愛の劇場『天使になった女の子』【第四幕:名雪】
…………。
まっ暗…。当たり前だよね、もう夜だもん。
あれ…わたし、いつの間に外に出たんだろう。
…ああ、夢を見てるんだ。
…! この風景…!
7年前の、夢…。
もうずっと見ていなかったのに…どうして…。
…そう。7年前、わたしはこうやって駅前のベンチに腰掛けていたんだ。
ずぅっと祐一を待っていた。何時間も、何時間も…。
…でも、祐一は来ないで…。
…寒くて、哀しくて…。
…だけど、涙だけは流さないように頑張って…。
祐一が来てくれたとき、泣いていたらおかしいから…。
ずぅっと独りぼっちで…。
お母さんが迎えに来てくれるまで……。
…お母さん。
…そうだ。…お母さん、もう……いないんだ…。
「…お母、さん」
「…名雪。7年前のお前も、こんな感じだったのか…?」
え!?
「…はは…、正直、これは辛いな…」
……祐一? わたしが立ち上がって後ろを振り向くと、雪まみれの祐一がベンチに腰掛けていた。
祐一は俯いていて、顔はよく見えない。でも、身体が小刻みに震えている。
「祐一、どうしてこんな所にいるの? 風邪引いちゃうよ」
祐一はわたしの声が聞こえないらしく、座ったまま動かない。
「駄目だよ祐一、身体壊しちゃうよ。わたし、経験してるもん」
…7年前に祐一を待って。
「祐一、祐一!」
『名雪さん』
「えっ」
声を掛けられて振り向くと、あゆちゃんが立っていた。
「あ、あゆちゃん…?」
『お久しぶりだよね』
「うん、久しぶり。…でも、それ…なに?」
『え?』
「その…大っきな羽…」
『え…。あ、いけない! 急いで来たから、しまうの忘れていたよ。…ええと、あんまり気にしないでよ』
無理だよ、あゆちゃん。
『それより、祐一君だよ』
あっ、そうだ。
「う、うん。あゆちゃん、祐一が大変なんだよ」
『うん、知っているよ』
「知っているんだったら、お願い。祐一を助けて!」
あゆちゃんは哀しそうに眼を伏せた。
『だめだよ。ボクには祐一君を助けることは出来ない。ううん、きっと誰にも出来ない』
「そ、そんな…」
あゆちゃんはわたしの眼を真っ直ぐに見つめて、
『助けられるのは、名雪さんだけだよ』
「えっ」
『祐一君は、名雪さんが来るのを待っているんだから』
祐一が、わたしを…。
「……だめだよ。わたし、行けないよ」
『どうして?』
「…動けないんだよ」
心では行かなくちゃいけないって思ってる。…でも、身体が動かせない。何も出来ない…。
『…名雪さん…』
「…お母さんがいなくなって…もう、わたしには何も出来ないんだよ」
『名雪さん…。心の傷が大きすぎて、何も出来なくなっているんだね』
あゆちゃんが一瞬、すごく痛ましい顔になった。
『名雪さんが今すごく辛いのは分かるよ。…ボクも、知っているから』
言い終えて、あゆちゃんは毅然とした表情になって、
『でも名雪さん、それでいいの? 名雪さんを待っている祐一君を放っておいてもいいの?』
…わたしを待っている、祐一…。
「…祐一は」
『?』
「…祐一は、わたしが迎えに行っても…きっとまた他の女の子の所に行っちゃうよ」
祐一の周りには、いつも女の子がいるから。
祐一はいつでも、わたしのことを置いていってしまうから…。
「だから…」
『名雪さん!』
あゆちゃんの大きな声に、わたしは身体を震わせた。
『名雪さん、今のは本気で言ったの? もし本気なんだったら、ボクは本当に怒るよっ』
「あ、あゆちゃん…。だって、祐一は…」
『いま祐一君は、名雪さんのことだけを想って、ああやって待っているんだよ』
『それなのに、どうして祐一君の気持ちを信じてあげられないの?』
