愛の官能劇場 『昇天 後編』
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そしてある晩。
祐一さんに拒まれた。
「もう、やめましょう。秋子さん」
「…」
…祐一さん…
私に、飽きたんですね
…それとも誰か、他の女の子に…他の女の子…名雪…?
……
……渡さない
…祐一さんは私の物…誰にも、名雪にも渡さない
…奪われるぐらいなら、私から祐一さんを奪うのなら……
私の中で、黒く醜い感情が弾けそうになったとき、
「…。ごめんなさい。秋子さん…」
「え? ゆ、祐一さん…?」
祐一さんは泣いていました。
私は訳も分からないまま訊ねました。
「どうして…祐一さんが、泣かれるのですか?」
「俺が、俺が悪いんです…うっ」
涙を流しながら祐一さんは語りだしました。
「…俺、ずっと秋子さんに憧れていました。初めて会ったときから」
「綺麗で、優しくて…。理想の女性だと思って、ずっと憧れていたんです」
「秋子さんのこと、一人の女性として見ていて」
「秋子さんのこと、本気で好きになって…」
「だから…秋子さん気付いていましたか。俺、一度も秋子さんのこと、叔母さんて呼ばなかった」
ええ…気付いてました…祐一さんの視線、想い…
「ずっと会ってなくって、でも久しぶりに会った秋子さんは綺麗なままで…」
「俺、まだ子どもだから、秋子さんのこと…汚い目で見て」
「それで、この間…秋子さんにお願いされたときも、俺が拒むべきだったのに!」
「…その後も、ずっと流されるまま、秋子さんの身体を、好き勝手して…」
「…俺、自分が情けないです。好きだった、大好きだった秋子さんを、傷付けて…」
涙を流しながら『ごめんなさい』と繰り返す祐一さんを見て、私の心は穏やかになっていきました。
優しい祐一さん…
こんなに苦しんでいたんですね。
私が苦しめていたんですね。
私は泣き続ける祐一さんをそっと抱き締めました。
「…祐一さん。あなたは悪くありません。悪いのは、私。私にはあなたに謝ってもらう資格なんて無いんです」
いつのまにか、私の眼からも涙が流れていました。
初めて出逢ったときは、可愛い男の子でした。
私には名雪しか子どもがいなかったから、息子が出来たみたいで世話を焼くのが楽しかった。
祐一さんの視線に気が付いたとき、私は叔母に戻るべきだったのでしょう。
でも、心のどこかに寂しさを抱えていた私にはそれが出来ませんでした。
やがて祐一さんはこの街を去り…
互いの想いだけが宙に残され…
残された想いは、逢えない時間と共に育ち…
再会したとき、想いは歪んで育っていた…
そして、歪められた想いに…偽りの愛に溺れ、互いを傷つけた……
私の心の内を全て聞き終えた後、祐一さんは静かにおっしゃいました。
「秋子さん…きっと、秋子さんと俺のどちらかが悪かったんじゃないと思います。出逢ったときにこうなってしまうことが決まっていたんだと思います」
そう…私と祐一さんが叔母、甥として出逢ったとき、そして…
…私達が互いを愛してしまったときに…
「決まっていた…」
祐一さんは少し逡巡し、
「…今さらこんなこと言えた義理じゃないって事は分かっています。でも言わせて下さい」
「はい」
「俺、秋子さんのこと好きです。本当に、大好きです」
「はい」
「でも、もう…こういうことは」
言いよどむ祐一さん。
…。やめようと言いたいのですね。虚しく身体だけを重ねることを…
「…はい」
ごく自然に、自分でも驚いてしまうぐらい簡単に…返事がでました。
優しい祐一さん…私を傷つけまいと、ずっと悩んでいたんですね…
…でも…
「…やっぱり…少し、寂しいですね…」
弱い私は、ついそんなことを言ってしまう。
祐一さんはまた少し考えて、
「秋子さん。生まれ変わったら、きっと逢いましょう」
「え?」
「生まれ変わって、今度は叔母と甥の関係なんかじゃなく、普通の二人で出逢いましょう」
生まれ変わって、祐一さんとまた出逢う…
「そしてその時こそ、世界一の恋をして、一緒になりましょう」
世界一の恋をして、今度こそ、二人一緒に…
「…はい、祐一さん」
私の眼からはまた涙が溢れていました。
「…約束、しましょう…」
私の心…魂は、今、癒されました…
そうだったんですね…
私が怯えていたのは孤独。
いつか祐一さんがあの人のように、私から去っていってしまうことを恐怖していたんです。
恐怖と不安に突き動かされるままに、私は祐一さんと身体を重ねて…
一時の繋がり…偽りの絆を、そうとは気付かずに求めていたのですね。
でも、もう怖くはない。…約束…本当の絆があるから…
私は、自分が随分と久しぶりに普通の微笑みを浮かべていることに気付きました。
「うふふ。祐一さん、出逢ってからが楽しみですね」
「ええ。情熱的な恋が出来たらいいですよね」
「素敵ですよね。私が悪い人達にさらわれて、祐一さんが助けに来て下さるとか」
祐一さんは頬を引きつらせて、
「えっ。そ、そこまで情熱的じゃなくても…もう少し地味に行きませんか」
「まあっ。祐一さん、助けに来て下さらないんですか!?」
拗ねたふりをする私。祐一さんは慌てて、
「い、いえ、行きますよ。行かせていただきますっ」
「ふふふ。ええ、待っています…」
ずっと、待っています…あなたとまた出逢える日を…祐一さん……
…
……
………
「…うーん…」
…あれぇ…? わたし…
?? 変な夢見たような…
「いつまで寝てるのーっ。いい加減に起きなさーい。もう遅刻するわよーっ」
一階からママの声が聞こえた。
んもう、うるさいなあ…。ママはいつも大袈裟に言う。
「もうっ。まだ全然、大丈…夫…ううぅっ!?」
8時11分っっっっ!!!???
