちしているみちるを見る。
 美凪のお古だと思われるスクール水着に包まれたみちるの身体は、起伏に乏しいと言うか、全く凹凸がなかった。まあ、腰は少しだがくびれているし、健康的な活力で満ちているとは言える。色気はこれでもかとゆーほど見当たらんが。
「失礼なこと考えるなーっ!」
 なぜ分かる!? と訊く前に、二発目の跳び蹴りが入った。
「ぐふっ」

 痛む腹をさすりながら準備運動を終えた俺は、海に向かった。
「待てーっ、国崎往人ー」
「待って下さい…」
 互いに髪の毛を編み直している二人に制止された。
「まったく…そんなもん、どうでもいいだろうが」
「…駄目です…海水が染み込むと、髪の毛は痛みますから…」
 そういうもんなのか。

 砂浜に腰掛けてしばらく待っていると、ようやく髪の毛をまとめ終えた二人がやってきた。
「…お待たせしました」
「ああ。本当に待った……ぞ……」
 不機嫌に振り向いた俺は、美凪の顔を見て言葉を失った。
「…?」
 不思議そうに小首を傾げる美凪。
 引っ詰めにされた少女のような髪型が、美凪が元々持つ大人びた雰囲気と相まって、倒錯的な魅力を生み出している。
「…ごく」
 思わず生唾を飲み込む俺。
「んにっ。また美凪をいやらしい眼で見ているな」
 みちるキックが出そうな気配を察知し、慌てて目線を逸らした。
「……」
 みちるの方は、美凪とお揃いの引っ詰めの髪型になって、さらにやんちゃっぽくなっている。色気が減ったと言ってもいい。
「だから失礼なこと考えるなーっ!」
 みちるが跳んだ。
「おっと」
 腰を浮かし、かわす。跳び蹴りが空を切り、砂浜に突き刺さった。
「んにゅ…やるな」
 俺はみちるの髪の毛を撫でて、
「まあ落ち着け。どうどう」
「みちるは馬じゃないーっ」
 据わった目つきで俺を睨むみちるをなだめ、立ち上がる。
「よし、じゃあ泳ぐとするか」

 ・
 ・

 ばしゃ、ばしゃっ。
「にゃはははははは。どうだ、国崎往人ー」
 盛大な水しぶきが舞い、視界が奪われる。
「ぷわっ、くっ…二人がかりは卑怯だぞ!」
 美凪&みちる連合に、俺は劣勢を余儀なくされていた。
「みちると美凪は女の子だもーん」
「…戦力の均等化」
 言いながら、ばっしゃばっしゃと水をぶっかけてくる二人。
「がふっ」
 いかん、このままではやられっぱなしだ。
「……よし」
 俺は水しぶきを受け、倒れる振りをしながら海中に潜った。
「あーっ、国崎往人が消えたぞーっ」
「…敵影を見失ってしまいました…」
 二人が俺の姿を見失っている間に、腹を海底に擦るようにしながら一気に近付き、
「うりゃあっ!」
 足元で立ち上がり、どちらか確かめる間もなく組み伏せた。
「…あっ」
 ばしゃあっ! 絡み合うようになりながら押し倒す。

 むんにゅっ。

「あんっ」
 手の平に柔らかい感触があり、指が沈み込んだ。
 砂地…じゃない。美凪の身体だ。ふわふわ柔らかくて、手の平に吸い付くような……。
「…あ、あの…だめです…」
 顔を真っ赤に染めた美凪が、やけに潤んだ瞳で俺を見つめている。
「……」
 指を動かすと弾む手応えがあって、柔らかい部分の奥には少し固めの芯のようなものがある。
「んっ、んはっ……、…はっ、んぁっ…、…だ、だめ…国崎さん…っ」
 美凪は弱々しく唇を震わせ、何かを堪えるように掠れた声で囁いている。
「……」
 手元を見てみる。手の平が美凪の豊かな胸元にあてがわれ、指先が沈み込んでいた。
「……」
 むにむにと指を動かすと、
「はっ、ぅあっ…、…ああん…っ、…だめ、だめ…です…っ」
 美凪が切なそうに喘ぎ声を上げ、真っ赤になった顔が艶めいてきた。

「いつまでやってるんだーっ!」
 どごしぃっ! みちるの跳び蹴りが背中に入った。
「ぐふっ」
 身体が海面に叩き付けられ、手の平から柔肉の感触が消える。
「ああ…」
 名残惜しげに溜め息を吐く美凪。