あゆちゃんのすごい迫力に気圧されて、わたしは何も言い返せない。
『名雪さん』
「で、でも…。わたしが行っても、わたしは、もう…」
お母さんがいなくなってしまって、一体わたしに何が出来るんだろう。
『………。大丈夫だよ』
「えっ」
『名雪さんが名雪さんだから、祐一君は名雪さんを大切に想うようになったんだよ』
『だから、きっと大丈夫。名雪さん、祐一君を信じてあげて』
あゆちゃんは、辛そうに顔を俯かせた。
「あゆちゃん…?」
『…名雪さんが祐一君を信じてあげられない理由は、きっとボクにも責任があるんだと思う』
『でも、だからこそお願い。祐一君の所に行ってあげて』
と、あゆちゃんが俯いていた顔を上げて、遠くを見つめた。
『じゃあ、ボクもう行くね。急いでしなくちゃいけないことがあるんだ』
「えっ?」
ごく自然に、あゆちゃんの身体が浮かび上がった。
「あ…あゆちゃん?」
あゆちゃんは寂しそうに、でも満足そうに微笑んで、
『さようなら。祐一君と仲良くね』
「あっ、あゆちゃん。待って、あゆちゃん!」
雪の舞う空に浮かび上がっていくあゆちゃんを追いかけようと、一歩脚を前に出したとき、
「あっ」
ガクン、と落下感覚があって…。
気が付いたら、わたしは絨毯の上にうつ伏せになっていた。
「……」
身体を起こして、周りを見回す。…わたしの部屋だ。
…今の、夢だったの? あゆちゃん、祐一…。
『…名雪』
「え、祐一?」
ドアの向こうにいるの?
『俺には、奇跡は起こせないけど…』
バタン 急いでドアを開ける。
『でも、名雪の側にいることだけはできる』
ガンッ ドアに何かがぶつかった。
『約束する』
「これ……」
目覚まし時計のメッセージを聞き終えたわたしは、そのまま家を飛び出した。
…寒い。着の身着のままで走るわたしの身体を、夜の寒さがさいなむ。
道行く人たちが、ぎょっとした顔でわたしを見つめていた。
でも、わたしは気にせず走り続ける。
よかった、陸上を続けていて。
祐一のために走り続けることのできる自分が、誇らしかった。
駅ビルが見えた。わたしは全身に力を込めて、さらにスピードを上げる。
ようやく暗くなった駅前広場に着いたわたしは、辺りを見回す。
…居た!
祐一は、捨てられた子犬のように、独りぼっちでベンチに腰掛けていた。
ああ…、そうか。お母さんは7年前のあの日、きっと同じ光景を見たんだ。
…独りぼっちでベンチに腰掛けて、祐一を待っている、わたし…。
「………」
一瞬だけ、足がすくんだ。
『名雪さん』
初めて見たあゆちゃんの怒った顔を思い出して、勇気を出す。
一歩一歩、祐一に近付く。
祐一は俯いていて、わたしに気付かない。
…あの日、祐一の待っていた人は来なかった。
…あの日、わたしの待っていた人も来なかった。
…ここは、待っていた人が来てくれなかった…哀しい記憶の場所。
「…祐一」
でも、今日は。
今日からは、違う。
「…雪、積もってるよ」
…ありがとう。あゆちゃん…。
愛の劇場『天使になった女の子』 第四幕 完
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星牙でございます。
マキ「マネージャーの小原マキです」
今回は満足がいった。書き損ねた部分はない。
マキ「おっ、泣き言ではないな」
…技術不足で、ちょっとへこんだけれど。
マキ「結局泣き言かぁっ!」
むう。
さて、まだ終わりではないです。真冬の夜の夢は、もう一つあります。お付き合いいただければ幸いです。
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