「きゃあーっ!! 遅刻しちゃうぅぅーっ!!」
バサッ、バッ、バッ! バンッ!! 大急ぎで着替え、部屋を飛び出す。
「ああああ、大変だよーっ」
タンタンタン、 階段を駆け下り、
「ママ、パパ、おはよっ」
リビングでくつろいでいる二人に朝の挨拶。おのれ、愛娘がこれから命懸けで学校に向かうというのにこの二人は…と、八つ当たりの怒りを撒き散らすわたし。
「おはよう。あら、朝ご飯は?」
「食べられるわけないでしょーっ」
靴を履いているわたしの背中に、パパののんびりとした声がかかる。
「おや、もう行くのかい?」
「うんっ。じゃあ行ってきまーす」
「ああ、行っておいで。…おや、今日は行って来ますのキスはないのかい?」
「ゴメンね、今朝は急いでいるし…って、いつもしてないでしょーがっ!」
思わずノリ突っ込みするわたし。…ああ、時間がないのに。
「はっはっは」
「はっはっは、じゃなーい!!」
パパ、相変わらずよね。
ママは、そんなわたしとパパのやりとりをほんわりと微笑んで見つめて、
「はいはい。それじゃあ行ってらっしゃい。車に気を付けてね」
「はーい」
言って、家を飛び出る。
「わあっ、いいお天気」
家を出た途端に、真っ青な空が眼に飛び込んできた。
「何か良いことありそう」
駆け出すわたし。
そういえば、今朝の夢…よく覚えていないけど、確か、約束が…
考えながら、坂を上っているとき。
「うわあ〜」
「え?」
見ると、坂の上からスンゴイ勢いでポリバケツが転がってきた。
「!?」
あまりに非現実な光景に、頭が冷める。
ポリバケツから足が出ているのが見える。どうやら、その足の持ち主が先程の『うわあ〜』って声を出したみたいね。
「って、冷静に分析してる場合じゃなーい!」
わたしはポリバケツの転がってくる軌道を見切り、
「とうっ!」
避けた! え、止めないのかって? なに言ってるのよ、か弱い女の子にそんなことさせる気!?
「おわあ〜」
わたしの脇を横切り、ポリバケツ(と中の人)は転がっていき、
どごーん!! ずいぶんと大きな音と共に電柱に激突、停止した。
「ぎょうぇっ」
と、同時に呻き声。
「…くっ」
なんだか…すごく面白いわっ。
「プクク…わ、笑っちゃ駄目よ、わたし…」
ああっ、でも可笑しい。ツボに入っちゃった。お腹が苦しいよー。
「ウウウ…」
呻き声と共に、ポリバケツから人が這い出してきた。あ、中の人、無事だったんだ。よかった。
「あの、大丈夫ですか?」
一応声を掛ける。朝から面白い物を見せてもらったお礼も言わなくちゃ。(鬼かしら、わたし)
「ああ…ありがとう」
顔を見る。なーんだ、普通の顔ね。いい男だったらラッキーって感じだったのに…
……。
…あ…れ…? …胸が、苦しいよ…
《…ようやく、逢えました…》
この人…懐かしい感じがする…
男の人も同じような気持ちみたい。わたしの顔をぼうっと見ている。
「あ、あのさ…俺、君とどこかで逢ったことなかったっけ?」
「…わかんない。…あ、もしかして、今のナンパ!? 古い手口ねぇ!!」
彼は真っ赤になって、
「ば、ばかっ。違うわい!」
「ほほほっ。照れるな照れるな。そうよねえ、こぉんな美少女を前にすれば、まあ当然よねぇ」
「違うって言ってるだろーが! だいたい、俺はお前みたいな小娘に興味ないっ!」
「んまっ! あんた、マザコン!? イヤねぇ、乳離れしてない男って」
「てめえ! キシャアァー!」
「何よ! フギャァー!!」
威嚇し合うわたし達。眼を逸らした方が負けるわ…って何か違うわね。
「……? 何か忘れてるよーな…」
はっ!! 頭から冷水を掛けられたような気持ちになる。
「……」
恐る恐る腕時計を見ると…マイガッ! 瞬間移動したって無理ねっていう時間!