 ・
 ・

 そうこう騒いでいる内に、太陽が真上に来て、腹が減ってきた。
「腹減ってきたな」
「んに」
 砂浜で城を建造していた俺とみちるは、顔を見合わせながら言った。
「…私、おにぎりを作ってきました」
 岩かげに戻っていた美凪が、でかいタッパーを持ってきた。
「おおーっ」
「さすがは美凪。気が利いてるぞ」
「…えへん」
 蓋を開けると、丸おむすびがぎっしりと詰め込まれていた。
「…海苔は、こっちにありますから。…このおしぼりで手を拭いてから、どうぞ」
 何から何まで気が利いている美凪。と言うか、俺とみちるが利かなさすぎるだけか。

 美凪から受け取ったおしぼりで手を拭き、いただくことにした。
「…召し上がれ」
「いただきます」
「いただきまーす」
 言うが早いか、俺とみちるはマナーもへったくれもない勢いで食い始めた。
「……フードファイト?」
 手当たり次第、わしわしと食う俺とみちると、それを微笑ましそうに見つめる美凪。
「もぐもぐ…おいっ、両手に二つ取るな! 意地汚い奴だな」
「むぐむぐ…国崎往人こそ、一口で食べるなっ。もっと味わって食べろーっ!」
「たくさんあるから、大丈夫…。お茶、要りませんか」
「くれ」
「ちょーだい」
 抜群のタイミングで差し出される美凪のお茶でのどを潤しながら、俺とみちるは親の仇のよーに握り飯を食べ続けた。

 ・
 ・

「ふう、食った食った」
「んに〜。満腹、満腹」
 砂浜の上に大の字になる俺とみちる。燦々と輝く太陽が眼に眩しい。
「ほぷ〜」
 みちるは膨らんだお腹をぽこぽこと叩いている。こいつは、この小さな体のどこに仕舞っているのかと思うほど食いまくっていた。まあ、量で言えば圧倒的に俺が多かったのだが。
「…お粗末様でした」
 俺とみちるに遠慮しながらもきっちり自分の分は腹に収めていた美凪が、タッパーと水筒を片付けて、俺の傍らに腰掛けた。
「…みちる、お腹が苦しいのなら、右側を下に横向きになると楽になるから」
「にゅふー…」
 美凪に言われた通り、ころんと横向きに寝転がるみちる。やがて、すぅすぅと軽い寝息が聞こえ始めた。
「…可愛い」
 みちるの仕草を見つめ、きらきらと瞳に星を浮かべながら呟く美凪。

「ふう」
 海から流れてくる風が心地よく感じる。腹が満腹になり、眠たくなってきた。
「俺も一眠りするかな……」
 言うが早いか、俺の意識は眠りに落ちていった。

 ・
 ・

「…うむ……。…あれ」
 眼を覚ますと、身体が動かなかった。体全体に、何か重い物がまんべんなく乗っかっているよーな…。
「…お目覚め?」
 頭の方から、美凪が顔を出した。
「にゅふふ、今頃起きても遅いぞー」
 ざくざくと何かをかき混ぜるような音と共に、みちるのやけに楽しそうな声が足元から聞こえた。
「何だ、どうなっているんだ」
 首を動かすと、胸の辺りが砂で埋められていた。いや、胸だけではない。見えないが、首以外全て砂に覆われているようだ。

「にゃはははは、いい格好だな、国崎往人!」
 俺の頭近くで仁王立ちになり、見下ろしながら笑うみちる。
「俺が寝ている間にやったのか」
「そうだーっ」
 空を見ると、少し陽が傾いていた。結構眠ってしまっていたらしい。
「…みちるが眠っている国崎さんを見て、やろうって…」
「にゅふふふふ」
 みちるは満面の笑みを浮かべ、しゃがみこんでぺちぺちと俺の額を叩いている。
「………国崎さん、可愛い」
 美凪は俺の脇にひざを揃えて腰掛け、愛おしそうに俺のほほを撫でている。

