愛の劇場『お茶目な秋子さんR誕生日編 当日その壱』
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明けて9月23日。
昼前になり、俺が居間のソファに腰掛けて新聞を読んでいると、名雪が起きてきた。
「おはよー、祐一」
「おう、おはよう」
遅い朝ご飯を食べている最中に、名雪が顔を上げて、
「ねえ祐一。お昼過ぎになったら、洋菓子屋さんに行ってケーキ買ってこようよ」
「ああ、そうだな」
物より心とは言え、誕生日にケーキは外せないだろう。
名雪が食休みしてから、外出着に着替えて、玄関で落ち合った。
「よし、行くか」
「らじゃーだよ」
名雪と連れ立って商店街に向かい、洋菓子店に入る。
「これ下さい」
名雪は前もって決めてあったらしく、すぐに指差しで選んだ。ケーキの上にイチゴが隙間なく敷き詰められてあるやつだ。
「名雪、秋子さんの誕生日ケーキだって分かってるのか」
念のために突っ込んでみる。
「うん、分かってるよ」
そう答えつつも、箱詰めにされているケーキをじっと見つめている名雪の顔には、『イチゴイチゴイチゴイチゴイチゴ(略)』としか書かれていない。
「……」
まあ、いいか。
「いっちご〜、いっちご〜、い〜ち〜ご〜」
即興なのか、前々から作詞作曲してあったのか分からない『いちごのテーマ』を口ずさんでいる名雪。
「……」
本当にいいのだろーか。
「あ、そうだ。なあ名雪、誕生日ケーキだったら、ロウソクを立てないと」
俺がそう言うと、
「祐一、あのケーキにはロウソクは立てられないよ」
やれやれといった表情で溜め息を吐く名雪。
「それもそうか」
イチゴだらけだもんな。
名雪は声を低くして、
「それに、お母さんが何歳か分からないし」
「……ああ」
昨夜の言い様のない重圧を思い出して、うなずく。
「それに、女の人は二十五本以上になったら、ロウソクは立てないんだよ」
真面目な顔で言う名雪。どうして二十五本なのかよく分からないが、何となく訊いてはいけないような気もするので訊ねないことにする。
「確かに、秋子さんが二十五歳以下ってことは…ない……だろう…」
またぐらりと空間が揺らいだような感覚があり、気分が悪くなる。
「うう」
倒れないように壁に手をついて、躰を支える。
「うー…祐一っ」
名雪が青ざめた顔で、咎めるように俺を見つめた。
「すまん、俺が悪かった」
素直に謝る。
・
・
「ただいま〜」
「ただいま」
大事そうに両手でケーキを抱えている名雪を通すために、ドアを押さえる。
「ありがと、祐一」
にっこり微笑んで、頭を下げる名雪。三和土で靴を脱いでいると、奥から秋子さんが顔を出した。
「お帰りなさい、名雪、祐一さん」
「ただいま、お母さん」
「ただいまです」
三人で居間に入り、うがいをしたり手洗いをしたりしてから、秋子さんの煎れてくれたコーヒーを飲んで一息つく。
「ふう」
ひと心地ついてから、名雪がテーブルの上にケーキの入った箱を出した。
「お母さん、誕生日おめでとう」
「おめでとうございます、秋子さん」
名雪に次いで、お辞儀をしながら言う。秋子さんも、本当に嬉しそうに微笑み、
「まあ、二人ともありがとう。とっても嬉しいわ」
はにかむように身じろぎしながら、顔をほころばせる秋子さん。
「お母さん、はいこれ」
名雪がスカートのポケットからカードを取り出して、秋子さんに手渡す。
「毎年渡してるけど、今年も書いたよ」
「ありがとう、名雪。後で読ませてもらうわね」
秋子さんは受け取ったカードを、大事そうにカーディガンのポケットに仕舞った。
「あの、秋子さん。二番煎じみたいなんですけど、俺も書きました」
俺も部屋に戻ったときに持ってきておいたカードを、秋子さんに手渡した。
「まあ、祐一さんもですか? ありがとうございます」
ほほに手を当てて微笑み、名雪のと同じように丁寧にポケットに仕舞い込む秋子さん。書いている最中は、恥ずかしくてちょっと気後れしたが、こんなに喜んでもらえているのを見ると、書いて良かったと思える。
少し遅い昼食代わりに、買ってきたケーキを三人で食べることになった。
「うふふ。名雪、またこのケーキを買ってきたのね」
イチゴが満載のケーキを見て、ほほに手を当てて微笑む秋子さん。
「やっぱり去年もこれだったんですか」
「ええ。去年も、一昨年もこれでした」
俺が訊ねると、秋子さんはにっこり微笑みながらうなずいた。
「うー、だってわたし、イチゴが大好きなんだもん」
顔を真っ赤にして、もじもじと躰を揺する名雪。
ケーキを切り分けて、三人に行き渡ったことを確認する。
「じゃあ、いただきますね」
秋子さんの誕生日ケーキなんだから、やはり秋子さんが最初に食べるべきだろうという名雪の意見を聞き、秋子さんが最初に一口食べる。
「…ん、おいしい」
ゆっくり咀嚼して、ふんわり微笑む秋子さん。
「良かったよ。じゃあ、わたしもいただきまーす」
「いただきます」
名雪の煎れた紅茶を合間に飲みながら、ケーキを食べる。甘い物は苦手だけど、名雪の論説『ケーキはたまに食べるから美味しいの定義』の通り、確かにうまかった。
和気あいあいとした空気の中、ケーキを平らげる。
「お母さん、今日はわたしと祐一で家のことをするから、お母さんはゆっくり休んでいてね」
「あら、今年も手伝ってくれるの? 嬉しいわ」
と、秋子さんは少し考え込み、
「名雪、祐一さん。ちょっと他の我が侭を言ってしまってもいいですか?」
控えめな様子で秋子さんが訊ねた。
「なあに、我が侭って」
先を促す名雪。
「名雪と祐一さんでなければ、出来ないことなんですけれど」
俺と名雪じゃないと出来ないこと?