「ほ、ほほほ……ほぇ〜ほぇ〜…」
哀しみの踊りを踊り出すわたしを不気味そうに見る彼。
「……。じゃあそういうことで」
「お待ちなさいっ。責任をとってもらうわっ!」
逃げられて堪るもんですか。
《やっと…やっと、逢えたんですから…》
「責任って、なんのだよ!」
「んまぁっ! 乙女を汚しておいて、なぁんて言いぐさでしょう!! 奥さま、お聞きになりました!?」
「誤解を招くようなこと言うんじゃねえーっ! 俺がいつお前さんを汚したぁっ! 奥さんてどこだよ!」
「いちいちうるさいわね。いい? わたしの履歴に『遅刻』の汚点を付けた、すなわち、汚した! そーいう訳で、わたしの純潔を返してっ!」
「どーいう理屈だぁぁっ!!」
「ああああっ。お母様、わたし汚されてしまいました。先立つ不幸をお許し下さい…」
「勝手に死ね。じゃあな、もう二度と会わないだろうが」
「ひっどーい。鬼、悪魔、人でなしぃー! 鬼畜、外道、人非人ーっ!」
「あのなー」
「だいたい、朝からポリバケツに入って転がるなんて非常識も良い所よ!」
「夜なら良いのか?」
「夜はよけい悪いわよ! 暗いから危ないじゃない! そんなことも分からないの!?」
「……」
疲れた顔をしている彼。
「それで、どうしてポリバケツに入って転がっていたのよ。まさか趣味なの?」
「違うわ!」
「趣味の種類で個人の人格を規定するつもりはないけれど、人様に迷惑を掛ける趣味は悪趣味って言うのよ」
「訳知り顔で語るなぁぁ――っ! どこの世界にポリバケツに入って転がる趣味の人間が居るんだぁ――っ!」
「ここ。今わたしの目の前にいるわ」
「あっさり切り返すなぁぁ――っ!」
「静かになさい。まだ朝早くから騒ぐものじゃないわ。第一、小粋な冗句に決まっているじゃない」
「……」
また疲れた顔をしている彼。いけないわね、覇気が足らないわ。
「さあ、事情を聞かせてもらおうかしら」
「あ? ああ。坂を歩いて下りていて、気が付いたら走っていた」
「はい?」
「ぼーっとしていたからかなあ。それで、結構スピードが出ていたとき、進行方向に猫がいたんだ」
「ほほう」
「俺、避けようとしてさ、横に飛んだんだ」
「……」
「そしたらそこにポリバケツがあってさ、両足が入っちまって、転がっている間に頭が下に…」
「もーいいわ…」
今度はわたしが疲れたわよ…
「「はあ…」」
二人同時に溜め息。
「…ぷっ」
「…ふふふ」
「ははは」
「あはははは」
「ははははは」
二人で大笑いする。
なんだかとっても楽しい。面白い人と会っちゃった。 《…逢えて良かった…》
あっ、良い事ってこれのことだったのかな? 《…信じていました…》
そうそう、朝の夢で、確か… 《…約束でしたものね…》
…えっと、あれ? 《…また、逢いましょうって…》
だめだ、思い出せないや。
彼が口を開いた。
「ええっと、君の名前は?」
「まっ! レディに名前を訊くときはまず自分から名乗るものよ!」
「誰がレディだ」
「何か言った!?」
「いいや、なんにも」 《…この日を待っていました…》
「俺の名前は、…」
《…祐一さん…》
愛の官能劇場 『昇天』 =終劇=
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星牙でございます。
マキ「マネージャーの小原マキです」
まあ、めでたしめでたし…ということでしょう。小生は、これ以外に秋子さんと祐一が結ばれる方法はない…そう思っていますから。お笑い方面で好き勝手に書いている小生ですが、こーゆー真剣な作品を書くときもあるんです。
最後の二人は、秋子さんと祐一の生まれ変わった姿か…或いは、秋子さんが夢見た来世の風景か…それは各人でご想像下さい。…ってゆーか、何か『Air』のラストシーンと似てるような…? まあ、こっちの方が遥かに先に書いていますから、パクリじゃないです。
では、お読みいただきありがとうございました。
マキ「それでは、ご機嫌よう」
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