 このままでいてもいいのだが、それはそれでつまらないので、俺も動くことにした。
「ぐぬぬ」
 凄まじい重さの砂の下で腕を動かす。山から突き出し、ガシッとみちるの細い脚を掴んだ。
「にょわっ!」
 驚いたみちるは跳びすさり、
「んに〜、ていていっ」
 俺の手をゲシゲシと踏みやがった。
「痛て、痛て。こいつっ」
 ぐっと身体に力を込めて起き上がろうとしたが、想像を絶する量の砂が盛られているらしく、ビクともしない。
「ちっ」
 みちるは唇を歪め、
「にゅふふふふふ。むだだ、国崎往人! お前はこのままここに置き去りにされ、満ちてきた潮に飲み込まれて海の藻屑となる運命なのだぁっ!」
「なにい」
 ンな運命を受け入れてたまるか。
「ぬっ…、……ふっ」
 腹に力を込め、全身の筋肉に指令を送る。
「………ふぉぉぉぉぉ」
「にゅふふ、むだむだむだむだぁ」
 余裕で俺を見下ろしているみちる。
「………んぎぎぎぎぎぎぎ」
 顔に血がのぼり、頭が熱くなってきた。
「んにっ…」
 みちるがうろたえたように数歩下がる。
「………どぉりゃあああっ!」
 ざざっ、と音がして、俺は上に乗っていた砂を押し退けながら身体を起こした。
「にょわーっ」
「………すごい」
 瞳を丸くして、俺を羨望の眼差しで見つめる美凪とみちる。
「ふっ。まあ、ざっとこんなもんだ」
 立ち上がり、身体にへばりついた砂を払いながら、軽く言う。実際には全身の筋肉が酷使され、かなりガタついていたが、そんな弱みは見せられん。

 俺はみちるをギロリと睨み、
「さて、俺にここまでやったんだ。覚悟は出来ているんだろうな」
「んににににに」
 怖じ気づき、数歩後ずさるみちる。
「とうっ」
 ざしゅっ。砂を蹴り、一気に間合いを詰める。
「んにゃっ!?」
 両手を交差させてみちるの脇腹を掴み、
「うりゃああっ!」
 みちるを逆さまに持ち上げた。
「んっ、んにゃああああっ! 離せ、離せーっ」
 じたばたと手足を動かすみちる。無論俺は聞く耳持たず、
「くらえ!」
 そのままスクワットの要領で屈伸をして、みちるの身体をがくがくと上下に揺さぶった。
「んにゃっ、にゃぅぅーっ! にょわぁぁーっ」
 みちるの細い脚が暴れ、俺の顔の下で水着に包まれたみちるの尻が揺れている。

「んにっ、にっ、んにぃっ……」
 やがてみちるの反応が鈍くなり、手足がぐったりとなってきた。俺もいい加減に辛くなってきたので、
「これぐらいで許してやる」
 放り出すほど俺は残酷ではないので、砂地の上にそっとみちるを降ろした。
「………にゅ」
 陸揚げされた魚のように、くてっと四肢を投げ出すみちる。
「…ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ」
 なんで俺こんなことに一生懸命になったんだろう、と思いつつ、俺も砂浜に腰掛けて呼吸を整えた。
「………二人は仲良し…」
 見当違いのことを言う美凪。

「んにゅにゅにゅにゅにゅ〜」
 みちるが妙な呻き声を上げながら、よろよろと立ち上がった。
「…よくもやってくれたな、国崎往人」
 なんか眼が据わってる。
「……」
 危機感を感じ、立ち上がって臨戦態勢を取る俺。
「このみちる様を怒らせたことを、心底後悔するがいいー!」
 クワッと精一杯顔を恐ろしげに歪め、すごんでいる(つもりの)みちる。

 キラ――ン! とみちるの瞳が輝き、
「みちるヘッドアターック!」
 ザッ! 砂を蹴り、みちるが頭から跳んだ!
「なに!」
 速い! と思うと同時に、後ろに跳ぶ俺。ドシッと重い衝撃が腹に突き刺さる。
「ぐふっ」
 後ろに跳ぶ程度では、ダメージを緩衝しきれなかった。素早く俺から離れるみちる。
「くっ、こいつ…」
「にゅふふ…まだまだこんなもんじゃないぞ」
 ぐっと溜めを作り、
「みちるドリルヘーッド!」
 ザッ、ギュルルルルッ! 唸りを上げて、回転頭突きが迫る。…髪が引っ詰めにされていなければ、ツインテールが美しい弧を描いたことだろう…などと考えている場合ではない。
 ドシッ! 横に跳んだが回避しきれず、肩口にかなりの衝撃があった。
「ぐっ!」
 ガクリと片膝をつく俺。
「にゅふふ、どうした国崎往人!」
 また素早く間合いを取り直し、余裕ブチこいてるみちる。おのれ。