「何ですか」
秋子さんは無邪気な微笑みを浮かべて、
「私に、初孫を抱かせて下さい」
「………………………………………………………」
思考が停まる。
先に動いたのは、名雪だった。
「えーっ」
大きな声を上げ、わたわたと手足を動かす名雪。
「子どもが出来るのは、十ヶ月以上後だよ。そんな先でいいの?」
名雪、その突っ込みはちょっとずれてないか?
「ええ、楽しみは先にとっておいた方がいいものよ」
あっさりうなずく秋子さん。
名雪は顔を赤くして、何やらぶつぶつ言っている。
「…今日が23日で…この間来たのが…」
何が来たんだ、とは怖くて訊けない。
「祐一」
考えがまとまったらしい名雪が、キッと俺を見据えた。
「な、なんだ」
ガシィ! 名雪の指が、俺の腕を掴む。
「そういうことだから、作ろう」
「どういうことだぁぁっ!」
やけに乗り気な名雪に、ノリ突っ込みを返す。
「ね、祐一…二階に行こうよ」
名雪は聞いていない。
「ちょっと待て、名雪!」
「大丈夫だよ。わたし、こう見えても安産型だし」
知ってる。昨日見た。
「そうじゃないだろ」
名雪はほほを赤らめて、
「陸上部で運動してるから、締まりもいいと思うし……ぽ」
「ぽ、じゃないっ!」
俺はのほほんと微笑んでいる秋子さんの方に向き直った。
「あ、秋子さん、冗談ですよねっ?」
秋子さんはにっこり微笑み、
「了承」
「しないで下さいっ!」
名雪はぐいぐいと俺の腕を引っ張り、
「ほら、お母さんも了承してくれたんだし、行こうよー」
「だああっ、引っ張るな!」
軽く名雪の腕を引っ張り返した拍子に、名雪が俺の上に倒れ込んだ。
「わあ」
不意を突かれたらしく、無抵抗に俺の腕の中に転がり込む名雪。
「あ…」
名雪は俺と眼が合うと、ぽっとほほを赤らめて、
「そんな、祐一…お母さんが見てる前でするの?」
「するかぁぁっ!」
名雪はうずうずと躰を揺すり、
「うー…初めてなのに、衆恥ぷれいなんて…祐一、やっぱりまにあっくだよー」
「話しを聞けぇぇっ!」
ふと名雪が、動きを止めた。
「…うー…もしかして祐一、わたしと子どもを作るのがいやなの?」
「へ?」
名雪は俺の腕の中に転がったまま、真っ直ぐに俺を見つめて、
「…祐一は、わたしのことが嫌い? 嫌いだから、わたしと子どもを作りたくないの?」
「え? え?」
名雪の瑠璃色に澄んだ瞳が、見る見るうちに潤んだかと思うと、瞳の端から涙が一雫こぼれた。
「…わたし、もう笑えないよ…」
「ま、待て! 違うっ」
慌てて、弱々しくなった名雪を抱き締める。
「そんなことないぞ、名雪。俺はお前のことを、嫌いなんかじゃない」
抱き締めた名雪の躰が、俺の言葉に反応して微かに動く。
「…本当?」
「ああ」
うなずき返した途端、背中が締め付けられた。どうやら、名雪の腕がいつの間にか背中に回されていたらしい。
「…う? な、名雪?」
呼び掛けるのと同時に、目の前にあった名雪の顔が、力を取り戻していく。
「嬉しいよっ」
名雪が顔をほころばせて、抱き付いてきた。
「うおっ」
ブラウス越しに名雪の胸が、柔らかな温もりがぁぁっ。
「祐一〜」
じゃれついてくる猫のように、ぐりぐりと頬ずりする名雪。
「うおあーっ」
ああ、ちょっと…くすぐったいって言うか、気持ちいいって言うか…ああーっ。
名雪はひとしきりじゃれついてから、
「じゃあ祐一、子どもを作ろうよっ」
天真爛漫な微笑みで、再び恐ろしーことをのたまった。
「待て、名雪」
今にもこの場でブラウスのボタンを外し始めかねない名雪を押しとどめる。
「なあに、祐一」
「そういうのはもっと、お互いの気持ちを確かめ合ってからじゃないと駄目だろ。軽はずみにしていいことじゃない」
我ながら面白味のないことを言っているな、とは思う。
「うー」
名雪はあごに指先を当てて考え込んで、
「分かったよ、祐一」
こっくりうなずく名雪。どうやら、分かってくれたらしい。
「じゃあ、明日だね」
分かってなかった。
「だから、どうしてそう急ぐんだ、お前はっ!」
バチン。思わず名雪の額を叩く。
「痛いよー」
「そういうことですから、秋子さん。初孫はまだです」
微笑ましげに俺と名雪を見つめていた秋子さんに向き直って言う。
「あらあら、そうですか。じゃあ、来年か再来年の誕生日にお願いしますね」
にっこり微笑んで、これまた恐ろしいことを言う秋子さん。
「だああっ」
秋子さんは可笑しそうにくすくすと笑って、
「うふふ、冗談ですよ」
ホンマかいな。
《当日 その弐に続きます》
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星牙でございます。
マキ「マネージャーの小原マキです」
名雪女史の暴走が目立ってますけど、まだ慣らし運転なんだね、コレが。
マキ「行く末を暗示しておるな」
うぃ。
お読みいただきありがとうございました。
マキ「それでは、ご機嫌よう」
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