「ぬおおおっ」
 俺は全身の筋肉を叱咤し、立ち上がった。みちるを指差し、
「なめるなよ、みちる! お前がその気なら、俺も本気になってやる!」
 一回り以上年齢の離れている女の子相手にムキになっている俺って一体…と思わないでもなかったが、気にしないことにする。
「にゅふふ、来るがいい国崎往人! 返り討ちにしてくれるわ!」
「なめるな、ちょこざいが!」
 俺とみちるの視線がぶつかり合い、ばちばちと火花が散る。
「うにゃ―――っ!」
「うおりゃぁぁぁっ!」
 鬨の声を上げ、気勢を高める俺とみちる。一瞬間を置き、
「とぅっ!」
 俺が砂を蹴るのと同時に、
「ぬおおーっ!」
 みちるも素早く反応し、間合いを詰めてきた。ガシ、ドカッ! 互いの身体が交錯する。
「…がんばれ、みちる。…負けるな、国崎さん…」
 被害が及ばないように岩の上にのぼり、のんびりと応援をしている美凪。

 ・
 ・

 その後、死力の限りを尽くして戦った俺とみちるは、屍のよーになって砂浜に転がっていた。
「…んに…。…きょ、今日のところは引き分けにしておいてやる、国崎往人……」
「ぜぇ、はぁ……、…それは、こっちのセリフだ…」
 もはやお互いに手を振り上げる体力も残っていない俺とみちるは、砂浜に大の字になってオレンジ色の夕陽を全身に浴びていた。
「…お疲れ様でした…。…敢闘賞、授与…ぱちぱちぱち」
 大の字になった俺とみちるの腹の上に、『進呈』と書かれた封筒を置いていく美凪。

 夕陽が水平線に沈もうとしている。
「………」
 美凪は淑やかな仕草で俺たちの脇に腰掛け、遠い眼で海を眺めている。
「……」
 風がやみ、打ち寄せる波の音だけが静かに響いている。
「………」
 三人とも黙ったまま、大昔から当たり前のように続いている自然の営みに見入っていた。

 やがて陽が沈み、東の空の色が濃い群青色と藍色のグラデーションに彩られる。
「…そろそろ、帰りましょうか」
 風が吹き始めたころ、美凪が立ち上がりながら言った。
「そうだな」
 少しは体力が回復した俺も、美凪にならって立ち上がる。
「おい、みちる…あれ」
「………くゥ…くゥ…」
 みちるは身体を丸めて、寝入っていた。
「……可愛い」
 瞳に星を飛ばしながらうっとりと呟く美凪。

「そうじゃないだろ。ほら、起きろ」
 言いながらゆさゆさと揺さぶる。
「………ん…に」
 ぼんやりと眼を開けたみちるを美凪に預けた。
「…みちる、着替えないと風邪を引いちゃうから…」
「……うん…」
 みちるの手を引いて岩かげに向かう美凪を見送ってから、俺も手拭いで身体をざっと拭いて普段着に着替えた。

 ・
 ・

「遅いな」
 砂浜に腰掛けて数分待っていたが、二人とも戻ってこない。
「……」
 まさか、痴漢にでも遭ったんじゃないだろうな。心配になってきたぞ。
 忘れ物がないか確認をして、岩かげに向かう。

 静かだ。ひょっとして二人とも、着替え終わってから俺を置いて帰っちまってたりして…。
「……」
 可能性としてあり得ないことではないのが侘びしいが、取り敢えず探すことにする。
 でかい岩を迂回して、開けたところに出た。
「あ」
 月と星明かりに照らされた、真っ白い尻が眼に入った。
「…え…」
 ショーツを脚に通し、持ち上げようとしていた美凪が俺の声に気が付き、はっと振り向いた。
「……」
「……」
 無言で見つめ合う。

 美凪の胸を大きいと誉めたが、尻もいい形をしている。
 高校生とは思えないほど丸く形が整っているうえに、大きく張り出していて、肉感的だ。…って、観賞してどうする。

 美凪は生まれたままの格好で、ショーツを持ち上げかけた姿勢で硬直している。
「……国崎さん?」
 パチパチとまばたきをして、抑揚のない声で呟く美凪。
「お、おう」
 無意味に爽やかな笑顔を浮かべ、シュタッと片手を上げて答える俺。


 1、2、3。

「……………ああっ…」
 美凪は耳たぶまで真っ赤に染め上げ、腕で胸元を隠してへなへなとへたり込んだ。
「すっ、すまんっ! 俺が悪かった!」
 ようやく我に返り、慌てて顔を背けて岩の後ろに入る俺。
「あっ、あの…ち、違うぞ、あんまり遅いから心配になって来てみただけだ。断じて覗きに来たわけじゃない! 本当だ、信じろよ!」
 ああ、何を言っているんだ俺は!?
「な、なんでまだ着替えてなかったんだよ! もうずいぶん経ってただろ!?」
 今度は逆ギレか。我ながら情けない。
「…ね、眠ってしまったみちるを着替えさせていたら、時間が掛かってしまいました…」
 珍しくうろたえたような口調で、ぽそぽそとか細い声で美凪が囁いた。
「そ、そうか。そりゃしょうがない」
 ドグドグとやかましい心臓を押さえながら言う。

「…あ、あの、国崎さん…。向こうを、向いていて下さい…」
「分かってる、見てない。星を見てるから、早く着ろ」
 首を強引に上に向けて、降るような星空を見上げる。
「……」
 しゅるしゅると衣擦れの音がして、
「……お待たせしました……」
「……んに〜」
 半寝惚けのみちるの手を引き、岩かげから美凪が出てきた。まだ顔が赤い。
「お、おう…」
 形のいい真っ白い尻を思い出し、顔が熱くなる。
「……………………ぽ」
 もじもじとはにかみ、俯く美凪。
「かっ、帰るか」
「……はい……」

 みちるをおんぶして、帰路に就く。
「…すゥ〜…くゥ〜…」
 ぐっすりと寝込み、気持ちよさそうな寝息を立てているみちる。
「……」
「……」
 俺と美凪は無言で夜道を歩いていた。

「…ううう」
 この沈黙、耐え難い。落ち度は全面的に俺にあるのだから、素直に謝ることにした。
「美凪。さっきは、すまん。…本当に悪かった」
 美凪は俯いたまま、
「…お気になさらないで下さい…」
「いや、そうは言っても」
 美凪は顔を上げると、儚げな微笑みを浮かべ、
「…国崎さんは、私とみちるを心配して見にきて下さったのですから、あれは事故です…」
 うおお、その優しすぎる気遣いが、余計に俺の良心の呵責を強めているんだぁ――。

 俺が心の中で慟哭していると、
「…今日は…楽しかったです」
「え」
 美凪はにっこり微笑み、星を見上げながら、唄うように言った。
「…三人で水掛けっこしたり…お弁当を食べたり…みちると一緒になって国崎さんを埋めたり…みちると国崎さんが楽しそうに遊んでいるのを見ていたり…」
 美凪が立ち止まり、俺も足を止めた。

 向かい合う俺と美凪。
「美凪…」
「…みんな、素敵な想い出の一部です…。…国崎さんに……胸を触られたり…お尻を見られたりしたのも…………ぽ」
 ほほを赤らめながら言われても、恥ずかしいのは俺だ。
「…ですから…国崎さんにとっても、そうであって欲しいです…。…今日という日が、私へのすまない気持ちだけが残るような日にはなって欲しくありません…」
 ほんの少し、沈んだ表情をしながら呟く美凪。

「…美凪…」
 そよそよと吹く風が、美凪の髪を優しく梳いて流れていく。
「…ああ、分かったよ」
 俺は、自分が出来るだけ優しい表情を浮かべていることを願いながら、美凪にうなずいた。
「……はい…」
 美凪もにっこりと微笑み、うなずき返してくれた。

 やがて、どちらともなく歩き出す。
「さてと、もう遅いから、送っていくぞ」
 陽が落ちてから、結構経っている。女の子一人で歩かせるのは不用心だろう。
「…はい…お手数をお掛けします」
「気にすんな」
 みちるを背負い直し、夜道を歩き出した。と、衝撃で眼を覚ましたのか、
「んに……送り狼……」
 人聞きの悪いことを言うな。
「…………………ぽ」
 だからなぜ顔を赤らめる?

 みちるはまたくーくーと寝息を立てている。
「今日は疲れたけど、面白かったな」
 本来の目的である、『海で泳いで涼む』とゆー目標は達成していなかったように思えるが、楽しかったのでよしとする。
「…はい…よければ、また明日も行きましょう」
「ああ、そうだな。そうしよう。またうまい握り飯を頼むぞ」
 美凪はにっこりと微笑み、
「…了承」
「それ、キャラ違う」
「…がっくり」


                                                 夢の劇場『渚の美凪』 おしまい

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 星牙でございます。
マキ「マネージャーの小原マキです」

 ほのぼのを書こうと真剣に考えているはずなのに、乳や尻が出てきてしまうのは何故だろう。
マキ「そなたが描いておるんじゃろーが!」
 うい。そうなんだけど。
 ちなみに小生の『Air』番付け表では、裏葉女史、美凪女史、みちる嬢がエースランクです。纏まりがないねえ。

 お読みいただきありがとうございました。
マキ「それでは、ご機嫌よう」


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